第30話

 さすがに社会人としての意識はあるのか、業務中は必要最低限の会話には応じるけれど、先ほどのように仕事外では基本的に挨拶にも何も返さない。


「なに勝手に拗ねているんだか。社会人にもなって誰かと付き合うのに、第三者の了承を得る必要もないでしょ。それなのに、大人げなさすぎ」


「やっぱり鈴木さんは航……忽那さんのことが好きだったんでしょうか」


「今、忽那さんのこと、さりげなく下の名前で呼ぼうとしたよね」


 小湊さんの鋭い突っ込みに、わたしの顔が熱くなった。きっと、耳まで赤く染まっているはずだ。


「これは、だって。忽那さんがしつこいくらいに下の名前で呼べって」


「下の名前で呼んで、ってキュンときちゃう。いいなあ付き合い始めって」


 小湊さんがきゃっきゃとはしゃぎ出す。


「小湊さんだって普段旦那さんのこと下の名前で呼ぶでしょう?」


「えー。一緒に住んでそれなりに経ったからさ。甘ったるい呼び方なんてしないよー。『ねえ』とか『ちょっと』とかそんなもんだって」


 わたしが試みた反撃は一瞬で跳ね返された。


「でも。わたしのことを無視するくらいには鈴木さん、忽那さんに気があったってことですよね……?」


「それは本人のみぞ知るってところだろうね。わたしたちには、確信めいたこと言わなかったし。大体、あっちから好きになってくれたらやぶさかではないかなとか、プライド高すぎ」


 小湊さんは鈴木さんに対して少々辛辣だった。


 鈴木さんは内心でわたしのことを見下していた。それでも人目につくところではちゃんと友好的に接してくれていた。その仮面が剝がれ落ちるくらいには、無自覚に航平さんに惹かれていたのではないだろうか。


「たまにいるよね。自分からは本気でいかないくせに、自分の周りにいる男性みんなわたしのこと好きになってくれないとやだ、みたいな子。気にしてたってしょうがないよ。真野さんは普通にしてなね」


「……はい」


 わたしはぎこちなく頷いた。


「今日も待ち合わせなんでしょ。忽那さんマメだねぇ。わたし、忽那さんが真野さん選んで見直してんのよ。見る目あるじゃんって」


 小湊さんはじゃあね、と手を振ってビルの外へ出ていった。航平さんとお昼休みに待ち合わせてるいることを、彼女はお見通しだったらしい。ちょっと、いやかなりそわそわしていたのかもしれない。


 それというのも航平さんが「今日は午後から取引先に行く用事があるから、ランチを一緒にしよう」っていうメッセージをよこすから。


 わたしは妙に高鳴る胸の鼓動を持て余しながら、航平さんとの待ち合わせの場所へ向かった。彼はすでにお弁当を買って待っていて、二人で日比谷公園に足を運んだ。


 大きな木々に囲まれた公園は都会の喧騒から独立した王国のようにひっそりとしている。とはいえ今はお昼真っ盛り。この公園でランチを、と思う人はわたしたち以外にもいて、それなりに賑わっている。


「わざわざ呼び出してごめん。ちょっとでも美咲ちゃんに会いたかったから」


「い、いえ」


「あ、それつけてくれているんだね」


 航平さんはわたしの胸元を見て瞳を和らげた。


 そこにはきらりと輝くネックレス。そう、航平さんから先日プレゼントされたものを、今日たまたま身につけていたのだ。


「メッセージでもお伝えしましたけれど、プレゼントありがとうございました」


「美咲ちゃんに似合ってるね。選んだ甲斐があった」


 視線が眩しいと思うのはわたしが自意識過剰なのだろうか。


 空いているベンチを見つけて、二人並んでのランチタイムが始まった。


 わたしはランチトートの中からお弁当箱を取り出した。


「美咲ちゃん、えらいね。ちゃんと弁当作って」


 航平さんはわたしのお弁当に興味津々。その熱い視線に少しだけ頰を引きつらせてしまう。何しろこのお弁当、人に見せるために作ったものではない。


 いや、オフィスで同僚と気兼ねなく食べる分には構わないのだが、こと料理上手な航平さんに見られるのはまったくの想定外。


 本気で開けるのが嫌だ……。


「わたしのお弁当は本当に昨日の残り物を詰めただけですよ。航平さんのほうが料理は上手だと思います」


 一言先にジャブを打ったわたしは蓋を開けた。中身はご飯と生姜焼きと卵焼き(たくさん作って冷凍にしたもの)。それからスーパーで買った煮豆(よくあるパウチ入りのアレ)とミニトマト。うん、我ながら手抜きだ。


「なんか、女子って感じのお弁当だね。美咲ちゃんらしい」


 純粋な褒め言葉がナイフのようにぐさりと突き刺さる。

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