6

 後から考えれば。

「なにが」尻尾になるのか本人も把握していないわけで、無自覚に尻尾はあちこちのぞいていたのだろう。ただし、例の「狩鈴」が鳴らないというが、それを掴もうという気を起こさせなかったわけだ。

 そういう訳で、この「会戦」中にもシュレザーン元帥の前で揺れた「尻尾」は、一本に留まらなかった。やはり,後日の述懐になるが。


 「アステの戦い」の火蓋が切って落とされたのは、シュレザーン軍が合流した四日後の昼前だ。

 サクレへの増援を阻むのが一義的な目的とされた。軍師ヴォルザ・ハークの、地形を完璧に読み活用する、その真骨頂をまたもや見せ付ける作戦になった。凪原軍に、警戒網の穴を、こちらの裏をかいているという優越感の中、その実、こちらが決めた進軍ルートで、包囲の中に誘い込んでのけた。

 包囲軍の中央軍をまとめ、先陣はライヴァート自らがダユウの蒼牙騎士団を中心とした部隊を率いて切った。

 軍師曰く。「後ろにいろといっても絶対出て行く。だったら、最初から出ていた方が計算に狂いがない」とのこと。

 右軍はシュレザーン隊とテュレ守備隊。左軍はラダンを頭に立て傭兵を中核としたその他の義勇隊。新参と古参をうまく混成させた陣立てだ。

 そして、軍師本人は。

「二兎を狙ってみる」

 と、別働隊を率いて、開戦前に本隊を離れている。固定の本陣は置かないことで、非常に機動性を重視した戦法となっているが、鳥瞰的な視点に欠け不測の事態に対応できない危険性がある――との危惧は、軍主と軍師は目配せをして答えた。

「当然、ライ・・殿下が指示る。」

「エヴィが苦心して局地戦に持ち込んだんだ。先陣からは、まあセオリーじゃないだろうが、今回は十分通る。」

 二人の間では、既に結論が出ていたのだろう。

「人手不足だからな。次を楽にしたいじゃないか。」

 沈思を窺わせず、一手先までさらりと語る姿はまさにカリスマ軍師だ。

 軍師は500名の兵と治療師である『白舞』のマシェリカ姫(海賊姫はカノンシェル姫の護衛隊に残った)と共に離団し、その中に、レイドリックもいる。

 別働隊の選考基準は三つ。戦車を扱える、馬を全力疾走させられる、そして弓が能く使えること。ちなみに軍師本人は最後が満たないという言だ。ライヴァート、と思案もしたらしいが、危険度も天秤にかけて自分がこちらを取ったのだろう。臣下として正しい判断だ。つらつらに考えながら、レイドリックはサクレに続く――凪原軍の進軍ルート上、辿るはずの――間道沿いの雑木林で合図を待っている。

 凪原の軍服を身に着けて、二台の戦車と随員と共に。

「――始まったようです。」

 じっと空を見ていた部下が緊張した声で告げてきた。馬と戦車と人と、ぶつかりあい巻き上がる大量の粉塵が巻き上げられて空の青を侵食していく。

 間道に偽装を施した戦車を引き出し、騎乗して時を待つ。

 合図は――・・・・!!

「来ました!! 追っ手(・・・)です!!」

 戦車二台と、馬が十頭。総勢十四人は、顔を見合わせ、にっと笑った。

「敵だ。ぞ!!」

 集団は土煙を上げながら猛然とサクレへの道を直走る。それを追って、遠海軍の騎兵100ばかりが駆け抜ける。ヒュ、と風を切り裂いて矢が掠め飛んだ。

「応戦はするな!! サクレに着くことを優先しろっ、」

 戦車を含む分(乗員は定数の3から2に減らしていても)、速度において絶対に不利だ。馬蹄の音と飛来する矢の唸り方から距離を測る。

「先行しろ!開門を願え!!」

 レイドリックの声に、振り返ることなく二騎が応じて速度を上げた。

 

 「我らは、サクレの増援に遣わされたセグダーン隊の者です。」

 西門からサクレに飛び込むことに成功した彼らに、サクレ守備軍の幹部クラスだろう男が真っ赤な顔で状況を問いただしてきた。城代補佐と名乗った。

 応えたのは、戦車に乗った上官役の部下だ。馬の状態を確認しながら、レイドリックは城壁から追っ手に向けて、矢が放たれているのに耳を澄ます。空を裂く音だけだ。大丈夫。

「そんなことはわかっておる!! 何事が起きているのか、申せ!」

 斥候は昨日から徹底的に抑えたから、物見の情報が途絶えた末の騒ぎだ。さぞ不安も増していよう。

「かねて連絡のとおり、サクレの増援部隊として我ら連隊が遣わされ、旧遠海の第七王子を自称する男に率いられた天旋軍の哨戒を巧みに避け進軍して参ったのですが、本日アステ平原をまさに抜けようとするところで、サクレをめざして進軍していた敵軍と遭遇し、交戦状態に入りました。」

「なんと!?」

 火矢川を挟み『凪原』と接する国境の街サクレは、双方にとって戦略的な要地だ。ゆえにサクレを巡る攻防戦は想定され、優先的な増援も行われている。が、こうも早く火蓋が切って落とされ、しかも直接進軍してくるとは予想外だったろう(手間のかかる都市攻めの余裕など、ない、と斥候の報告から判断していたはずで、それは正しい。)

「はい。我らのことには気づいておらず、まさかの遭遇戦となりました。」

 あちこちに矢が刺さった戦車を見やり、補佐は唸っている。

「向こうは寄せ集めとはいえ、我らの倍に達する数。しかし、サクレから援軍をいただければ情勢はすぐに引っくり返せ、さらに奴らを逆に潰す機会となせるとセグダーン隊長の指示で、我等先行したのです。しかし、気づいた敵の一部に追いすがられ、というところでございました。」

 射抜かれた何人かは置いてこざるをえませんでした、と悲痛に呟いてから、

「城代さまはどちらにおいでです!? どうか、すぐに援軍をお送りください!!」

 補佐が、む、と言葉に詰まった。

「城代は――いまご不在だ。」

「なんですって!? いえ、セグダーン隊長と交替になるという話は聞いておりましたが、隊長の到着を待たずに、引継ぎも済まさず、まさか退城されたのでしょうか!?」

「半月近くも違えたのは、そちらだぞ。」

「それは人員や装備がなかなか揃わず、」

「あちらでもわが殿を待っておる。一度、赴き――、」

「では、サクレを預かっておられるのは補佐たるあなたさまでしょうか。」

 一小隊長が、副将格の言葉を遮るなど有り得ない。しかし、その無礼をあえて犯すことで、切迫感は煽られる。

「どうか、ただちに援軍のご裁可を! もし――もし! このままセグダーン隊が壊走となれば、敵はさらに勢いづき、増援なきサクレは孤立するは必定!」

 この要請が通らねば、身の破滅、声が震えて涙が滲む。

 サクレは国境の街だから、近隣のテュレ・ダユウなどが制圧下にある間は、本国との連絡・後方基地としての役割を担っていた。その為、城代をはじめ文官が多く配されていた。しかし天旋軍が北方を次々「解放」する現状である。つまりサクレと周辺街道は凪原本国と通じる貴重な「退路」だ。上層部は慌てて城代を武官に変更する措置をとったのだ。

「勢いづいているだけで、奴等は寄せ集めの烏合の衆に等しい。数さえあれば、歴戦のセグダーン隊長が必ず退けます!」

 責任を取りたくない、と顔に書いてあるごとき補佐は文官だ。騒ぎを聞きつけて、駆けつけた数人の中隊長級の軍人の顔色を窺い見る。ここで、レイドリックが恐れながら、という感じで、そっと小隊長に耳打ちした。何、と、観客を意識して大きく目を瞠る彼の天職は軍人でいいのか。

「この者が、我等を追いかけてきたのは、ヴォルゼ・ハークの部隊だと申しております。」

「なんと!?」

 視線を浴び、たじろいで下を向いた騎兵に、直答せよ、と言葉がかかる。

「私は勿論顔は分かりません。ただ距離を測ろうと後方を振り返った時、先頭近くに双短槍を帯びた騎士が見えました。」

「まさか・・・軍師自ら突出するなど、」

「確認すれば良いではありませんか! 奴等はうろうろとこちらの出方を見ているのでしょう? しかも、サクレにはテュレやダユウで天旋軍と戦った者も、身を寄せているのではありませんか!?」

 そういう訳で、場は城壁の上に移った。

 城壁からの矢が届かぬ位置に、100騎ほどで方円の陣を敷いている。場内からは遠眼鏡が持ち出された(近年、遠洋航海ブームと他花陸との技術交流で進歩が著しい)。

 テュレから退いた者が慌しく呼び立てられ、遠眼鏡を覗いた。そして間違いございませぬ、と太鼓判を押したのだ。

「乱戦の中でしたが、鶴翼の片方を指揮している姿を見ております。あの兜の下に見え隠れする妙な髪の色といい,確かに。」

 大丈夫と思っても、ひやりとする。今回の「隊」は、シュレザーン隊から構成してある。時間がない策だから意思疎通のしやすさと、何より面が割れる危険性がない、と軍師は判じた。

「仮にも軍師が、あのような少数で、本隊を抜けて追いかけてくるというのか!?」

 信じられぬ、と首を振る補佐と、頷く軍人たち。

「軍師と名乗りはしても、所詮は傭兵上がりの下郎。軍は寄せ集め、勢いだけで、実際は規律もなにもないということを表しているのでしょう。」

 名乗った覚えはない、と本人は強弁しそうだが、聞こえるものでもない。しらっと言ってのけた。

「しかし、軍の勢いを支えているのは確かにあの若造。捕らえるか、いっそ殺してしまえば、一気に弱体化が狙えましょう。これは絶好の機会と。」

「門を開き軍を繰り出せば、早々に逃げ出す構えだ。忌々しいことに射的範囲もきっちり見切っておるようじゃ。」

「・・試して、みますか?」

 声の震えを殺したのだろう。勝負を始めることへの怯え、けれどそれを察することができるのはレイドリックだけだ。ためらいがちに響いた筈だ。伏せていた目を僅かに上げて、気づかれぬように口の端を少し緩めてみせた

「これは、弓を能くやりまして、通常の倍の距離でも十矢に七矢は的中させる腕前でございます。」

 突然、話がまわったきたとばかりに大きく目を見開いた。困ったように小隊長、と呼ぶ。

「やらせてはいただけませんか? 城代殿の留守に迂闊に討って出て、万が一にも兵を損ねるわけにはいかぬという方々の立場も勿論、勿論分かっております。しかし、我らセグダーン隊長を窮地から、何とかお救いしたいのです。歴戦の隊長のこと、きっと切り抜けられるとは信じておりますが、我らは長征の果て、地の利は向こうに傾いている――ですからこれは、神が我らに与えてくださった好機と存じます!」

 ――そして。

 レイドリックは城壁の上で弓に矢をつがえようとしていた。城壁の内に目を転ずれば、駐留兵のうち、およそ2/3の兵が出番を待っている。彼が「成功」すれば、混乱する先駆隊へ一気に襲い掛かり、その首を掲げてアクテの野の主戦場へ雪崩込む。

 「成功」しなければ、城門が開かない。

 それは自分たち「潜入隊」の死を意味する。アクテの野の戦いは終わり、壊走してセグダーン隊に証言されれば終わりだ。

 外せない――軍師ヴォルゼ・ハークの胸を真っ直ぐに射抜かねばならぬ。

 ゆっくり息を吐き出し、傍で様子を窺っていた兵に視線を向けた。頷きを受けて、兵は旗を振る。準備が整った、と城門前に兵団に伝えるためだ。

 小さな旗だが、からも確認ができるはずだ。

 傍らの騎兵と顔を寄せて何か話をしていた軍師は、別の騎兵から城壁の動きを注進されて正面に体を向ける。

 遠眼鏡を預かる兵が好機とばかりにレイドリックを振り返ったが、研ぎ澄まされた空気に圧倒されるように後ずさっていた。

 きり、弦が小さく鳴った。特に大きな構えではない。指先が小さく動く。

 ふっ、と風に混じるように矢が弓を離れた。

 剣のようにじかに肉を断つわけではないのに、命中あたったと感じる掌を、レイドリックは静かに握りこんだ。

 果たして。

 遠眼鏡の兵が、

「命中! 胸部中央! 出血確認! 落馬!」

 と状況を矢継ぎ早に叫んだ。三つめの報告にはぎょっとなったが、竦んでいる場合ではない。陣形を崩して、混乱に陥った(はずの)天旋軍を掃討すべく、眼下の兵は、まるで堰を溢れ出す流れ出す濁流のごとく、まだ開ききらない門の間を抜けていく。

「首だ! ヴォルゼ・ハークの首を取れ!」

 将のひとりが叫び、唱和する声が城壁に木霊して地鳴りのように耳奥を揺さぶる。

 方陣はまだ崩れない。落馬した軍師は人垣の中に引き込まれ確認できないが、掲げられた軍旗は「続行」の指示だ。

 用が済んだ弓手に関心を向ける者はいない。レイドリックは降りるべき階段を何食わぬ顔で通り過ぎ、次の小塔に向けてはじめは早足に、そして全力で駆けだした。


 方陣を解かず、部隊が動かぬのは軍師の「処置」をしているためだ、と判断した。

 自力で馬に乗れぬほどの深手、あるいは既に息絶えたか。

 一兵卒なら遺棄だが、傭兵とはいえ「軍師」だ。何とか連れ帰る方策に苦心しているのだろう。

 なれば戦法は退路を防ぎ、数で押し包んで殲滅する単純なものでいい。

 先駆けの部隊が左から回り込み、最後尾の兵も城門から出てこちらは右まわりに進む。閉門を告げる太鼓が鳴る。

 鈍い、城門が閉じられる音。進撃してきた兵も、安易に逃げ帰れないということだ。自らを奮い立たせ、敵を威圧しようとする雄叫びはまさに満ちようとした瞬間、ぱっくりと掻き消えることになった。

 天旋軍の旗手の一人が、軍旗を空に投げ上げたのだ。

 それは合図だった。

 陣はぱっと6つの小隊に分かれて、いま閉じようとしていた袋の口以外の方向に散ったのだ。何事かと瞠った目は、集団の中の一騎を認めることになる。

「双短槍の騎士がいるぞ!!」

 と。

「ヴォルゼ・ハークだ! 逃すな!」

 から叫びが上がり、獲物を見出した熱気と怒号が渦を巻く。

「・・・!? 待て!!」

 はっとあたりを者たちの声は時既に遅く。

 駆け出した猟犬が簡単に止まらぬように、隊列はぐにゃりと歪んだ。

 各小隊それぞれに、双短槍をこれみよがしに背負った騎士がいる。いずれかが〈あるいはいずれもが〉囮なのは分かる。が、疾走する馬の背の相手を見比べても――判断できる材料はない。

 となれば、数で勝っているのだから、当初の予定通り全滅させれば同じだ、と思考は傾く。なし崩しに各個撃破となって、追う側も小さく千切れていった。

 隊列を乱したことで強固な指揮系統がないことを露呈し、数という利点を手放したのを、「名」と呼ばれる軍師が見逃すはずはなかった。いや、それを見透かし、巧みに誘ったというべきか。

 空に、小旗が投げ上げられた。青空に鮮やかな黄がひらめくのを追いかけて、各小隊から同じように旗が舞う。なんだと戸惑いが広がるより早く、今度は赤と白の旗が飛んだ。

 無造作に、だが確かに意志が込められた双色に、天旋軍は瞬く間にすばやく反応した。行く手を塞ぐ守備隊を、歴戦を経た、手だれの余裕で切り伏せる。赤の旗に従った兵は城門側へ、白の旗に従った兵は街道奥へ隊列を整え終える。そして、それを待っていたのだろう。高く、長く笛が風を震わせ、・・・太い角笛が場を圧するように応えて、森との中から歩兵主体の、五倍の伏兵が「戦場」が呼び出された!

 こうして大勢は逆転し、守備隊は三方から逆に包囲されるに至ったのである。


 続きは、きわめて散文的だ。烏合の衆と課した守備隊は押し包まれる形で、三方から波状攻撃を受けて、白旗を上げた。

 吟遊詩人が「アステの戦い」と括られる一連を題材として選ぶとき、見せ場を、躍動感溢れる平原の戦いとするか、手に汗握る西門の攻防を選ぶか、王子と軍師のどちらの物語で進めていたかで分かれるだろう。どちらであっても聞き手はその勝利に熱狂する、宴たけなわの席で好まれる演目だ。語り手によっては、小さな子どもが同席していたりすると、最後に、大公女の挿話を副えることもある。

 ライヴァートが勝ち、ヴォルゼ・ハークの知謀を目の当たりにした残留隊の動揺があり、そして潜入隊がそれを煽った前提があって、お膳立てされた「登場」ではあるが、子馬に騎乗した幼いサクレ大公女が、静まり返った南大門に向かって声をかけ、南大門は応えた民の手で開放される一幕だ。

 一端の女戦士のように凛々しく、または稚けなく涙を浮かべて――。

 吟遊詩人はさまざまに語るが、記録には「サクレ大公女、南大門より入場す。南大門には民が集い、大公女を迎えて門を開く。」と記されるのみだ。

 確かなのは現在、大公女が成人して、領主としてサクレへ帰還する日を、サクレの民は待ちわびているということだ。

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