第23話

 今ならまだ、軌道修正できるはず。


「いえ、あの」


「あ、そうだ。築地とかどう? 魚好きなら築地でお寿司って楽しそうだよ。今、調べるね」


 忽那さんがにこやかにスマホを操作し始める。

「い、いえ……ブライ──」


「ああ、ブリが食べたい? まだちょっと旬には早いかな。ちょっと待って」


「い、いえ。あの」


 確かにブリは美味しいけれど、いやそうではなくて。


 わたしが口をはくはくと意味もなく動かしている間も、彼の視線はスマホに釘付けになっている。


「この時期だとカンパチとかサンマが旬だね。サンマか。ひさしく食べてないな。築地も行ったことないし、よさそうだね。店調べておくよ」


 忽那さんは早くも乗り気な様子で「あ、この店うまそう」とか、「卵焼きとかおにぎりのお店もあるね」など、弾んだ声を出す。


「じゃあ土曜日は築地の場外市場でお寿司を食べようか」


「え、ブラ──」


「ブランチよりも、場外市場だとランチ時間の営業が主流みたいだね。ああでも、行列のできる店もあるから待ち合わせ時間が問題だな」


 忽那さんはスマホを見つめながら、当日のスケジュールを組み立て始めた。


 ち、違うのに! わたしは心の中で叫んだ。



 そして土曜日は築地で寿司デートに決まった。





 それは翌日の昼休み終了間際に起こった。


 わたしが席に戻ったタイミングで鈴木さんがお友達を引き連れて突撃してきたのだ。


「ちょっと真野さん、いいですか?」


 今日も鈴木さんは完ぺきな装いだ。ふんわり巻き髪につやつやのグロス。茶色のトップスにダークピンクの花柄スカートという秋らしい格好をしている。


 可愛らしい雰囲気とは裏腹に、彼女は硬い声を出した。


「どうしたの? 鈴木さん」


「どうしたのじゃないです。真野さん、忽那さんと付き合っているって本当ですか?」


「えっ!」


 一瞬心臓が止まった。冗談でもなく本気で。


 鈴木さんの高い声はよく響いた。

 彼女の声のあと、周りの視線が一斉にわたしに突き刺さった。


 もうすぐ昼休みが終わる時間だから、多くの同僚がデスクに戻ってきているのだ。


 だらだらだら……。

 額に脂汗が浮かび上がる。


「昨日、中西さんが真野さんと忽那さんが仲良く有楽町の家電量販店で買い物しているのを見たって」


 あれ、見られていたの?


 わたしは中西さんの姿を探した。すると、ちょうど彼は自分の席に戻ってきたところのようで、バッチリ目が合った。


 彼は鈴木さんと同じ課の四十代の社員だ。どうやら鈴木さんの声は中西さんにもしっかり聞こえていたらしい。彼は、つつつとわたしから視線を逸らせた。


「で、どうなんですか?」


「ぐ、偶然に会っただけだよ……?」


 ここはどうにか、誤魔化せないだろうか。

 わたしの平穏な会社員人生のためにも、すぐに肯定できない。


「偶然で恋人繫ぎしているわけないじゃないですか! ねえ、中西さん」


 鈴木さんは大きな声で後ろを向き、中西さんに呼び掛けた。


 巻き込まれそうになった彼は「あ、俺ちょっとタバコ吸ってくる」と言って、そそくさと立ち去ってしまった。


 に、逃げた……。


「ネタは上がっているんです!」


 鈴木さんがずいっとわたしの前に顔を寄せる。その顔は真剣そのものだった。


 席に座ったままのわたしに対して、鈴木さんはわたしの前で仁王立ち。なんだかものすごく責められているように見えなくもない。


 ああもう。だから忽那さんにはついてこなくもいいって言ったのに。


 昨日の会社帰り、カフェで土曜日の詳細を決めたあと解散の流れに持っていった。わたしは買い物をしようと思っていて、なんとなくこのあとの予定を忽那さんに話した。そうしたら彼はわたしの買い物にちゃっかりついてきたのだ。


 しかも、本当に、ものすごくさりげなく、手を繫いできた。指と指を絡める、いわゆる恋人繫ぎというアレで、男性慣れしていないわたしは緊張で変な汗をかいた。


 買い物が終わるとさりげなく荷物を持ってくれたりもした。単に日用品を買っただけなのに。忽那さんの住むマンションは、わたしの使う地下鉄路線の駅からでも近いとのことで、帰り道も途中まで一緒だった。その間やっぱり手を繫いでいたわけで。


 要するに、その光景の一部を中西さんに見られていたらしい。


 わたしは瞬時に後悔した。人の多いオフィス街だし、同じ会社の人に外で出くわすこともないだろうと油断してしまった。


 まさかしっかり見られていただなんて。しかもそれをよりにもよって鈴木さんに話してしまうとは。中西さん、どうしてそんな余計なことを。

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