第22話

 これから忽那さんが来る。二人きりで会う。そのことに意識を傾けているせいで、今心電図を取ったら絶対に再検査ってくらい心臓が早鐘を打っている。


 落ち着けわたし、と心の中で念じていると忽那さんからメッセージが届いた。


『もうすぐ着く』との一文だけで、わたしの心拍数が再び急上昇する。


 もうすぐってどれくらい? どんな顔で話しかければいいんだろう。彼氏って何? たくさんの疑問符がわたしの周りを飛び交って騒がしい。


 そんなとき、再びスマホに忽那さんからのメッセージが浮かび上がる。『着いた』という一言に、飛び上がりそうになった。


 店の入り口付近に視線を向けると、ちょうど店内に入ってきた忽那さんと目が合った。


 うわぁぁぁ、本物。心の中は大パニックだった。

 本当に来た。夢じゃない。どうしよう。


 わたしの動揺などまったく気付きもしない忽那さんはアイスコーヒーを片手にこちらへ向かってきた。


「ごめん。こっちから誘っておいて待たせた」


「いいえ。わたしよりも忽那さんのほうがお忙しいですから。気にしないでください」


「航平」


「え……?」


「今はプライベートなんだから、下の名前で呼んでほしい」


「あ、はい……」


 この間の電話でのやり取り再び、だ。


 忽那さんがにこにこ顔でわたしを見つめてくる。

 これは……、もしかしなくてもわたしが忽那さんを下の名前で呼ぶのを待っているのでしょうか。


 期待に満ちた顔をされると、応えてしまいたくなるわけで……。


「……航平さん」


「何?」


「いえ……呼んでみただけです」


 目の前の男の人を、ただ下の名前で呼んだだけなのに。心臓がバクバクして騒がしい。


 まるで初恋に戸惑う小学生のよう、いや今どき彼らのほうがよほど恋愛経験豊富に違いない。


 わたしはちらちらと彼を盗み見た。


 忽那さんがアイスコーヒーを飲みつつ「ようやく涼しくなってきたね」と時候のネタを振ってきた。

 わたしは助かったとばかりに全力でその話題に乗っかることにする。


「そういえばそろそろ台風が多くなるシーズンですね」


「そんな日に限って外出の予定があったりするんだよ」


「過去にそのような経験が?」


 水を向けると、忽那さんがいくつかエピソードを披露した。


 よかった。わたし、ちゃんと普通に話せている。

 そもそも忽那さんは明るくて、話の膨らませ方がうまいのだ。


 話題は台風経験談から残暑、日比谷周辺のお気に入りの店へと移った。わたしは忽那さんに質問されるまま、いくつか行きつけの店を答えた。


「へえ、その辺りの店、俺行ったことないな」


「ずっと同じ場所で働いているので、会社近くだけは詳しくなりました」


「美咲ちゃんと昼待ち合わせてランチデートも楽しそうだね」


「お昼ですか?」


「そう。午後の外出予定と絡めて、出てこられるから。もちろん、ランチだけじゃなくて、週末にどこか行くのもいいな」


 忽那さんの笑みが深まった気がした。


 わたしはアイスカフェオレをストローで吸った。氷が溶けて少し薄くなっていた。


「今度の週末、どこか行かない?」


「週末、ですか?」


「先約あった?」


「土日のどちらかで、お披露目会用のドレスを選びに行こうと思っていました」


「お披露目会?」


「はい。高校時代の友人が先日結婚しまして。式は親族のみ沖縄で挙げて、二次会的なお披露目会を別途開催するそうで、招待してくれたんです」


 航平さんはなるほど、と頷いた。


「俺はどっちも空いているけど。じゃあ、土曜日にする?」


「そうですね。ではそれで」


「どこに行こうか。行きたいところある?」


 来た。わたしはごくりと喉を鳴らした。


 デートに誘われて、どこに行こうかという話になったら。即ブライダルフェアに行きたい、と言うこと。この間、一花ちゃんとの作戦会議で決まったことだ。


 しかし、いざ忽那さんを前にすると、自分にその気がなくても口の中が乾いてくるのはどうしてだろう。いや、このために先ほど歩菜ちゃんの結婚話を挟んだのだ。


「え、えっと。実は……ブ」


 わたしは肝心なところで言葉を詰まらせる。


「ブ、ブラ……」


 ブラの次のイダルまでなぜ一気に言えないの。

 ああ駄目。嫌な汗までかいてきた。がんばれ、美咲。頭の中で自分を鼓舞する。


「もしかしてブランチ?」


「へ? ええと、ブランチならお寿司が」


 今度は高級寿司店というワードが頭の中に浮かび上がった。しかし、高級ってどこの店のことだろう。グルメでもないため、東京の寿司店事情などトンと知らない。


「ブランチでお寿司かあ。美咲ちゃん魚好きなんだね。ブランチか……」


 話が違う方向に進んでいって、わたしは慌てた。違う。そうじゃない。本命はブライダルフェアだ。


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