第11話

 突然に仕事でしか繫がりのない人間からプライベートな話題を出されても反応に困るというものだ。ごめんなさい、と心の中で謝った。


「え、いいえ……」


「そっか。うん。真野さんは俺に比べたら全然若いんだから、そんなに急ぐこともないって」

「結婚相談所はまだ考えられないですけど、出会いって自分から探しに行かないと駄目なのかなって。そこは最近考えるんですよね」


「探しに行くよりも、案外近くに誰かいるかもしれないよ」


「だといいんですけどね」


 わたしは力なく微笑んだ。

 そんな都合のいいことが起こればこの年まで処女を拗らせていないと思う。


 入れ食いの忽那さんには分からない悩みなんだろうな、と渇いた心が呟く。


 彼の場合、自分から動かなくても周りが放っておかないだろう。


「忽那さんは爽やかだし優しいので、ひそかに慕っている人が多そうです」


「どうかな。俺もここしばらく決まった相手はいないし」


 駄目だ。忽那さんに気を使わせてしまった。わたしは微苦笑を浮かべる彼の顔に罪悪感を持った。


「わたしの友達はバーベキューで彼氏をつくったそうなので、そういう色々な人がいる場所に行ってみるのもいいかもしれませんね」


 そのせいか、恋愛偏差値ゼロのくせに、絶対にわたしよりも経験豊富であろう忽那さんにアドバイスめいた言葉を掛けてしまう。


「真野さんも、そういう場所に行ったりするの?」


「お恥ずかしながら……これまではあまり。でも、これからはいろんな場所に出かけてみようかと思います。飲み会にも積極的に顔を出してみようかと」


「そう……なんだ。会社関係も?」


「はい」


 なぜだか忽那さんが確認をしてきたから、わたしはゆっくりと頷いた。


 これまでのわたしは、行動範囲を広げる努力をしてこなかったし、目下の懸案事項は、この年まで手放せなかった処女をどうにかしたいということ。長く持っていればいるほど、手遅れになるような気がするから。


 さすがにこんな本音は口に出せるはずもなく、わたしは敢えて明るい声を出す。


「それに、色々な場所に出かけるのも楽しそうですよね。今日初めて来たここも、とても素敵な場所ですし」


「そうだね。俺も一人だと入りづらいから、今日は真野さんに便乗して非日常を味わえたよ。それに真野さんが洋菓子も好きだってことも分かったし」


 お互いお皿の上からはケーキがきれいになくなっている。

 そろそろこのお茶会も終わりに近付いてきている。


 思いがけず二人でケーキを食べることになって、最初はどうなることやら、と緊張したけれど、穏やかな時間が流れていることに心が緩んだ。


 ああでも、わたしのトークスキルのなさが際立っていたけれど。それを確認することができたことも、結果よかったのだ。


 わたしの話にもきちんと付き合ってくれた忽那さんは優しい人なんだなあ、としみじみ感じた。きちんと目を見て話を聞いてくれると、女性は勘違いをしてしまうものかもしれない。


 現に忽那さんと二人きりでケーキを食べたわたしは、彼の特別になったかのような錯覚を覚えそうになった。男性への免疫のなさが如実に表れていて悲しくなる。けれど流れるような仕草でわたしを誘ってくれた忽那さんになら、全部を託してみたい気もする。


 きっと、彼のような人ならば、わたしのような拗らせ処女だって優しく扱ってくれるに違いない。むしろ遊んでいる人のほうが重たく感じることなくもらってくれそうだとも思う。


「ちょっとごめん。少し緩めていいかな」


 ぼんやりしていると忽那さんがわたしに断りを入れた。


 シャツのボタンを外してネクタイを緩める仕草に、わたしはつい見惚れてしまった。ボタン一つ外すだけの仕草がとても色めいていて、慌てて視線をよそに向けた。


 色気がダダ洩れですけれど! きっちりネクタイを締めていた忽那さんも素敵だけれど、オフ感を出した彼のこの、言いようもない雰囲気はどうしたことだろう。


 心臓がばくばくと鳴り出して頰が熱くなった。

 きっと、不埒なことを考えていたせいだ。


「どうしたの?」


「いいえ! なんでもないです」


 わたしは先ほど忽那さんに対して抱いた考えを慌てて頭の中から追い払った。





「最近忽那さん来てくれなぁーい」


 終業後にそんな鈴木さんの嘆き声がこちらまで聞こえてきた。


「そんなしょっちゅう来るわけないじゃんねぇ」


 ぼそりと突っ込みを入れたのは小湊さんだ。


 確かに、それはそうだ。そもそも忽那さんは役職持ちで部下もいるのだから、彼がわざわざ足繁くうちの課に通う必要はない。


「忽那さんも忙しいから、さすがにうちにばかりかまけているわけにはね」


 別の男性社員も苦笑顔だ。


 わたしはパソコンの電源を落として帰り支度を始めながら、つい考えを口に出してしまう。


「やっぱり、鈴木さんて忽那さんのこと好きなのかな?」


「どうだろ」


 わたしの独り言に小湊さんが答えた。

 かなり冷めた声だった。彼女はその声同様に冷たく鈴木さんを一瞥する。


「あ、真野さんまだいた。小湊さんもちょっといい?」


 鞄を持って席を離れようとしたところに、更科課長が戻ってきた。先ほど、スマホで通話しながら、空いているミーティングルームへ歩いていったのだ。込み入った用件だったらしいが、案外早く終わったようだ。


「どうしたんですか、課長」


 わたしたち二人を連れて歩き出した課長は、推進課から少し離れたオープンスペースで立ち止まった。


「オフレコなんだけどね。今度うちの課と不動産のメンバーでちょっとした懇親会をしようって話が出ていてね」


 課長が声を潜めた。


「懇親会ですか」


 わたしと小湊さんが顔を見合わせる。

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