第13話
「かんぱーいっ」
参加者の掛け声と共にテーブルのそこかしこでグラスが合わさった。
九月最初の週末、忽那さん企画の懇親会は、小湊さん推薦のダイニングバルで行われることになった。会社からもほど近い、JR高架沿い近くの店だ。
「はいはい。サラダ取り分けますよー」
小湊さんがてきぱきと各人の取り皿の上に、ほうれん草とベーコンのサラダを取り分けていく。
今日の参加者は総勢二十三人。大きな長方形のテーブル二つに分かれて座っている。
四葉不動産側の参加者が思いのほか多いのは、忽那さん企画だからとも言われている。参加者の中にはいかにも仕事ができます、というようなオーラをまとった女性もいて、ただのアシスタント的役割のわたしがこの場に参加をしていていいのか今更ながらに自問した。
「ありがとうございます」
わたしは出遅れたと、恐縮して小湊さんにお礼を言った。
「いいって。早くお皿空けないと次来ちゃうし。わたしの本命ももうすぐやってくると思うんだよね」
小湊さんがうっとりした声を出す。
彼女のお楽しみは熟成牛肉のグリル盛り合わせと厚切り牛タン焼き。着席するなり「今日はこれを食べるためにお腹を空かせてきました!」と宣言した。
取り分けられたサラダや他の料理を摘まんでいると、店員さんがピンク色の美しい断面をしたグリル肉を持ってきた。
「わぁぁ。美味しそう!」
小湊さんが今日一番の歓声を上げた。
分厚く切られた国産牛は部位ごとに大きな木皿にのっている。確かにこれは食欲を刺激される見た目だ。
「小湊ちゃん、お食べ、お食べ」
喜ぶ小湊さんに同じ課の社員が声を掛ける。
「はい! わたし今日の昼はサラダだけにしましたから!」
「小湊ちゃん本気すぎだろ」
「美味しいものを美味しく食べる努力と言ってください」
小湊さんがキリッとした声を出しつつ取り皿に肉を取り分け、ぱくっと口に入れた。
「んまぁぁぁ~」
堪らない、とばかりに体を震わせている小湊さんに、同じテーブルに座る人たちが温かい視線を向けている。
「俺たちも早く食べないと小湊さんに全部食われるぞ」と誰かが言うと「それはやばいな」とみんな一斉に肉に群がった。
「真野ちゃんももっとガツガツいかないと、肉なくなっちゃうよ」
「あ、はい、課長。もちろんいただきますよ」
グルメサイトのメニューを小湊さんと一緒に見たときから、楽しみにしていたのだ。
わたしもトングでグリル肉を取り分けて、一口食べた。
ぎゅっと嚙みしめると肉汁がじゅわっとにじみ出て、口の中に幸せが広がった。
「美味しい」
普段食べている安売りのお肉とは全然違う。さすがは熟成肉。なんだろう、肉の味が凝縮されている気がする。
「真野ちゃん、よかったねえ」
更科課長は飲み会の席になると普段よりも少しだけ砕けてわたしたちを呼ぶ。
お肉の美味しさに感動して、生搾りレモンサワーを飲んでいくうちにわたしの緊張もいくらか解けていった。
四葉不動産の人たちが、わたしが考えていたよりも気さくで話しやすいのも大きい。
同じ課の男性陣も彼らとは普段から馴染んでいるのか、和気あいあいと仕事の話で盛り上がっている。
いくつかの料理の皿が空になる頃には、小さなグループがちらほらできあがっていて、それぞれに会話を楽しんでいた。
小湊さんは周辺の男性社員を巻き込み、共働き夫婦における家事分担の不公平感について叫んでいる。小湊さんは色々と思うところがあるみたいで「家が散らかっていても、なんもしないんだよ」と続けている。
周囲に座る人たちの話し声に耳を傾け、時折相槌を打っていたら、グラスが空になっていた。それに気が付いた近くの参加者がドリンクメニューを渡してくれる。
「真野さん、次何飲む?」
「真野ちゃんも一緒に飲む?」
すでにほろ酔いでご機嫌な更科課長が焼酎のボトルを持ち上げた。
「割るものもたくさんあるよ」
「い、いえ。焼酎はやめておきます」
次どうしよう、と迷ったわたしはジンジャーハイを頼むことにした。
オーダーを入れたあと、一度トイレに立って戻ってくると、席替えが行われていた。
運よく、わたしの元の席は空いたままだった。そこに腰を落として、某同僚の鉄板ネタである旅行先のドイツでツアーバスに置き去りにされた事件を聞きながら、ジンジャーハイを喉に流し込む。
どうやら知らず知らずのうちに同僚たちのペースに合わせてしまっていたようで二杯目も飲み干してしまった。
「真野さん、何か新しいの頼む?」
「え、ええと。どうしようかな……って、忽那さん!」
わたしに飲み放題メニューを渡してくれたのは、なんと今日の幹事、忽那さんだった。
一体いつの間に。驚くわたしの隣に座っている忽那さんがにこりと機嫌のよい笑顔を浮かべた。
「今日は来てくれて嬉しいよ。飲み会で一緒するの初めてだよね」
「忽那さんこそ、幹事お疲れ様です」
「最近は後輩に幹事任せることが多かったから、久しぶりで懐かしかった」
忽那さん自身お酒が入っているせいか、オフィスとは違い、砕けた雰囲気をまとわせている。
いつもとは違う色気のようなものがにじみ出ていて、目のやり場に困った。わたしは渡された飲み放題メニューに集中した。
もしかしたら、シャツのボタンが一つ空いているのも関係しているのかもしれないなどと考えてしまう。駄目だ、これでは自分が欲求不満のようではないか。
「どうしたの?」
「いいえ。なんでも」
急激に顔に熱が集まったような気がして、とっても恥ずかしい。室内が若干熱いせいだということにしておこう。
わたしはなんとか平静を取り繕い、「次は梅酒のソーダ割りにします」と答えた。
「オーケー」
忽那さんがすかさず店員さんを呼び止めた。店員さんが去ったあと、再び彼が話しかけてくる。
「今日はゆっくりしてて。あ、ほかに食べたいものも頼む? 今日は頼んだもの勝ちだよ」
ちなみに今日はコースではなく、料理はアラカルトだ。
「いえ、先ほどから色々と摘まんでいるので。お肉、美味しかったです」
「確かに真野さんおすすめの店だけあって、どの料理も美味しかった」
「いえ、正確には小湊さん推薦ですよ」
わたしは小さな声で訂正した。
「熟成肉の盛り合わせ、大好評だったよ。真野さん食べた?」
「はい。とっても美味しかったです」
「よかった」
「忽那さんも食べましたか?」
「一切れ摘まんで同僚と話をしていたら、大皿が空になっていてびっくりした。真野さん、今度改めて食べに来ようよ」
「えぇっ?」
お酒? お酒が入っているから?
男性免疫ゼロのわたしには忽那さんの言葉が冗談なのか本気なのかまったく分からない。
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