2

 「だから、そいつは何もしてないんだってば。」

 一時間テムク後、都護府の詰所に舞台は移っていた。簡単にいえば、彼は都廻り役に連行され、男は(無理やり)同行して、ここにいる。

「それは、こっちが判断することだ。いい加減、帰れ。セトム。」

「いいや、帰らない。冤罪というヤツが、いままさに作られようとしているんだ。」

「いやいや、そいつが抜刀していたのは紛れもない事実だろうが。」

「それは、彼が『影齧り』を何とかしようとしていたからだと言ってるだろうが。」

「『影齧り』ねぇ。」

「たいへんだったんだぞ。こう、影がへんに切れて。像みたい固まってて。ああ、だから見てないヤツはっ。」

「奇怪な状態だったらしいことは推測できる。『影齧り』なんて眉唾の、集団ヒステリーみたいなもんかと思ってたが・・・、」

「ヒステリー!? ンなわけがあるかって! こいつがいなかったら、あの連中は影を喰っただけでは飽き足らずに地上に這い上がってきた化け物に骨まで食い尽くされていたかも知れないんだぞ!?」

「想像、たくましくしすぎだろ・・・」

「事実だ!」

「・・・いや、だから、どうしてそいつが阻んだと思えるんだ?」

「そうでしかないだろうが。彼が剣を地面に突き立てたら収まったんだ!」

「――そーか、」

「なんだ、その信じられませんてゆー調子は、」

 埒があかないと深々と溜息をついて、役人は視線の先を切り替えた。当事者のはずだが、男――セトムの勢いにすっかり蚊帳の外というか、ふたりのやりとりに爆笑を耐える顔つきだ。

「とりあえず、帯剣許可書を出してくれれば収まる話なんだがね。」

 にこやかといってよい表情と彼の身なりを見直して、役人はげんなりした気分になった。重厚な造りにはほど遠いとはいえ、都護府の一室で、任意とはいえ連行された身の上である。

「残念ながら、ない袖はふれないんだ。」

 身体検査はしなかったが、彼はさっさと鋼を仕込んだ革の手甲と、懐や長靴に仕込んでいた単刀数本を卓上に並べ、脱いだマントを椅子の背にかけた。長剣はあの場から役人に預けたままだ。

 上着の下からのぞく胴着ベストは、布や毛糸を編んで刺繍などの飾りを施した最近の流行ファッションではなく、薄革仕立てで本来の軽鎧の性格を持ったものだ。

「在はドゥォーン? それともラジェ?」

 終戦から一年半。職務中の軍人ならともかく、軽備とはいえ軍装を整えて街歩きをしようという王都民はいない。商隊警護の傭兵か暁所属の兵たち――王都へ旅してくる者ならば、

 三段論法である。

「許可書の件はご存知だったかな?」

「ああ。導入いれるという話は。」

 導入はいるではなく。

「宿舎に伝言を持たせますか? 隊でまとめて下ろしていると考えますが。」

 暁の兵団は旧玄公の焼け跡を整備して宿舎にしている。

「不携帯の罰はどれほどに定めていたかな?」

 彼の口から出たのは、その答えではなかった。

「武器の没収と処払いが原則ですが、身元引受人がいる場合は罰金で済む場合もありますし、逆に人に危害、ものの損壊につながった場合は下は杖罰から適応になります。」

 彼は帯剣許可書不携帯の上、抜剣をした事実はあるが、その現場で起こっていた大量失神と結びつく物証はない。許可書持参がてらの身元引受人が現れれば、即釈放で構わない。と続けてみれば、恩人になんだーと喚く外野が出たが、それに対応する余裕は次の彼の言葉で失われた。

「温情ある申し出だが、問題が幾つか。まず一点、玄に連絡しても私に許可書は出せないだろう。二点目、私はそれに記名サインする意志がない。」

 卓上に置かれた調書をコツンと指で叩いて、彼はなんでもないことのように言った。

「・・・それでは執行妨害で入牢してもらわねばなりませんよ。」

 身元を明かしたくないということだろうが、そういう人間は屈辱にも耐えられないものだ。どんなご大層な身分か知らないが、我が侭は通らないと軽く脅かした・・・つもりだった。

「二日くらいかな? 武器も没収でいいし、罰金も手持ちで払えるだろう。処払いも受け入れる。まさか永久(なが)にはならない・・・と思うが?」

「まあ、許可書と身元証明が整えば・・・半年くらいかと。」

 どういう展開だ、と目を白黒させるのを尻目に、すべて解決とばかりに笑った。

よろしく。」


 「あれはなんだ、」

 (無理やり)牢に案内させていった背を見送って、役人は男を振り向いた。

「だから、坊ちゃんだよ。表通りの、ほら門扉に蔦薔薇が絡んでいた屋敷の、」

「綺族の妾と子どもが住んでたっていう話は聞いたことがある。」

 だから一緒に遊んだろ、と言いかけ、この幼なじみが自分より1年ほど年上だったことに思い至る。

「入れ違いかあ!」

「で? 名前は?」

「・・・坊ちゃん?」

 冷たいに、

「子どもの記憶に頼るなよ! 都護府そっちで調べりゃいいじゃないか。過去の台帳とか。」

「んなもの、【凪原やつ】ら持ち出されて、都護府が焼かれた時に灰になってるさ。」

 そもそも綺族の妾宅が登録されていたとも考えにくいが。

「どうすんだ? 本当に二日も入牢いれとくのかよ?」

 遵法もいいが、(許可書の件はうっかりだと思うが)彼が剣を抜いてくれたからこそ、あの恐怖から救われたと信じているセトムは不満げに唇を尖らせている。身分は職人と下級士族だが、幼なじみゆえの遠慮のなさである。

「不審人物だ。」

 自棄気味に言い返し、本当に堅物、とぶつぶつ言うのは無視し役人は「坊ちゃん」を案内していったのとは違う場廻り(都廻り役に付いて様々働く者たちのこと)を呼びつける。卓上に残された長剣を持ち上げて、きつく眉を寄せた。

 自分が帯びているものも(収入の範囲で)吟味し気に入って購ったものだが、これはクラスが全く違う。実用本位で飾気もないが、ただ手にしただけで何かが伝わってくるような・・・名匠の業物とはきっとこういう品をいうのだろう。

 場廻りのような軽輩では門前払いの可能性もあることは承知の上だ。朱玄公爵直属の隊である。しかし、人手不足の昨今、今夜の夜番の都廻り役は自分ともう一人だけで、行きだけでたっぷり一時間はかかる王都の逆側にある旧・玄邸へ赴く判断は下せなかった。そもそも、そこまでする事件でもない。それでも遣いを出すのは、保身の意識が掠めたからだ。

 大切な坊ちゃんを行方知れずに――と、自らの所行を棚に上げる権力者の気質を憂う。

 照会に応じないなら、責任は向こうだ。

 役人気質だな、とうんざりしながら、暁の宿舎への使いを命じるのだ。


 持込を許可されたマントにくるまって、彼は寝台に横になっていた。

 重大事件であれば、地区統府へと移送されるから、喧嘩や酔客、かっぱらいなどの軽微な者たちを収容する詰所の牢の数は少なく、雑居房として使われるのが普通だが、彼は一人だった。配慮かと思ったが、隣とその奥にも人の気配はないから、単に今日は空いている日なのだろう。

 明らかに眠っている規則的な呼吸は、男が格子に近づくとぴたりと止まった。むくりと起き上がり、こちらに目を据えた。

「帰らなかったのか? もう結構な時間だと思うが。」

 心配そうに言うのに、袋を掲げてみせ、格子の前に座り込む。

「【赤い木の実】亭に戻って様子見てきた、で、差し入れ。」

 肉や卵、野菜を挟んだパン、数種類のチーズ、水筒には蜜柑の果汁ジュース。彼は嬉しそうに目を瞠った。

「助かる。少し摘んだぐらいだったから、かなり空腹で、しょうがないから寝てようかという具合だった。」

 その言葉は本当だったようで、相伴するつもりでかなりの量を持ち込んだのだが、二十ガクもせずにあらかたをふたりは食べきっていた。

「うん、幸せだな。」

 格子の中で、笑顔でそんなことをいうのだ。

「だって、あんた、綺族さまで、暁の幹部なんだろ? こんな下町の安食堂のメシで、そんな褒められても、」

「いや、実際おいしいし。旨いと感じるのは重要だぞ。たまに夜会とか行かされるが、冷め切って乾燥してるし、食べる余裕なんぞほぼ与えられないし、豪華な飾り物だな、あれは。材料の質は比べられないが、食べてもらうという気持ちがたくさん入っている料理は旨いよ。」

「店主に、伝えておく。」

「大隊長にも、気をつかってもらって感謝する。おいしかった。」

 深く頭を下げられて、口から出たのは次の台詞だ。

「――-あんた、本当に綺族か?」

 綺族にあんた呼ばわりもどうかなのだが、つい口走った。

「うーん、そんな暮らしはしてこなかったし、[暁]では傭兵時代となにが変わるのかという・・それが問題だとも言われるが。まあ王都に来た時は適当に合わせるのも義務かと思ってやってみてはいるんだが、」

「傭兵・・・してたのか?」

 てっきり父方に引き取られて、士官から騎士の流れかと思っていた。

「ああ、母が亡くなってすぐからラジェで護衛の仕事をしていた。」

 傭兵。ラジェ。なるほど、男は頷いた。その経歴ゆえの[暁]所属なのだ。

「なあ、聞いていい?」

 あくびをかみ殺した彼は、好奇心いっぱいという目をした幼なじみに苦笑いする。

「朱玄公爵はどんな人か、か?」

 [暁]所属の避けて通れない道なのだろう。やれやれ、という感じで質問を先取りした。

「どうして、そんなに聞きたいのかねぇ。」

「そりあ、救国の、いや救世の英雄の一人で、時の人で、ミステリアスでドラマティックで、」

「吟遊歌の聴きすぎ、辻芝居の見すぎだ。」

 針小棒大に近い新作が溢れるように披露され、人気の歌人や一座は満員御礼が当たり前の昨今だ。[本人]と近いとなれば、隠された真実ほんとうはないものか、と目を輝かせる。しかし、「真実」が求められているのかというとそうでもなく、「欲しい」のは、滅国を何とか免れた国民の気持ちを浮揚させる役割を果たす、誇らしい「英雄」の「像」だ。だから、いまのところ誇張に目をつぶって、というか、むしろ政府関係者が「ネタ」を卸すことも多い。

「吟遊詩人のような語り口はできんぞ。見たままつーか、」

「いや,それが聞きたいんだって。伝説を直接知っているヤツの話なんて,すごすぎるだろ?!」

「伝説・・」

 口の中で何やらぼやきつつも,

「――寝ちまったら、ごめんな。」

 期待の籠った目に諦めたように息を吐き、ころ、と寝台に横になった彼は、寝物語に話してくれるらしい。差し入れの礼のつもりかも知れない。男ももう今夜はここにお世話になってしまおう、と思っていたから、近くの備品棚を漁って毛布を拝借してきて、格子の前で丸まった。

「で、公爵の何を聞きたいんだ?」

「うーん、そうだなあ・・・あ、ほら四方・・・朱玄公爵の正体とか、まわりは本当に全然気づかなかったのかなあって。傭兵で身分がないからって、危険なこととか、面倒なこととか引き受けさせられたり、酷いこと言われたり、蔑ろにされたりして、おれだったら、いらっとして言っちゃうね。『わたしをだれだと思っている。』ってさ。『宝剣事件』のころには、国王様とかは分かってた? 疑ってたみたいな? カンジだったらしいとかいうけど。」

「正体、ねえ。」

 笑い混じりなのは、芝居における大仰な演出を思い浮かべているのだろうか。

「――そうだな、都護府だし、シュレザ-ン将軍たちが出ていらっしゃる話にしようか。」

 記憶を整理しているのか、暫くの間を空けて、彼は話を始めた。

「シュレザ-ン将軍が参陣されたのは、天旋軍の呼称が定着し噂を聞きつけた義勇兵が集い出し、千の単位で兵を数え始めた頃・・・アステの野に陣を敷き、サクレの奪還の前哨戦と位置づけた会戦の準備を進めている最中だった・・・。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る