第7話
金曜日の鈴木さんの言葉を引きずったままのわたしは、週末美容院へ行った。金曜日の夜にスマホで検索してポチリと予約ボタンを押してしまったのだ。
おしゃれな場所で髪を切れば、わたしでも多少は垢ぬけることができるかな、と表参道近くの美容院を選んでしまった。
我ながら単純すぎて、美容院に入った途端に後悔した。
指名は別段しなかったけれど、担当してくれた美容師さんが男性で、しかも愛想よく話しかけるタイプの人だったから余計に焦ってしまった。
髪型一つ決めるのも四苦八苦で、自分の希望すらうまく伝えられない。短くしたいのとイメージを変えたいこと。それだけを伝えたはずなのに、終わってみたらカラーリングまでされていて驚いた。どうやらお勧めされるままに首をこくりと下に向けたらしい。
「わぁ……全然違う」
「髪型とカラーを変えるだけでぐんと印象が変わりますよ」
美容師さんは満足そうに頷いている。
鏡の中のわたしを凝視する。背中の真ん中まであった髪の毛は、鎖骨の辺りで切られてふわりと揺れている。美容師さんお勧めのアッシュベージュは、わたしの顔色をいくらか明るくしてくれている。
わたしでも垢ぬけることができるんだ。髪型と髪色でずいぶんと印象が変わったことがくすぐったい。
「今日のスタイリングに使った商品がこちらです。どうですか。他にもヘアトリートメント製品もオリジナルでいくつか出しています」
どうやらあまりの変身ぶりに相当に浮かれていたらしい。気が付くとおすすめされたヘアトリートメント製品をお買い上げしていた。
「ありがとうございました」
担当美容師さんのキラキラした声を背中に受けて、わたしは店を後にした。
こんなことでもなければ髪の毛を染めることもなかっただろうし、よい気分転換にはなった……はず。わたしはそう思うことにして、せっかくだからと場所を移動してファッションビルにも入ってみた。
普段は行かないような、雑誌に載っていそうなおしゃれなブランドを眺めている最中ハッと我に返った。
あまりにもあからさまに服装を変えると、それはそれで鈴木さんの格好の餌食になるのではないだろうか。何しろ彼女は真野ファッションチェックをしていると言っていた。
突然にファッションの系統を変えたら、トイレでの話を聞かれていたと思うかもしれないし、何か別の理由があるのでは、と勘繰られるかもしれない。
冷静になったわたしは、ひとまずファッション誌を買って帰ることにした。
今まで定番およびシンプルなものばかり買ってきたから、何が自分に似合うのか分からない。まずは最近の流行チェックから入ろう。
それに今日は髪の毛を切っただけでも大成果。たったそれだけのことだけれど、気分が軽やかになったことを実感する。わたしはちょっとだけふわふわした足取りで帰宅の途についた。
週が明けた金曜日の夕方。
推進課のみんなは暑気払いだけれど、わたしは一人上野へと向かった。今日は大学時代の友達、水戸一花ちゃんと待ち合わせをしているのだ。
二人とも帰りやすいとの理由で上野で落ち合い、予約していたダイニング居酒屋へと入った。
最初のドリンクが運ばれてきて「乾杯」と軽くグラスを合わせて、わたしたちは喉を潤す。八月に入って気温はぐんぐんと上昇。今年の暑さも異常だと連日ニュース番組やお天気アプリが騒いでいる。
氷で冷やされた冷たいお酒が美味しい。
一杯目のグラスが半分くらいになったところで一花ちゃんから爆弾発言があった。
「実はね。タイフーンの解散がショックすぎて泣いていたら……今お付き合いしている人と結婚することになりました! 以上報告終わり!」
ぐさり、とその言葉がわたしの心の奥に突き刺さった気がした。
一花ちゃんの頰がうっすら赤く染まっている。お酒に酔って、ではないことは明白だった。
「おめでとう、一花ちゃん」
わたしは内心の自分勝手な動揺が表に出ないよう注意して、祝福の言葉を掛けた。
置いていかれたと思うのはわたしの勝手で、一花ちゃんには関係ない。
また一人、友人が結婚を決めた。
「ありがとう、美咲。自分でもびっくりだよ。タイフーンの追っかけばかりしていたわたしがまさか結婚することになるとは」
一花ちゃんが照れ笑いを浮かべる。
タイフーンとは日本人と台湾人のメンバーからなるアイドルグループである。一花ちゃんは大学在学中から、このグループの熱心なファンだった。
社会人になってからは「これからは推しにたくさん貢げる~」と嬉しそうに全国ツアーチケットを複数公演分購入するほどの入れ込みようだった。
そのタイフーンが突如として解散宣言をしたのはついこの間、七月下旬のことだった。
特にこれといって趣味もないわたしはこれまで何度か一花ちゃんと一緒にタイフーンのコンサートに行ったことがある。バイタリティ溢れる彼女は日本国内だろうと台湾などの海外だろうとチケットが取れると、ちゃちゃっと遠征する。
「旅行ついでに美咲も一緒に行かない?」と誘ってくれるので、わたしはこれまでに数回その遠征旅行に付き合っていた。人生初の海外旅行は台湾だった。本場の小籠包がめちゃくちゃ美味しかったな、とあの時の味を思い出した。
「でも、わたし一花ちゃんに彼氏がいたこと知らなかったな。いつから付き合っていたのか、聞いてもいい?」
そうだ。このことも地味に胸に突き刺さった。一花ちゃんとはそれなりの頻度で会っているのに、今まで彼氏の存在をまったく匂わせなかった。
一花ちゃんは気まずそうに、視線を泳がせた。
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