第9話 眠れぬ夜
今夜の宿を確保するため大将のもとへ向かう途中、クエン達と再会してしまった。
街の顔役を差し置くわけにもいかず、呼ばれるままに商売女達の方へ移動する。
手の中には宿代の『銀貨一枚』を握りしめていた。
「クエンさんと、ええと」
「あっしかい? あっしはシトロってもんでさぁ」
「失礼しました。シトロさん」
「しかし旦那、水場に戻って来なかったから死んだのかと思いましたぜ」
「あら、初めて見るお客さんじゃない?」
胸を強調したドレスの女がクエンの隣から近寄ってきて話に割り込んできた。
シトロに気を取られていた俺はその動きに対処できずにいると、女は迷うことなく俺の左腕を抱くようにしてたわわな胸を押し付けてきた。
肌と肌が触れ合い直に温もりを感じる。袖の残っている右腕ではなく剥き出しの左腕をあえて選んだ…こいつは仕事ができる女だ。俺は瞬時に脳内を営業モードに切り替える。
ムスコよ、反応するなよ。固定だ固定。
絶対に悟られるなよ。
動いたら負けだ。
本当に生理現象はこういう時に困る、今テントを張るわけにはいかんのだ。
+能力上昇
+能力成長
何が上昇・成長したのかさっぱりわからんが、今はそれどころではない。
「シュカン、気になるのは分かるが少し待て」
「は~い」
シュカンと呼ばれた女は甘い声を発してクエンのもとに戻る。俺の腕を放す際に上目遣いでウインクしてきた事からも、なかなか頭のキレる女のようだ。
クエンの周りには他に3人の女がいたが、一番の稼ぎ頭が多分彼女だろう。
「クエンさん、挨拶が遅れ申し訳ありません。
私はBBと申します、水場でお会いした際は意識が朦朧としており恥ずかしい姿をお見せしました。
今はクエンさんより貰ったパンのお陰でこの様に少しマシになりました。
パンのお礼と言っては何ですが、良ければこれをお受け取り下さい」
俺は握りしめていた銀貨をクエンに差し出した。
「ほぅ、パンが銀貨に化けるか」
クエンは満足げに頷く。ウワバミの話なら鉄銭で買えるパンが銀貨になったのだ、まずこれで恩を返しておきたい。
「シュカン、貰っておけ」
「私がもらって良いの?」
「そのぶん後でサービスしてやるといい」
「いえいえ、サービスは結構ですから」
「あら、私じゃ不満なの?」
「いやいやいや、そういうわけでは」
シュカンが嫌なら私はどうかと他の女達が名乗りだした。どの女も扇情的な衣装で目のやり場に困る。
気を抜くとムスコが反応しそうになるので気を引き締め直す。
+能力上昇
+能力成長
さっきから何の経験値が溜まってるんだ。どっと疲れを感じる。
「ま、まぁサービスは良いので、とにかくお礼を」
女達を掻き分けてクエンに再び銀貨を差し出す。
「はは!本当に今日は良い日だ。
シトロ、女達を連れて少し離れていろ」
「あいよ。それじゃBBの旦那、この銀貨はあっしが頂いておきますぜ」
言うが早いかシトロは俺の差し出した銀貨を取ると、銀貨を掲げて女達を誘導する。
「ほら、向こうの席に移動だ」
女達はあっという間に俺から離れた。まったく現金なものだ。
しかし、改めて対峙する事になるとやはりクエンには圧倒される。多彩な衣装に装飾品、清潔感があり筋肉質な腕、そして多分俺より若い。
「では、改めて自己紹介といこうか。
先にも言ったが俺はこの街の顔役だ。
生業は女、宿、酒場、商店、揉め事、まぁ要するにこの街のほぼ全ての事が俺に関係してくる。
この短時間で銀貨を手に入れる事ができ、俺に惜しげもなくパンの礼だと言ってそれを渡す判断力。
賢者で無ければただの馬鹿だが、シュカンのサービスを断った事から馬鹿ではないようだ。
何か俺に話しがあっての事だろう?貴公は何が望みだ?腹を割って話そうじゃないか」
あー、クエンはヤクザの親分みたいな立場だったのか。これは街を支配していると言ってもいいんじゃないか?それに想定外の方向に話しがすすんでいるが、どうしたものか。とりあえず話をあわせておくか。
「わかりました、人払いありがとうございます。
実は、クエンさんにお願いしたいことがあるのです。水場で『あてがなければ頼れば良い』と言ってくださいましたがその件についてです。
私は現状ではあの銀貨くらいしか私財がなく、このままでは近いうちに死ぬ可能性もあると思っています。
ですので、私の望みはこの街での仕事です。よそ者の私が受けいられるのかどうか、顔役であるクエンさんにまず伺おうと思った次第です」
「なるほどな、筋が通っている」
「それでは」
「まぁ待て、最初に出会った時の話を少し聞いておきたい。貴公は何に襲われて何を奪われたのだ?貴公の身分に何か関係している可能性はあるのか?」
「それが、何に襲われ何を奪われたのか、また私の身分についても分からないのです。襲われてからというもの記憶がハッキリしておらず、先程やっと名前を思い出したくらいで」
「まぁあの姿だ、余程の目にあったのだろうな。衣服の血は誰の血だ?返り血なのか?」
「そのあたりについても記憶が頼りなく、申し訳ありません」
「腕に珍しい傷跡があるが、回復魔法を使えたりするのか?」
「いえ、残念ながら使えません、傷についても思い出せませんが、今回負った傷ではないとは思います」
「そうか」
クエンは難しい顔になる。質問にほぼ応えてない状態だ、無理もない。俺は事実を全て話すつもりはない。
「では最後の質問だ。
BB、俺に嘘をついているな?」
「え?」
「そこでジャンプしろ」
ぁぁああ!! チャリンと鳴ったら『金がまだあるだろ』か!
確かに全財産を取られる気がして『銀貨一枚』が全財産みたいな話をしたが、これはマズイ。信用を失えばどんな目に合うかわからない。
「どうした、そこでジャンプだ。
3回ほど続けてジャンプしてみるんだ」
「わ、わかりました」
尻ポケットに入れた小袋には銀貨7枚と銅貨20枚。
音が鳴る可能性と、袋ごと飛び出す可能性がある。
なんとか動かずに固定されろ!
絶対動いてはいけない!!
動いたら俺は死ぬ。
固定固定固定固定固定固定固定固定固定固定!!
ええい、ままよ!
俺は膝を曲げずにその場で3回ジャンプする。
ダン!ダン!ダン!
床の木板が思ったより大きな音を鳴らす。
「変わったジャンプの仕方だな」
膝を曲げなかったのはコインが擦れて音が鳴らないように工夫したつもりだった。
「え、そうなんですか?」
「何か武芸をやっているのか?
「いえ、無いです。武術の心得は全くありません」
「まぁ…良しとするか。
ジャンプをさせて悪かったな、貴公が嘘をついてないか確かめたかったのだ」
本当に金属音が鳴らなくて良かった。床の音の大きさか、俺のジャンプの仕方が良かったのか、奇跡的にポケットの通貨が擦れる音は全く聞こえずに済んだ。
安心と同時に冷や汗が背筋をつたう。
「それで仕事の話だったな、この街には仕事の
もし仕事が見つからなければ俺が仕事をやろう。
「ありがとうございます」
「今は記憶が曖昧で貴公が何者か分からぬようだが、その衣服は貴公の身分を証明するものだろう。
もし記憶が戻り何者か思い出したら教えてくれ、その時はそれ相応の対応を約束しよう」
「はい、その時は必ず」
「話はこれで終わりだが、今日の宿が無ければ困るだろう。シュカン!BB殿を部屋に案内してやれ!」
「は〜い!」
向こうでシトロがシュカンに銀貨を手渡している。
「ク、クエンさん、本当にサービスは」
「遠慮するな、貴公の気持ちは受け取った」
俺はその後、主導権を握る事なく部屋に案内された。
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