第6話
「あーあぁ。また忽那さんどら焼き買ってきてる~」
自分のデスクに戻ってきた途端、鈴木さんのがっかりした声が聞こえてきた。忽那さんが持ってきたお土産を、彼女はちゃっかり開封したらしい。
近くの女性社員も集まってきて、井戸端会議が始まる。
「ほんとだ。忽那さんも飽きないね」
「だよね~。どんだけどら焼き好きなのって感じ」
さっきまで甘い声を出していたのが噓のような鈴木さんの乾いた声に、わたしは少しばかり頰をひくつかせた。
「忽那さん、顔はかっこいいのに、こういうところがおじさん趣味なんだよね。顔はかっこいいのに。三十五には見えないのに」
「ちょっと心愛、イケメン強調しすぎだから」
「確かに忽那さん、イケメンなのにチョイスが渋いよね。しかも毎回どら焼き」
「もうちょっと女子ウケするお菓子買ってきてほしいよねえ」
女性たちは本人がいないことをいいことに言いたい放題だ。
「このへん人気のパティスリー多いのに。どうしてそこで買ってきてくれないのって毎回思う」
鈴木さんが無念そうな声を出した。
いや、手土産なのだから、それは厚かましいお願いだろう。
「鈴木さん言いたい放題だね。あれ、毎回心底すごいって思うわぁ」
コーヒーを出し終えて席に戻ってきた小湊さんがわたしにだけ聞こえる音量で囁いた。
「……」
わたしは苦笑いのみお返しした。
「鈴木さんじゃないけど、忽那さんもどうして毎回どら焼き一択なんだろうね?」
小湊さんもそこは気になるらしい。
「うーん。どら焼きが好きなんじゃないですか?」
「まあ、そんな理由だよね」
「コーヒー淹れに行ってくださってありがとうございます」
わたしは先ほどの件についてぺこりと頭を下げた。
「こういうのは手の空いてる人がするものでしょ。で、本社エリートの忽那さんと二人きりでお話タイム。どうだった?」
小湊さんは仕事を再開するわけでもなく、にんまりと笑みを浮かべる。
「別に、ただ仕事の話をしただけですよ」
「イケメンと二人きりだとドキドキしちゃうでしょ」
小湊さんは完全にわたしをからかう体だ。既婚の小湊さんは他人の恋を応援することを楽しみにしている。本人曰く、自分にはもうトキメキ要素がやってこないから潤いがほしいとのこと。しかしわたしにそれを求められても、何も提供できない。
「確かに忽那さんはイケメンだと思いますよ。でも、テレビで観る俳優と同じですよ」
「あ、やっぱり真野さんでも多少のミーハー心はあるわけね」
「そりゃあ、まあ。客観的に見て忽那さんはカッコいいと思いますし。シュッとして若々しいから三十半ばには見えないですし。お腹も出ていない? ですよね」
わたしは「最近ビールの飲みすぎで腹回りが……」とぼやいていた兄と忽那さんの体型を頭の中で比べた。結果圧倒的に忽那さんが勝利した。
「あ。真野さんてもしかしてむっつり?」
「もう! そんなんじゃありませんっ」
思わぬ指摘にわたしは顔面から火を噴く。別に、いやらしいことは想像していない。
「あはは。ごめんって。真野さんが男性を褒めるのが珍しくって」
「客観的な意見です。だって、この会社の独身女性、みんな忽那さんを狙っているでしょう?」
「そんなことないよ。あんな高スペックな男を本気で狙う人、そうそういないって」
「だって……来週のうちの課の暑気払いに忽那さんが来るって、なぜだか知っているくらいですし」
わたしは声のトーンをさらに落とした。さっきもトイレで鈴木さんがそのことについて不満を漏らしていたからだ。
「あ、そういえばそうらしいね。なんか、向こうから参加したいですって言ってきたらしいよ。ていうか、何もうみんな知っているんだ」
「わたしは知りませんでしたよ」
「わたしだって聞いたの今朝だよ。あ、なあに真野さん、気が変わって参加する?」
「いえ、その日は友人との先約がありますので不参加です」
「はいはい。分かっているって」
「グループ会社の暑気払いにまで参加するだなんて、会社同士のお付き合いも大変ですね」
わたしがしみじみした声を出すと、小湊さんが今思い出したような顔を作った。
「その忽那さんといえば、不動産のほうでは何やら不穏な噂が」
「え?」
小湊さんはとっておきだというように目配せをしてきた。
転職組で、外回りもこなす小湊さんは存外に顔が広い。明るくはきはきした彼女には課長も期待をしていて、最近では彼女を同行させることも増えた。その成果が発揮されているのか、近頃小湊さんは色々なところから噂話を仕入れてくる。
ちなみに不動産というのは四葉不動産を指す社内用語のようなものだ。
「不動産の女性たちもイケメン忽那さんのことを狙っているんだけどね。なんでも、けっこうな肉食でお持ち帰りされた女性は数知れず。泣かされた女性も片手では済まないらしいよ。さすがイケメン、な話を聞いたわ」
そ、それは……なんていうか。人当たりがいいのは肉食系だからなのか。
でも少し意外だった。
忽那さんは爽やかだし、誰に対しても態度を変えない。女性に対して変に馴れ馴れしいわけでもないし、常に一歩引いて礼儀正しく接してくれている印象があったからだ。
「忽那さん、遊んでいるんですか……?」
とても女性を泣かせているようには見えない。そういう意味を込めて小湊さんを見つめ返す。
「ああいう爽やかそうなのに限って裏では遊びまくってんのよ」
小湊さんはずいとわたしに顔を寄せて断言する。
「だからさ。一歩下がったところからきゃーきゃーしているくらいがちょうどいいのかもね」
小湊さんはそう締めくくった。
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