第21話


……それはともかくとして。


 初めてのお付き合いはドキドキの連続なのだ。電話越しの声が妙に甘いと感じてしまったり、忽那さんの笑顔を思い出してみたり。二人で会う約束をしてみたり。


 忽那さんの存在がわたしの生活に、今までとは違った色を添えている。なんの準備もできていないのに、こちらにおいでとぐいっと手を引っ張られてしまったような心境なのだ。


「今の状況に甘んじていいのか分からなくて。できることなら、そっと忽那さんの側から消えたい」


 自分の気持ちが複雑すぎて、一花ちゃんにうまく説明できない。


 一花ちゃんはそんなわたしを見つめてから、ふと視線を外して思案顔を作った。


「別れたいなら……、フラれるほうに努力をしてみる……とか?」


「フラれる努力って?」


「面倒な女だなって思わせて、相手にやっぱこの子はないわーって思わせる」


「なるほど」


 わたしはふんふんと頷いた。確かに向こうから嫌ってくれたらお付き合いも早々に終了となる。


「どうすればいいんだろ」


「えー、わたしもそんな恋愛経験豊富じゃないしなあ」


 一花ちゃんが頭を抱えた。しばらくそのポーズのまま固まったあと、彼女はテーブルの上に置いたままになっていたスマホを取った。


「そうだ!」


 黙ったままスマホを操作していた一花ちゃんが、視線を下に向けながら言葉を紡ぎ始めた。


「例えばどこにご飯行きたいか聞かれたら、お高い寿司店に行きたいって言ってみるとか」


「寿司店?」


「ディナーに誘って高級寿司店やフレンチを即挙げられるとイラッとくるって書いてある。高級ホテルのディナーに行って、他のホテルと比べられるのも萎えるって」


 一花ちゃんがスマホの画面をわたしに向けた。

 画面には恋愛特集のウェブページが表示されている。


 わたしは記事の内容を目で追った。そこには『カレシが萎えちゃうカノジョの行動七選』のタイトル文字。曰く、男としては頑張って店を選んで連れていったのだから、素直に喜んでくれということらしい。


「あ、デートと称してブライダルフェアに連れていかれて引いたっていう体験談が書いてある。これ、いいんじゃない?」


 わたしと一花ちゃんは顔を寄せ合って、一緒に記事を斜め読みする。


「そっか。付き合ってすぐに真剣に結婚をほのめかされたら、我に返って逃げたくなるかも」


「わたしの場合は逆だったんだけどね……」


 一花ちゃんが陰りのある声を出したから、わたしは「えっ……?」とその顔を窺った。


「ちなみにわたしは引いたわ。ものすごく引いた。だって、まだ付き合いたてだったんだよ。それなのに……。うん、そうだわ。美咲、頑張れ」


「えぇっ、何を?」


「美咲、とにかく頑張ってきなさい。その忽那ってやつをドン引きさせるの」


「え、ええと?」


「まずはデートでブライダルフェアに行きたいって言う。それで、このままこんなことを続けていたら、俺こいつと結婚する羽目になる? って思わせたら勝ち。ちなみにウェディングドレス店に行くか、指輪を見るためにカルティエとかティファニーに行くのもありだよ。ほら、ここに体験談が書いてある」


「う、うん……」


 自分からおねだり、しかも高級宝飾店に連れていくだなんてハードルが高い。


 けれどそれを頑張れば、忽那さんに面倒な女認定されるのだ。そうすれば、向こうからわたしとの距離をとり始めてくれる。これはいい手かもしれない。


 わたしの中にやる気が湧いてきたそのとき、一花ちゃんのスマホが震え始めた。どうやら着信のようだ。


 一花ちゃんは画面を見て「チッ」と小さく舌打ちをして、あろうことかスマホの電源をプチッと切った。


「いいの?」


「いいの、いいの。彼氏からだから」


 一花ちゃんはけろりとしている。


「出たほうがよかったんじゃ……」


「へーきへーき。さ、それよりも次会うときの会話シミュレーションをしてみよう」


 一花ちゃんはまったく気にしていないようだ。

 その彼氏さんと結婚するんだよね? 大丈夫なのかな……?





 次の週の火曜日。忽那さんとの待ち合わせの日だ。


 場所は会社からもほど近い有楽町駅近くのカフェチェーン店。互いに知った店ということでここに決まった。


 当初、忽那さんからは夕食でも、とのことだったが、待ち合わせ初回なので、定時後のコーヒーで妥協してもらった。まずは少しずつ彼との距離に慣れていきたい。それにまだ火曜だし。


 今日は朝からなんとなく落ち着かなくて、そわそわして頻繁に時間を確認して過ごしてしまった。


 定時前に取引先から電話がかかってきて、少し残業したのち、オフィスを出た。


 どうしよう、忽那さんはすでに到着しているかもしれない。


 わたしは急ぎ足で待ち合わせの店に向かい、店内に入るなりきょろきょろ周囲を見渡した。彼の姿はなかった。


 そのことに安堵しつつ、まずは席を確保して、カウンターでアイスカフェオレを注文した。


 心を落ち着けるための準備時間がほしいと思っていたのに、着席した途端それとは反対に鼓動が早くなっていく。


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