第20話

「って、何その急行電車並みの超展開。え、えぇ、ええぇぇっ!?」


 というのが、わたしの話を聞いた一花ちゃんの第一声だった。


 どういうわけだか忽那さんと付き合うことになったわたしは一花ちゃんに報告することにした。正直頭がいっぱいいっぱいで、パンク寸前だった。誰かに、少なくとも男性とお付き合い経験のある人に話を聞いてもらいたかった。


 一花ちゃんに彼氏ができたことをメッセージすると、ネコキャラがおめでとうと万歳するスタンプが返ってきた。「なれそめ教えて」と続けてきたから、わたしは「色々事情があって」と送った。そのあと、何往復かやり取りをして週末に会うことになった。折しも忽那さんの誘いを断った建前が本当になってしまった。


 わたしたちが今いるのは上野のカラオケ店だ。個室で時間制。ついでにドリンクも飲み放題。


 カフェで誰に聞かれているかも分からない状況よりもずっと密談に向いている。ちなみにBGMとしてタイフーンのコンサート映像付き楽曲が無限ループで流れている。音量は下げているし、誰も歌っていないけれど。


「酔ってグループ会社のイケメン課長と一夜を共にって……、美咲よくやった!」


「よくやってない!」


「え、だって四葉不動産勤務のエリートなんて、そうそう捕まえられないよ?」


「わたしは忽那さんと付き合うとか、そんなこと望んでなかった……」


「え、実はベッドの上では、人には言えないような性癖を持っていたとか?」


 一花ちゃんが目を眇める。


「うっ。ちょっと一花ちゃん!」


 わたしは慌てて叫んだ。この手の生々しい会話には慣れていないのだ。


 それに、人には言えないような性癖って何? そもそもわたしは何も覚えていないのだ。


「忽那さんは正直、そのへんのイケメン俳優よりもかっこいいし、い、色気もあるし……。優しいし、落ち着いているし、料理も上手だったし。わたしなんかが忽那さんと付き合うこと自体おこがましいレベルに次元の違うすごい人」


「そこまで褒めるってことは美咲だって、悪くは思っていないどころか、素敵な人認識してるってことでしょ?」


「うう……そうです」


 わたしは早々に降参した。だからこそ戸惑っている。


 だって、恋愛経験も何もない、普通以下のわたしが忽那さんのような殿上人とお付き合いだなんて。どっきり企画か何かのほうがまだ信ぴょう性がある。


「でも酔って覚えていないとはいえ、嫌いな相手にひょいひょいついていく美咲じゃないでしょ。深層心理で、その忽那さんって人のこといいなって思っていたんじゃないの?」


 実は、ひょいひょいとついていってしまうような事情があったのだ。わたしにとっては切実な事情が。やはり、この拗らせた感情を説明しなければ話は進まないと思い、わたしは一度アイスコーヒーを口に含んだ。


「……えっとね……引かないでほしいんだけど……」


「うん?」


 わたしはごくりと喉を鳴らした。


「わたし……実は、この年まで男性経験がなくて……周りのみんなが結婚したり、決めたりして……焦っていたんだよね。わたしだけ、未だに誰とも付き合ったことがなくって。それで、処女が重たくなってて」


「うん」


 一花ちゃんは時折相槌を打ちながら、わたしの長い話を聞いてくれる。


「だから、遊んでいるって噂のあった忽那さんなら、わたしが男性経験ないって言っても引かないでもらってくれるんじゃないかなって、ちょっと思っちゃったんだよね……」


 最後の言葉は尻すぼみになった。


 あとからあの日の行動原理を考えてみても、そのくらいしか理由が思い浮かばない。実際、わたしは一度そのような思いを抱いたことがあった。それから、シャツの襟元を緩めた忽那さんが色っぽくて、ちょっといいな、と見惚れたこともあった。


 それらの深層心理がお酒の力を借りて浮かび上がってしまった。これがわたしなりの結論だ。


「……なるほどね」


 少なくない沈黙のあと、一花ちゃんがゆっくり口を開いた。


「で、その忽那って人はそんなにも普段から遊んでいるの? なんかこの前もそんなようなこと言っていたよね」


「うーん……本人は否定していたけど」


「聞いたの?」


「ものの弾みで」


「出所不明の噂話も大概だけど。遊んでいる本人もそう簡単に自分は遊んでいます、とは認めないしね」


「……だよね」


「お付き合い続けるの?」


「よく分からなくって。忽那さんがどういうつもりでわたしと付き合っているのか分からないし」


「なんて言われたの?」


「ええと……わたしだから持ち帰ったとかなんとか。チョロそうとか思ったのかな?」


「美咲、自分からそんなこと言ったらいけないって。むしろ、美咲みたいに遊び慣れていない子を持ち帰るほうがリスキーだと思うけど。本気にされたら重そうじゃん」


「わたしは最初から忽那さんみたいなイケメンの本命になれるはずもないから、重たくないよ。だからびっくりしてる」


「美咲、駄目だよ。そんな自己評価低いの。いや、さっきのわたしの言葉は一般論であって……。ていうか、遊ばれてるの前提で話を進めないの」


「そっちのほうが納得できるんだよね」


「美咲は可愛いって。髪の毛色入れて雰囲気も柔らかくなったし、服装も明るめのもの取り入れてみたらいいんじゃない?」


「明るい色かあ。派手じゃないかな?」


「そんなことないよ。よし、じゃあこのあとどっか行こう。上野じゃあれだし、新宿か池袋にでも出よっか」


「どうにか穏便にお付き合いを解消できないかな」


 わたしはため息を吐いた。


「何、美咲はその忽那って人嫌なの?」


「嫌というか……」


 わたしは言葉を濁した。嫌ではない。好感のほうが勝っている。


 どうせなら忽那さんとの一夜を覚えていたかった。拗らせ処女を失くすことができたのだ。行為のとき、どんな気持ちになるのだとか気にならないといえば噓になる。


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