第4話

 その忽那さんは今日このあと、うちの課にやってくる。


「でもさぁ。天下の四葉不動産、勤務だよ。グループ会社のうちらとは格が違うじゃん。顔だってカッコいいし。まあちょっと年が離れているから、なんていうか。向こうがその気なら、的な?」


「今、三十五だっけ? そんな感じしないけどねー」


「その辺の俳優よりイケメンだよね。目の保養だよねー」


「でしょう。しかもねー、優しーんだよぉ」


「心愛、忽那さん来るといつも以上に声高くなるよね」


「ずるいなあ。わたしも仲良くなりたいのに」


「え、何、そっちのほうこそ忽那さん狙い?」


「彼とお近付きになって四葉不動産の後輩を紹介してほしいんだよねー」


「あ、それもいいよねぇ」


「てか、心愛メイク直し本気すぎ」


「いいじゃん。ちょっとでも忽那さんの目に可愛く映りたいもーん。推進課って、ほら、地味ーな真野さんがいる課でしょ。だから余計に可愛くしておかないと」


「うっわ。心愛、真野さんにはそれなりに懐いているくせに」


 鈴木さんの口からわたしの名前が出た瞬間、心臓がひゅっと縮こまった。


「だって。今日の真野さんの服見た?」


 その声は、明らかにわたしを嘲る色を乗せていて、背中に嫌な汗をかくのを感じた。


 トイレの個室の薄い扉越しにまさか本人がいることなど想像もしていないのだろう。女の子たちは、噂話に興じるとき特有の、ほんの少しだけ悪いな、と思いつつまったくそれを感じさせることのない声の高さで話を進める。


「え、今日の真野さんどんなんだっけ?」


「さあ」


 話題を振られた二人の声があとに続く。


「今日も相変わらずの地味ファッションでウケたわ。しかもそのスカート今週二回目ですよ、って突っ込みたい」


 きゃはは、と鈴木さんは笑いながら続ける。


「よく見てるね。そんなの」


「だぁって。あそこまで地味でローテーションが短めだと逆に気になっちゃって。何げに真野ファッションチェックしてるから、わたし」


「ひまじーん」


「ひまじゃないですぅ」


 きゃらきゃらとした笑い声がわたしを包んでいく。

 喉がひりひりする。


 普段は先輩であるわたしに、丁寧な言葉遣いとふんわりとした可愛らしい態度で接してくれていた鈴木さん。

 その彼女が、裏ではこんなことを思っていたことが信じられなかった。


 ドクドク、という心臓の音が聞こえた気がした。

 わたしは飛び出すこともできず、個室の中でじっと立ち尽くしていた。


「でもまあ、伸ばしっぱなしの野暮ったい髪の毛といい、スッピンみたいなうっすい化粧と地味ファッションのおかげで、わたしの引き立て役にはちょうどいいけどね。わたしのほうが若いしかわいいし!」


「うーわ。今度本人に言ってやろ」


「真野さんかわいそう」


 同僚二人が合いの手を入れるが、声のトーンからして本心ではないことが分かる。


「わたし外面いいから真野さん一人くらい簡単にだませるもーん」


「あー、はいはい」


「ほら、行くよ」


 パチン、とコンパクトを閉じる音が聞こえ、やがて笑い声と足音が遠ざかっていった。


 しばらくしたあと。わたしはよろよろとトイレの個室から出た。

 まだ激しく脈打っている。


 こんな風に自分が笑われていただなんて、想像したこともなかった。手を洗い、鏡の前で自分の姿を見つめる。


 最後に髪の毛を切ったのはいつだろう。いつの間にか背中の真ん中あたりまで伸びている。生まれてこのかた染めたこともない黒髪。

 顔を彩る化粧は薄く、最低限。学生時代アイラインを引いたりつけまつげを付けてみたことはあったけれど、どうにもしっくりこなくてやめてしまったのだ。


 わたしのことはわたしが一番知っている。

 顔は十人並みだし、可愛らしさを前面に押し出したようなファッションには気後れしてしまう。なのでわたしが選ぶ服といえば、ザ定番を前面に押し出したような形と色のものばかり。ベーシックカラーが中心だから面白みがあるわけでもない上に数も持ち合わせていない。


 それを第三者に指摘されることがことのほか堪えた。心にぐさぐさと矢が突き刺さったような心地だ。


 わたしは傷を負った兵士のようにふらふらと自分の席に戻った。

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