第2話 暗闇

「気に入ってくれたかい?」


 一心不乱に血を貪る少女に暗闇が語りかけた。優しくも冷たい、青年とも少年とも取れる声だ。

 少女は反射的に声の方を向く。無論、そこには暗闇がある。しかし、彼女には声の正体がはっきりと見えている。


 銀髪の赤い目をした男だ。壁に背を凭せ掛け、黒いローブを風に靡かせている。全身を覆うローブが暗闇に溶け、青白い顔だけが浮かんでいる。まるで彼自身が暗闇そのものであるかのようだ。

 その不気味な佇まいに、少女は杯を手放し、威嚇するように身構えた。少年はこの世のものではない。そう直感した。


 ヒトは未知のものに対して強い恐怖を抱く。死を怖れるのはそのためだ。死を越えた先に何があるのか、世界の征服者たるヒトでさえ知る由もない。

 死後の世界の住人、暗黒に佇む少年も例外ではない。


 しかし、少女は少年を怖れなかった。

 それどころか、少年をねじ伏せることも出来るという自信すらあった。体が熱を帯びる。杯の水が彼女をそうさせた。

 渇きを潤したあの時から、少女はたちまちにして自分ならざる獣へと変質していった。


「そう構えないで。僕は君を迎えに来たんだ」


 少年は至って冷静だ。

 定命でない者の証たる牙が目立つ。

 少年が発語する度に煌めくそれに、少女は一層身構えた。獣のように低い唸り声を上げる。


「ウゥゥゥ……!」

「美しいね。まるで血に飢えた獣だ。大丈夫だよ。何もしないから。僕は君の願いを叶えた恩人だよ」


 願いという言葉により、少女は正気へ引き戻された。

 少女は死にたかったのだ。


「そう。君の望み通り、君は死んだんだ」


 だが生きている。


「そう。生きている。だが死んでいる」


 どういうことだ。


「君はんだ」


 この身体は、いったい。


「教えてあげる。さあ、ついておいで」


 少年は暗闇より扉を開いた。少女は少年に促されるがまま扉を抜け、暗闇より出でる。

 扉の先は部屋へ至るための通路であった。暗闇にいるよりも良く物が見える。揺れる蝋燭の火、窓から射す冷たい月明かり、それらが少女を照らした。

 一迅の風が少女の髪を撫でる。


 懐旧の思い出たちが蘇る。

 少女は祝福されていた。

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