第28話

「美味しそうだね」


「っ……はいっ!」


 つやつやに輝いた新鮮なネタはまるで芸術品のようだ。

 回らない寿司店になど滅多に来ないから、さっそくお腹が早く食べたいと主張を始めた。


 しかし、だ。どれも美味しそうで、どのネタから食べようか本気で迷ってしまう。

 迷い箸はお行儀が悪いのに、どの寿司ネタもまるで、わたしから食べてとばかりに存在を主張しているため決められない。


「今の時期、コハダがおすすめだよ。東京湾で取れた新鮮なやつだからうまいよ」


 助け舟を出してくれた寿司職人が、コハダはこれだよ、と指をさして教えてくれる。


「じゃあそれからいただきます」


 口に入れたコハダは酢でしめてあるせいか臭みを感じず、さっぱりしている。一度箸を入れたことで勢いがつき、隣のイクラ巻きを箸で摘まむ。


「ふふ。美味しい」


 小さい頃からイクラはごちそうだ。わたしはつい頰を緩ませた。


「イクラ好き? 俺のもあげるよ」


「え、大丈夫ですよ。悪いですし」


「美咲ちゃんが美味しいって顔をしていると俺も嬉しいから」


 わたし、そんなにもふやけた顔をしていたのかな。


「でも……」


「じゃあ美咲ちゃんがあまり好きじゃないネタと交換」


「それはそれで航平さんに悪いような……」


「でも、反対に俺が大好物かもしれないよ?」


「それは、まあ可能性としては否定できませんが」


 確かにそれはそうだけれど、なんとなく丸め込まれているような。

 しかも、航平さんのイクラ巻きがいつの間にかわたしの寿司下駄の上に置かれているという早業。


 わたしは観念して「では……ホタテを」と申告した。


「苦手?」


「昔から、あまり好きではなくって」


「バター焼きとか美味しいのに」


「火を通すのは大丈夫なので、バター焼きもフライも好きです」


「なるほど」


 そんなわけで、わたしのホタテは航平さんに贈呈された。



 それからは自然と話題がお互いの食の好みになった。ちなみに航平さん、レバーが嫌いとのこと。なんでもスマートに食べそうなのに。意外だけれど、親近感も湧いた。


「航平さんはこういう本格的なお寿司屋さんに通い慣れていそうです」


「ん、確かに取引先とか、仕事がらみでたまに利用することはあるけど」


「やっぱり」


「でも、そういうときって仕事だし、心の底から食事を楽しめないよ。取引先だと尚更。だから、今日はとっても貴重」


「特別な日でもない限りお寿司屋さんって来ないですもんね」


「隣にいるのが美咲ちゃんだから特別で貴重」


 穏やかな眼差しの航平さんと目が合うと、まるで時間が止まったかのように感じた。


 そんな台詞、反則ではないか。男性慣れしていないわたしは、どう返事をするのが正解なのか分からない。


 黙ったまま、わたしたちの視線が交わる。少なくない時間が経過すると、航平さんがふっと微笑んだ。


「そろそろ出て、この辺りを散策しようか。さっき美咲ちゃんつくだ煮気になっていたよね」


「そうですね」


 話題が変わったことに安堵しながら、わたしは彼の提案に乗っかった。


 わたしたちがお会計を済ませて外へ出ると、薄曇りの合間からほんの少しだけ光が射していて、それがちょっぴり眩しかった。




 外国人観光客も多い築地場外市場は雑多な雰囲気で、じっくり歩いてみると異国のマーケットのようでもあり面白い。


 昼食を一人前食べたはずの航平さんはお店巡りの最中、軒先で焼かれていた牡蛎を満喫した。焼きたての牡蛎はとっても魅力的で、わたしもご相伴に与ってしまった。


 二人で「美味しい」と言い合いながら同じものを食べて、喉が渇いたと抹茶ドリンクを買ってみたり。つくだ煮店では真剣にお土産を選んで、いくつか買ってもみた。


 気が付けばわたしは、築地散策を思い切り楽しんでいた。


 これではまるで本物のデート……。フラれるために航平さんを振り回すはずが、単にお寿司とお買い物を楽しんだだけで日が暮れてしまった。向かった。


 夕食は場所を少し移動して、銀座の外れにあるダイニングで軽く創作料理を食べた。


 結果、なんだかんだと一日堪能してしまった。


 しかもお会計のほとんどを航平さんが支払ってくれたのだから申し訳ない。今日わたしが払ったものといえば、自分用の買い物くらいじゃないだろうか。


 このままでは航平さんがデート破産してしまう気がする。もし次があるなら、ちゃんと割り勘にしてもらわないと。


 店を出たわたしの肌を風が撫でる。日が暮れると、空気の中に秋の冷たさが混じるようになっていた。


「このあと、うちに来る?」

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