第8話

「言おうとは思っていたんだけどね……。その……ちょっと恥ずかしくって。わたしが洋祐くん推しなのは美咲も当然知っていたじゃん?」


「うん」


 洋祐くんとは一花ちゃんの推しである。

 アイドルとして活躍する一方で、彼は俳優業もこなしていてコンスタントに映画やドラマに出演している。


 わたしたちと同世代なのだが、童顔で甘いマスクを持っている。弟キャラが似合いそうなその外見に反して彼は幅広い役を演じる。そのギャップが堪らないのだと、一花ちゃんは彼がドラマや映画に出演するたびにきゃっきゃと騒いでいる。


 そのため、わたしも洋祐くんが出演する作品タイトルはひと通り知っていたりする。


「実は付き合いたての頃、ファン仲間の一人に、洋祐くんがいるのに、現実の彼氏をつくるって何事だって言われちゃって。かなり重めのファンの子だったから……。わたしも、その言葉を引きずっちゃって……」


 洋祐くんのことでワーキャー言っていた自覚があったから現実に彼氏をつくったことを美咲にも言い出せずにいた、と一花ちゃんは続けた。


 ファン心理にも色々あるのだろう。けれどわたしとしては、アイドルと現実の彼氏は別物だとの考えだ。

 確かに、好きな芸能人を想うベクトルは人それぞれだ。一花ちゃんのファン仲間が彼女に苦言を呈するのも致し方ない。


「わたしはそんなこと言わないって」


「……ですよね」


 一花ちゃんが肩を落とした。


「そこまでしゅんとしないで。ちょっと、寂しかっただけだから」


「ううう~、こっちこそごめん。でも、大学時代の友達の中で一番に報告したのは美咲だから。他のみんなには今度会うときに報告するから許して~」


 一花ちゃんの気遣いにちょっぴり浮上した。


「そんな怒っていないよ。おめでとう。結婚式はするの? 彼はどんな人? 会社繫がり? それとも、違うところで出会ったの?」


 わたしは矢継ぎ早に質問した。


 普段タイフーンの追っかけに多くの時間を費やしていた一花ちゃんは、どうやって結婚を決めた彼氏と出会ったのだろう。やっぱり結婚相談所だろうか。


「あー……うん。最初のきっかけは会社の先輩に連れていかれたバーベキュー」


「バーベキュー?」


「わたしがいい年して洋祐くん洋祐くんって毎日会社で言っているから憐れまれた。友達の友達とか、いろんな人がやってくるバーベキューに連れていかれて、そこで知り合ったのが今の彼」


「へえ……リア充みたい」


 わたしには天と地がひっくり返っても無縁なキラキライベントだ。


「正直、最初話しかけられたときはぜんっぜん興味もなかったし。むしろわたしの趣味を馬鹿にしてくるし。なんでこいつと一緒にご飯食べることになっているの? ってくらい、いつの間にか次会う約束取り付けられてて引いたし!」


 一花ちゃんはダンッとテーブルの上に飲みかけのサワーを置いた。それと同時に肩のラインで切りそろえられた髪の毛が揺れる。一花ちゃんは化粧で誤魔化す必要がないくらい、整った顔立ちをしている。


 きっとそのバーベキューでも目立っていたに違いない。


「わたし負けじとタイフーンの最推しコンサートDVD観せたんだよね。連続六時間」


「おおう……」


 ファンでもない人にコンサート映像連続六時間はなかなかのものだ。


 最初は水と油だった二人の関係が、色々あってそういうことになったのだ、と一花ちゃんは若干悔しそうに語った。


 彼女の気まずい感情の裏には、彼氏をつくる気もなかったのに押せ押せで来た今の彼氏さんにほだされて、結果男女のお付き合いに発展したことへの照れ隠しもあるらしい。


「すごい……一花ちゃんをその気にさせたんだ」


「タイフーンの解散で弱っていた心に付け込まれた……」


 照れ隠しをする一花ちゃんが可愛い。こういうのも惚気に入るのだろうか。


「でも、結婚と洋祐くんは別物だから! わたしはこれからも洋祐くんを推していくから」


 一花ちゃんが毅然と宣言した。


「彼氏さん、拗ねない?」


「まあ……渋々って感じかな。拗ねたら面倒だからそこは……、適度にご機嫌とってる」


 タイフーンの解散発表時、何もしてあげられない自分の無力さをわたしは痛感した。あのとき、一花ちゃんの悲しみを受け止め隣に寄り添ったのが、彼氏さんなのだ。


 こういうのは縁なのだろうな、と思った。人と繫がる場所に出かけて、一花ちゃんは今の彼氏さんと出会った。


 何もないと嘆いてばかりのわたしは、自分から新しい場所へ行くことに躊躇っていつも同じ場所に留まってばかりだ。


 そりゃあ行動を起こさないのだから、なんの縁も運ばれてこない。今年は何かあるといいな、と思うだけでは駄目なのだ。


 ただ待つだけのわたしと人が集まる場所へ出かけた一花ちゃん。


 置いていかれたと勝手に拗らせているだけの人の元に王子様などやってくるはずもない。しかもこの年にもなって王子様ってなんだ。思考が乙女すぎだろうと呆れた。


 一花ちゃんは来春に挙式予定だと教えてくれた。


「わたしの近況はまあ、このへんで。次は美咲の番」


 一花ちゃんが弾んだ声を出す。


「え、わたし? わたしはこれと言って面白い話はないよ」


「美咲は誰か、いい人いないの?」


 やはりそう来たか。一花ちゃんの目がきらっきらと輝いている。


 わたしは今まさに食べようとしていた真鯛の香味揚げを取り皿の上に戻して、テンション高めに笑い飛ばす。


「ええ~、わたしは特になんにもないよ」


「そうなの? 会社の同僚とかは? 前にカッコいい人がたまに来るとか言っていたじゃん。いい人できたら紹介してよ」


 そういえば忽那さんのイケメンぶりを一花ちゃんに話したような気がする。


「あれはテレビの中の俳優と同じ感覚だよ」


「美咲髪の毛切ったじゃん。それに、色も入れたよね? うん、似合っているよ~。てっきり何かいいことがあったんじゃないかと思ったんだけど」


「これは、別に。ちょっと思うことがあって」


 鎖骨辺りまで短くなった髪の毛がさらりと揺れた。


 わたしがなんの前振りもなく髪を切って染めたものだから、今週は会社の同僚にも質問攻めにあった。どうして髪型を変えると恋のイベントがあったと深読みしてくるのか。理解不能だ。


「ええ~、なになに?」


「実は……」

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