5

〔軍師〕に再び会ったのは夕食の――正確には準備の場だ。

 賄部隊は置かず、配給された食材を小部隊ごとに食事作りをするスタイルらしい。小さな隊商が集っているような様だが、寄り合い所帯ならではの兵員の増加にも対応しやすく、毒の混入などの危険も減らせる。

 軍主の席も、特別な設えはなかった。集合してきた面々が手分けして調理していくのだが、幼い大公女が芋の皮を剥いているし、王子は火の番をしていた。

「・・・変わったことをしているな?」

 軍師は塩漬けの肉を小ぶりの林檎に巻きつけて、くしを挿している。

「今日はお客さんがいるからな。ちょっと特別だ。」

 王子の問いに、彼は手持ち無沙汰に様子を見守っている将軍と副官〔あるいは元帥と将軍〕にちらっと笑いかけた。

「こうやって焼くと、果汁が染みてちょっとはマシな風味になると思うんで。」

 さいころサイズに切った芋を鍋に入れた大公女が手元を覗き込んだ。

「一つ食べちゃ駄目?」

 子どもの握りこぶし程だが、紅い皮は食欲をそそる。

「匂いはいいが、酸っぱいぞ。野生だ。渋みもあるし、生はお勧めしない。」

 自身が偵察の折に拾って持ち込んだとか。そういった「自己責任」のアレンジも隊商護衛の傭兵らしい。・・が、続いた言葉は実に「家庭的」だった。

「蜜を入れてジャムとか、焼き林檎もいいかもな。いっそパイなんかも。」

 しょんぼり一転目を輝かせる少女に、

「終わって、どこかで窯が借りられたら焼いてやる。また結構残ってるし。」

「ホント!?」

「手伝えよ?」

 指先は汚れているからか、少女の頭上に肘を軽く置いて笑う。大きく頷いて、少女は皮むきの後片付けに走って行った。

「楽しみがないとな。俺なんか、母親に何を頼もうか、くらいがせいぜいの悩みだったぞ、あのくらいの頃。」

 手際よく火のそばに串を立てかけていく。ジジ、と肉が焼ける香ばしい匂いが上がった。

「こんな戦場ところまで連れ回してるのは、大人の都合かってだ。だから、たまにあいつの都合すきに合わせてやるべきだと俺は思っちまうんだが? ・・・何だよ、その生温かい目は?」

「お前はなんていうか、そういう発想ところは・・・普通というか健全というか・・・」

 王子は感動したように言ったものだ。

「戦場での、あのえげつない発想の主とは思えない!」

「・・・喧嘩を売ってるのか?」

「いや、感動している!」

「はあ?」

「わたしの母は毒見がちゃんと為されているかは気にしてはいたがね。」

「・・・はあ?」

 同じ返しだが、先のは地を這うようだったが、こちらは少しトーンが上がった。

「母に第一に求められていたのは、わたしの養育ではなく、国王の愛妃としての振舞いだからな。わたしのために焼き菓子を作る時間があるなら、爪を美しく染めるのにあてるべきで、わたしも母と菓子を作る時間があるなら、一冊でも多く本を読むなど、王子に生まれた者として相応しい振舞いを身につける時間に振り分けなさいと諭されただろう。」

「王子様の言い回しは上品だ」

 テーブルに塩もみの野菜と、炊き上がったごはんをそれぞれ運んできた娘二人が口を挟んだ。

 ふわふわした薄金の髪の小柄な娘と、大柄で日に焼けた肌に碧い瞳が印象的な娘。姿もだが、肩書きも隣国『白舞』の国務大臣令嬢たる治療師に、北の花陸ノーデブラットからライヴァートの頼みで時季外れの困難な航路に船を渡らせた海賊の女頭領、と対照的だ。

「大人が勝手すきに振舞いたいばかりに、財力を盾どって、こどもを放棄する。召使なんて、綺麗に服着せて、餌与えるみたいに時間を守って、見た目豪華な食卓を設えてれば仕事と思ってる。そんな冷たい部屋で子どもは大人になって、それが当たり前と思ってるから、事態はスパイラルするのさ。」

 碧い瞳に辛辣な色を湛えて言い吐いた。王子は軽く肩を竦めた。

「わたし達のような変わり者でない限りは、か。」

「上ツ方はご苦労さまですわ。」

 こちらの言葉には軍師が同意とばかりに肩を揺らした。

「何にせよ、あの子にはお前が言う通りでいいと思う。あの子が奪われたものを返してやることはできないが、わたしたちが与えられることはしてやりたい。」

「よし、じゃあ、お前らも混ざれ!」

「まあ、よろしいの? わたくし、お菓子作りなんて何年ぶりでしょう。楽しみだわ。」

「計量は得意だ。」

「型抜きとかしてみたいな。針金とかでいいのか、あれ?」

「はいはい、じゃクッキーも作るな。」

 王子を囲んでの会話とも、戦を控えた軍のトップたちとも思えない、ほんわりとした空気だ。つい目は丸くなるし、たるんでる、と現役の頃なら怒鳴り飛ばしただろう。いや、飛ばすべきか。

「エヴィ、」

 その顔色に気づいたのは、幼い大公女だった。皿を並べ終えて、こちらを見た少女は小首を傾げ、手近にいた軍師の服をひっぱった。人見知りな性質なのだろうか、軍師の背中にへばりつくようにして、半分顔をのぞかせている。

「お客様、」

 小さな一言に、全員がはっとしたように一斉にこちらを向き、バツが悪そうに視線を飛ばした、

「すみません、どうも俺たち軍隊っぽく振舞うのが身につかなくて。」

「仲間内になると、この面子だけで乗り切っていた頃の調子でついつい。元帥、どうぞ遠慮なくご指導ください。」

「・・・そうですな、気の置けぬ仲間とは得がたいものです。また四角四面に既存の規律を当て嵌めるのが正しいというわけではないでしょう。」

 そう、もはや自分が知っていた国はのだ。空っぽ。その空を埋めようとする彼らが、ふくろに何を選び、詰めるのかは、自由だ。

「信じられるままになさいませ、殿下。あなたの選択が、このお仲間であり、ひいては勝利であったのですから。あなたの国を我らはみせていただこうと思っております。そして,それを支えさせていただきたい。」

「――責任重大だな、殿下。」

 笑いぶくみに囁いた軍師に、王子の顔色が代わった。低い声が問いただすように発せられた。

「他人事だな?」

 いやな雰囲気に,軍師は眉をはねあげ、を向いた。竃の脇に置いていた木の大皿に焼いていた肉を手早く盛ると、飯にしようぜ、と誰にともない声を上げた。

「ライ、」

 男装の麗人が王子を制した。

「カノンのいうように客人の前だ。焦って白黒つける話でもあるまい? なにせ明日には斃れるかも知れない身だ。」

 気持ちを解そうと最後は冗談めかした口調で言って、男同士のようにぽん、と肩を叩く。眉間は寄ったままだが、王子は「仲裁」を受け入れることにしたらしく、軽く笑い返して鍋を火から下ろすべく踵を返していった。

 和気藹々から一転してぴりと張り詰めた空気に、客人ふたりはそっと顔を見合わせたが、ここは黙って席に付くことにした。


 食後には茶が配られた。

 カップが一つ、卓上で湯気を揺らしていた。

 一見同じに見えるが、中身は違うとのことで、王子は顔と中身を見比べつつ、かなり真剣な顔で配付している。

 ずっといない、と気づいたのはその時のこと。

 食事の最中も、頻繁に呼びたてられていた。最初は気にしていたのだが、解けた瞬間顎が落ちそうだった誤解や、これまでの『冒険』の顛末を聞くことにすっかり意識は向いていた。

「内密に。」

 と、元帥と将軍に渡されたカップからは葡萄酒の匂いがした。戦を控えた陣であるから、軍主の食事とはいえアルコールは付かなかったが。

「それぞれ安眠茶ということだ。」

 生(き)ではなく、ハーブ茶とブレンドして温めたものだ。小さな姫君は蜂蜜を溶いて、治療師は甘味なしのハーブ茶。男性陣と女海賊はワインの量を適宜変えているそうだ。

「カノンを送りながら、届けてくるよ。私もそのまま失礼する。あんたはどうする?」

「わたくしも失礼しますわ。休めるときには休まなくては。明日、軍議が終われば、こうしてゆっくりお食事すらできなくなるでしょうし。」

 女性陣はカップを手に、おやすみなさといと席を立った。

 月の輪郭が次第に鮮やかになっていく空を、王子は静かに仰いでいた。

「軍議は明日、ですか?」

「エヴィ次第ではありますが・・・はい。」

 年長者への敬意を貫く王子は丁寧な話し方を崩さない。

「彼は・・・?」

「天幕で思案中ですね、消えたところからすると。そういうわけで、おれはもう少しここにいますので、」

 なにがそういう訳なのかという問いが顔に映ったらしい。天幕が一緒、とまた目を丸くさせる解答が戻ってきた。

資金かね不足と単純に男女で部屋割りしていて、あとは一人より二人という危険リスク回避で。・・・いまは逆に、危険リスク回避のため一緒にいるべきではない、と眉を顰められるので、そろそろ潮時なのでしょうが。」

 寂しげに笑わせるのも、

王と軍師トップが一緒に在るというのは、襲うものに幸運を与えるようなものですからな。」

「ご身分を弁えてとか、お為ごかしに吐く輩を喜ばせるのは業腹なんですがね。」

 この毒も、私情おもいの深さゆえだ。

「・・・お二人に会って僅か半日ですが、お互いを頼りに思い、双翼と申しましょうか、共に進もうという意思がたびたびに感じられました。」

 孫のようなふたりだ。

「しかし、殿下は焦っておられるような印象も持ちました。」

 十二で『林檎の白い花の都アヴァロン』に入り、十四の頃には独りノーデの花陸行きの船に乗った。王族としての総ての特権を捨て、己の才覚ひとつで道を切り開く覚悟の、二度と戻らぬ道行きであったはずだ。そしていま二十半ば。己が職を退いた時、彼の長兄が同年代だった。その面影にはあった幼さや甘えを年相応と思っていたが、削ぎ取ると、こんな揺るがぬ顔になれるのだ。

「殿下にとって、軍師どのはおそらく初めての、己と同等の者ではありませんかな?」

 穏やかで、親しみやすい物腰。けれど、それだけならシャイデごと捨てるというに出はしない。

「追いかけるのは初めてなので、おっしゃる通りやも知れません。」

 にっこりと。

「・・・そうですね、急いては事を仕損じるの例えの通り、あいつが本気で逃げる計画を立てると、確かに面倒になる。」

「逃げ・・はしないかと、」

 レイドリックは信じがたいという顔だ。

 『遠海』が再興されれた暁には、戦の立役者として、新王の腹心として立身出世、栄耀栄華は約束されたような状況(もの)だ。隊商護衛の傭兵という、日銭稼ぎの、いわば底辺で生きていた者にとって望外の幸運の筈である。拒んでのは、値を吊り上げるためではないか。

「――判断ジャッジはお任せするよ。」

 辛い物言いが口をついたが、そんな一般論はもう十分吟味済みなのだろう。困ったように微笑まれ慌てて頭を下げた。

「ご無礼いたしました!」

「軍師と扱っていても、正式な地位ではないからね。雑音を抑えてやろうと、叙爵の約束をしようと言えば【肩が凝る】、ならせめて将軍としてお披露目しようというと【そんな肩書きもらったら、今後の仕事に差し障る】とか。」

 栄達を望まないから信用できる、望まないから、ねがいが見通せなくて不安になるのだ。

「・・・どうにも目立ちたくない、という様子ですな。」

 闊達。物怖じしない。そして誠実だ。短い時間だが、その人物像が大きく外れているとは思えない。

「詳しい出自はどうなのでしょうか。父親も傭兵だとかいう話は聞きましたが。」

「それは義父でしょう。12,3で東ラジェに出てきた時に、仕事の面倒を見てくれた人らしいですね。母親が死んで、父親の世話になる気はなかったから、傭兵だったら食っていけると思って出てきたとか。子どもの恩人ということです。」

 更に規模の大きい「家出」を決行した人の言である。

「状況からすると妾腹で、実家がらみで何か名を表沙汰にできぬ柵が、」

「さあ? 名前が広まるといっても、本名じゃないでしょうし。」

「ああ、ヴォルザ・ハーク・・・」

 昔馴染みらしい傭兵たちは,「エヴィ」と呼んでいた。愛称としてはまったく結びつかない。

「俺と長い付き合いをする気はなかったんですよ、あいつは。」

 王子は笑った。

「とっさに名乗って、さっさと消息不明になるはずが----ほだされて。エヴィと呼ぶ傭兵たちかおなじみに再会してしまって・・・そのエヴィにしても----通り名でしょうね、傭兵としての。思い切り女名でしょう? ないですよ。――あいつが誰だったって今更です。」

 懐が広いというのか、恐ろしいことを平然と言う。

「すみません愚痴りました――おれはもう少しこっちで待機します。お二人はどうぞお休みになってください。」

 王子の視線に応えて、控えていた兵が現れた。疲れているのは確かで、戦が迫っているのだから二人は顔を見合わせると立ち上がった。

「・・調べてみるべきだろうな。」

 先導する兵には聞こえないよう声を抑えて、元帥は言った。

「係累絡みだろう。」

 昼間の、以前から知己だった傭兵の口ぶりからすると、品行方正な部類のようだし、後暗い過去を背負ってラジェに逃げ込んできたにしては始まりが若すぎる。

 『母親が死んで、父親の世話になる気はなかった』が、一番考えられる可能性は妾腹。しかし、どんなに折り合いが悪かったにしろ「我が家の誇り」と諸手を挙げそうだが、それも拒否するほど許せないのか(ベクトル先は定かでないが)。

「・・罪過を負った家系いえか、――『凪原』か。」

「まさか。」

 とは応じたが、それこそ正しいピースのように思えた。

 卑劣な奇襲で攻め入り、国土と国民を蹂躙し続ける、憎んで余りある敵国。係累がある者が、我が軍の中枢たることで、考えられる綻びは幾つもある。

 

 「軍師どのにお取次ぎ願いたい。」

 元帥の気性(たぶんに年のせいもある)は、朝を待てなかった。

 天幕の外に配置されていた警備兵は軽く目を見交わし、槍を引いた。

「どうぞ、お通り下さい。」

 伺いを立てない応答に目を瞠ると、

「殿下がご一緒でない時は、訪ねて来られる方はすべて通すように申し渡されております。」

 とのこと。

「・・・いささか、無用心ではないかな?」

「軍師に用があると申される方は、軍のために何か考えをお持ちの方だから、話を聞かなければならない、と仰せです。」

 良い話ばかりとは限らないから、かなり覚悟のいる指示だと思う。

「・・・出入りが自由なら、目立ちませんね。」

 内通を危ぶんで囁く部下を「滅多な事を」と嗜めると、元帥は自ら入り口の布を持ち上げて天幕に踏み入った。

 王子が使うにしては質素で、小ぶりの天幕だ。本来は連隊長級の設えだろう。

 折りたたみ式の寝台はまだ畳まれていて、敷き布の上に低い卓がある。小ぶりのランプが卓上と入り口近くに置かれて、頬杖をついた横顔を淡く照らしていた。卓上に落ちていた視線が気配を察して、巡らされた。

「--どうされました? シュレザーン元帥。」

『どうした? シュレザーン』

 その、瞬間。懐かしい、記憶の奥底で眠っていた声と姿が、二重写しになったのだ。

 左手は頬から外れ、右手はゆっくりとペンを置く。真っ直ぐにこちらを見た。

 あの、頃。徴用されたばかりの、少年兵すら名を呼んだ最初の上官――。

「――閣下?」

 軍師を凝視したまま、絶句している主にレイドリックが気遣わしげな声をかけた。

「ご気分でも?」

 腰を浮かせた軍師を手で制すると、元帥はゆっくり息を吐きながら、同じように敷物の上に腰を下ろした。

「っ、そなた、」

 髪の色はなんだった? 瞳は?

 ――いや、「狩鈴」が鳴らないのなら、その可能性はない・・。

 あの方は綺族中の綺族の出だった。

「はい?」

「生まれを申せ。」

王都セテグですが?」

 あっさりと答えは返ってきた。

「朱門側の、第三壁区に十二の直前までいました。」

 それが何か?と軽く首を傾げ、ああ、と笑った。

「ご心配をかけたんですね? 俺がライの勧誘につれないから、後暗い事情があると。実は『凪原』に籍があるとか、大盗賊の息子とか。」

 あっけらかんとした物言いは、たぶんこれが最初ではないからだろう。

「あいつが妙に律儀だから、叙爵だの官位だの言うんです。戦の間は俺も役立てることがあるでしょうけど、政治とか?無理ですよ。物語じゃないんだから、傭兵がそんな褒美もらったって、持て余して――持て余し者になるのが目に見えてませんか? 俺の予定としては、少し多めの手当てもらって、義父のもとに顔出して、ちょっとのんびりしたいなあと。それをあいつは怠け者とか、不公平とか思ってるんです。傭兵と次期王様を同列に並べてどうするんですかね。」

 にこやかに、滑らかに。――もう言い訳は飽きたと・・・あるいは何か追求されるのを恐れるように。

「俺の素性なら、在ラジェの傭兵ならみんな証してくれますから誰でも何人でも呼んで聞いてください。俺は地味な駆け出しでしたけど、義父はけっこう知られた傭兵ですから。」

 ラジェ以前が問われていると分かっているのに、のらりくらりした様子に苛立たしげに眉を上げたレイドリックを、軍師が不意に真っ直ぐに見たのだ。

「知られていた、と言った方が正しいかな。〈巌のガイツ〉、数年前に引退を余儀なくされまして、いまはラジェで飯屋を。」

 射抜くような双眸だった。今日一番厳しい色がそこに宿っていた。レイドリックの瞳をゆっくり見つめて、こちらも息を呑んだ元帥へと、視点を切り替えた。

「次の戦で彼を、〈シュレザーン〉を作戦にお借りしたいのですが。いかがですか?」

 事務的な声だ。

「弓が堪能な者を探しておりました。傭兵に求められる必須技能じゃないんで、なかなか適任がおらず、一通りは習ったが趣味じゃないから国を出た後は一度も引いてない、というライに任せる博打に出るか、いっそ止めると思案していたのですが、彼なら適任です。」

「――そなたも・・・いたのかね?」

 かつて名を継がせた男の、血の気が失せた顔を気遣わしげに一瞥して、元帥は硬い声で問うた。

「いいえ、別の護衛に出ていたので。――それが俺の後悔です。・・・どうして、という思いはありますが。彼も、被害者だというのは弁えてます。」

 天幕には沈黙が落ちた。

 彼は、まいったというようにガシガシと髪をかきあげた。

「・・・なんか脅してるみたいになっちまって。こんな風に射手の件、持ち出すつもりではなかったって今更ですね。本当は明日の軍議で、ライヴァートに依頼させるつもりで。」

 ああ、言い訳だと自己嫌悪を滲ませて呟く姿が演技カモフラージュなら、これはもう軍人風情が太刀打ちできる相手ではなく、もう仕方ない

「いや、そういう流れにしたのは我らだ。」

 信じてみよう、信じたい、と思ったのだ。

 その瞳は、翳りはしても澱みは無く、懐かしきひとを彷彿とさせる。

「先々代の、」

 ふと言葉が口をついた。天幕の入り口を自ら持ち上げ、彼らを送り出そうとしていた軍師が、小首を傾げてこちらを見た。

「朱海公爵を知っているか?」

「は? いえ、寡聞にして?」

 余程思いがけぬ問いだったのか、妙なところに?がついた喋りになった。別に責めるつもりはない。それ程の時間が流れたのだと、寂寥にも似た思いが寄せるだけだ。そうであろうな、と呟いて、

「そなたらが生まれる、ずっと以前に名将の称号(な)を欲しいままにされた方だ。私の最初の上官となる。といっても、従僕にすぎぬ身で教えを請う機会はもちろんなかったが、軍議前には必ずお一人でそうやって頬杖をつかれてじっと考え込んでおられた。いま、そなたを見て、ふと重なった。」

 だから、そなたも励め、というつもりだったのだ。

 息も止まる思いだった――というのは、後の告白である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る