第17話

「真野さんは、俺のこと嫌い? 素面になったら生理的に受け付けないくらい嫌? やっぱり、同世代の若い男のがいいのかな。俺、三十五だしね。四捨五入すると四十だもんな。おっさんとか思うよね……」


「いいいいいえ! そんなことはありませんよ? 忽那さんはめちゃくちゃカッコいいと思いますし、正直二十代とか言われても違和感ありませんし、ぜんっぜんおじさんなんかじゃありません! うちの会社の四十歳のおじさんと一緒にしたら、全世界の忽那さんファンが怒りますよ?」


「それはどうもありがとう」


 忽那さんらしくもない自虐的な台詞に、わたしは大いに反論した。

 その気迫に押されたのか、彼の声が若干棒読みになった。


「い、いえ。ほんとうのことなので」


 その直後、忽那さんがゆっくりと口の端を持ち上げた。


「生理的に受け付けないってことでもないのなら、このまま付き合う方向でいいよね?」


「ええええぇっ。いえいえ、そんなにも早まるのはよくありませんよ!? 一度寝たくらいの女性と毎回付き合っていては身が持ちませんよ?」


 忽那さん律儀でいい人すぎる。と、ここでわたしは以前小湊さんから教えてもらった彼の噂話を思い出す。


 一見爽やかに見える忽那さんが実は遊んでいる説。あれはきっとこういうことだったのだ。一度寝た女の子と毎回付き合ってあげるから、結果歴代彼女の数がうなぎ上りに増えて、遊んでいるという噂になったに違いない。


「今回真野さんを持ち帰った俺が言っても説得力がないけれど。俺はべつに女性なら誰でもいいってわけじゃないよ。真野さんだから持ち帰った。真野さんのこと、前からいいなって思っていたから」


 忽那さんは、こんなときでも女性を持ち上げてくれる。


「もしも、一夜の遊び相手がほしかったのであれば、わたしとはもうことに及んだわけですし、別に正式にお付き合いに発展させる必要もないのではないかなぁ……と」


 これで忽那さんと付き合うことになったらわたしの生活に支障をきたす。


 だって、こんな正攻法とはいえないやり方で彼女になったと知られたら。いや、その前にわたしみたいな地味女子が忽那さんと付き合っているってばれたら、わたしの平穏な会社員生活が大変なことになってしまう。


 どうしよう。ロッカーに置きっぱなしにしてあるナースサンダルの上に画びょうとか置いてあったら。出社したらわたしの机の上に葬式花が飾ってあったら、泣ける自信がある。


「一夜の遊び相手って、俺がそんなチャラい理由で真野さんを抱くわけがないだろう」


「え、でも一見爽やかそうに見えて裏で遊んでいるんですよね?」


 頭の中がぐっちゃぐちゃで、わたしはあろうことか本人相手に、この間聞いた忽那さんの噂話をぶちまけていた。


「いや、何それ。そんなこと誰が言っていたの?」


 忽那さんの声が若干低くなる。


 本人を前にして言ったら駄目なやつ、これ! わたしの顔が青ざめた。


「別に誰かが積極的に言いふらしていたとかそういうことではなくて。忽那さんに泣かされた女子が不動産の中では多くいるとかなんとか。まことしやかに、都市伝説的な感じで流れていました!」


「それは誤解だよ」


「もちろんですよね」


「本当に思って言っている?」


 忽那さんの問いかけに、わたしは視線を少しだけ泳がせた。


 朝の一連の仕草だけでも、女性の扱いには慣れていらっしゃいますよね。と心の中で呟いてみる。


「俺もこの年まで女性経験がないとは言わないけれど……。別に過去にそこまで多くの女性と付き合ったってわけでもないし、遊んでもいない。仕事が忙しくて好きでもない子と遊びで付き合うとか、そんな暇はないよ」


「じゃ、じゃあ噂話は……?」


 そろりと窺うと、忽那さんはしばし押し黙る。


「俺、酒には強いほうだし、飲んでも顔には出ないんだ。昔から飲み会の席で介抱役に回ることも多かった。それで終電逃した女子の世話とかで、ホテルに押し込んだことはある。もちろん部屋は別々に取るし、何もしていない。そこは信じてほしい」


「はあ……」


 忽那さんの顔はとても真剣だった。

 わたしとしては、それについては過去のことだし、正直男女の関係になっていようがいまいがどちらでもいいのだけれど。


「あとは、そうだな……。会社で後輩の指導係になって親身に相談に乗っていた最中に告白されることはあった。断ったら、あんなに優しく相談に乗ってくれたのに本気じゃなかったのとか、泣かれた経験なら……ある」


 色男も大変そう、という当たり障りのない感想を持った。


「そういうわけで俺は遊びで真野さんを持ち帰ったわけでもない。納得してくれたってことでいいかな」


「……ええ、まあ」


「ほかに心配事は?」


「……特には……?」


「じゃあ、これからもよろしく。美咲ちゃん」


 忽那さんは最後にそう言ってにこりと微笑んだ。

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