第1章

 「笑顔が好きです、付き合ってください」

初めて告白されたのは中二の春。その子を仮に━━桜と呼ぼうか。彼女とは殆ど接点が無く、ただのクラスメイトだった。私は恋愛経験など無かったし、好きな女性もいなかった。返事を3日ほど待たせて出した答えは、「お試しで一ヶ月付き合おう。それでダメなら別れよう」という期限付きだ。彼女はそれでも、よろしくお願いしますとお辞儀する。今時は電話やメールで済ますことも多いと聞くが、こう礼儀正しくスタートを切れると、付き合い始めたんだとより一層認識できるものだ。


 彼女は目立つのが嫌いだった。教師に指されれば狼狽え、校歌斉唱は小声で聴こえず、波風立てない性格だった。告白も相当勇気を出したであろう、おどおどした姿を憶えている。学校内では極力会うのを避け、放課後は人気のない道を選び一緒に帰る。要は周りに関係を知られたくないのだ。私自身も当時は騒ぐわけでもなく寡黙でもない、至って普通の学生だ。この居心地が丁度いい。


 初めてのデートをした。大人になると笑い話になる、所謂貧乏な学生のデートスポットであるショッピングモールだ。ちょっとしたゲームセンターで縫いぐるみを取ったり、このシャーペンが使い易いだとかこの筆箱が可愛いだとかの、たわいも無い会話で二人の間も縮まっていく。まだ少し冷えるこの時期にしては、彼女は薄着だった。屈む胸元には淡い桃色のスポーツブラが見えている。張ったデニムには下着の線が浮かんで見える。お世辞でも肉付きが良いとは言えない貧相な身体ではあったが、性欲盛りの中二男子には刺激が強かった。商品を見るフリをして、それを何度も目に焼き付けた。家に帰ると思い出し、マスを掻く。その背徳感と罪悪感で、異常なまでに興奮をした。


 初めてのキスは、付き合い始めて三週間目の、放課後の川の橋の下。震える肩を掴み、唇を合わせる。私より少し背が低い。桜は「好きだよ」と言い、背伸びをしてもう一度キスを求める。そこでなにか違和感があった。確かに彼女といるのは心地良いし、キスやエッチをしたいと何度も妄想をしていた。しかしその感情は恋愛感情なのか、はたまた一時の興味本位なのか、これからどうなりたいのかが想像できないでいた。━━私はその時に気づいたのだ。私からは付き合って一度も好きと言っていない。言わなかったのではない、自信を持って言えなかったのだ。一息置いて「僕も好きだよ」とキスをすると、目を潤わせてうん、うんと。興奮と、罪悪感と、その場をやり過ごした安堵感で心はぐちゃぐちゃに満たされた。嗚呼、恋愛ってこんなものか、と。


 程なくしてクラスに噂が広まる。私が桜と帰っているのを見たのだとか、デートしているのを見たのだとか。大人しい桜と、これと言って話題性がない私との恋沙汰が、余程奇妙で面白かったのだろう。その日は持ちきりだった。ただ何を言われようと、彼女は俯いてだんまりだし、私ものらりくらりな返事しかしないので、数日で話題は風化した。


 付き合って一ヶ月が経った。私から別れを告げた。桜は泣いていた。理由を求めてきたが、月並みな言葉しか出ない私に彼女は馬鹿と言った。なぜ別れたのかと聞かれれば、結局は自分に合わなかったと言うしかない。居心地の良さもキスの興奮も、愛してるとかでは無く、ただ付き合っているのだからそうであるに過ぎないと思っていた。彼女である必要性を感じなかったのだ。彼女が知れば私を残酷だと嘆くだろう。


 中二の春、期限付きの恋愛。その一ヶ月はいたずらに過ぎ去った。

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