4話 何も信じられない

 ――彼は、『ラストブラッド』のなのですから――。


 先ほどユーリから聞いた言葉が、脳に焼き付いてどうしても離れない。

 なぜ、騙していたのだ。自分の正体を知っていて、なお、傍に置いておいたというのか?

 マリーは無我夢中で走っていた。

 何も考えられない。何も信じられない。なんで、なんでなんでなんで……!?


「……信じてたのに……!」


 前から疑問に思っていた。自分がラストブラッドに殺されそうになって、それを止めたとき。あのとき、「シリウス」と、彼の名前を知っていた。


「どうしてあの時、私は気付けなかったのっ?」


 自然と目頭が熱くなってゆく。なぜこんな思いをしなければならない。世界は理不尽ばかりだ。


 気が付けば外に出ていた。雨が降っている。全身が濡れに濡れてもマリーは止まることを知らなかった。行き交う人を避け、ぶつかり、また避け。とにかく必死だった。もうなにも考えたくない。助けて。誰か助けて。


 ――助けてくれる人なんて、どこにもいないのに……。


 急に現実に戻された。その思考を振り払おうと、必死に頭を左右に振った。


「あっ」


 前を向いていなかったため、どうやら誰かにぶつかってしまったらしい。前を向くと、巨漢の男がそこにいた。それからその人についているチンピラ不良共が、小さな体のマリーを囲んだ。


(しまっ……!?)


 マリーは手を咄嗟とっさに腰へと流す。だが、そこには武器などなかった。あると思っていた。急いで教会から外に出てしまったので――武器保管庫に仕舞っていた――武器など取り外しているに決まっている。マリーは青ざめた。今のこの戦力ではこの目の前居る巨漢共には勝ち得るはずがないと自覚していた。


「あー? なんだおめえ」

「あ、す、すみません……失礼します」

「おっとぉ。待ちなよ。兄貴にぶつかっておいてそれはなんだよ」


 ひとりの青年不良がマリーの前に立ちはだかる。


「それは、謝ったじゃないですか」

「それは謝った態度ではないよね?」

「きゃっ! 離して!」


 男の強い力で細い手首を掴まれる。痛い。けれど、恐怖など感じなかった。普通の女性であれば恐怖し、怯え、言いなりになるのだろう。しかし、マリーはこれよりも怖い体験をしている。

 倒すことはできなくとも、撒くことはできる。彼女はそのすべを知っていた。


(こんなの、脅迫にならないわ)


「何か言えよ。ん? ――ッッ!?」


 瞬間、青年の顔から血の気が引いていく。マリーからは恐怖の表情ではなく、ただ純粋な笑みが垣間見えた。


「こんなことしても、私は恐怖しないわ」

「あぁ!? ふざけてんじゃねえぞ、女だからって調子乗りやがってよ!」


 ひとり、またひとりと声を荒げていく。なんて小さい人間なのだろうか。


「ちょっと、そこ触らないでよ! セクハラよ!? って、きゃあ!」


 何とか逃げたり、また掴まれたり、何度もその繰り返し。

 ダーンッと、ついに地面に叩きつけられた。痛みよりも屈辱がまさった。


「離して!」


 悲痛な叫びが、その一帯を静寂へと包み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る