3話 ユーリ第一審議官

「リトリアさん」


 呼び止められたリトリアは何も警戒せずに後ろを振り向く。相手はユーリだった。ユーリは先ほどと変わらない屈託の無い笑顔でこちらを窺っている。


「なんでしょうかユーリ審議官。まだなにか用事でも」

「さっきの話なんですがね」


 リトリアは話を遮られたため、むっとした表所になった。だんだん眉間にしわがよる。そのことを気にしないかのようにユーリは話を続けた。


「……」

「『人柱』のことですよ。ひ・と・ば・し・ら。なんで隊長が国家機密の事をご存じなんですか? 不思議だと思いまして」

「国家機密。そうだったんですか。スミマセン、知りませんでした」


 その言葉を聞いた瞬間、ユーリは物凄い眼光でリトリアを睨んだ。流石に怖気おじけづいたのだろう。一歩だけ、リトリアは後ずさった。余裕のない表情でユーリを見る。


「……ははっ! 知りませんでした、で、済むような話ではないんですよ。右腕の事、なんで知っているんですか? どこから情報を手に入れたんです。結構、厳重にしていたんですがね~」

「……分かっているんでしょう? 分かっていて、あなたは私をこの教会に置いている。私の正体を、知っている」


 マリーはこの二人が何を言っているのか分からなかった。分かろうと、したくなかった。理解してしまったらこの先、この人を慕えなくなる。そう感じていたからだ。この場では空気以下の存在だった。


「えぇ、知っていますよ? 知っているから、尚の事」

「……忙しいので失礼しますね。行くよマリー」

「は、はい。失礼します!」


 そう言ってリトリアはその場から去った。逃げた、と言った方が正しい。リトリアほどの実力を持ってしても、そこは第一審議官。有無を言わせないプレッシャーをその細身の体から放出していた。マリーは思わず身震いした。


(……これが、第一審議官――ユーリ=テトラの実力……‼)


「あ、マリー=ブレーライン司祭補佐官!」


 ユーリは何かを思い出したのか、リトリアの背に付いていたマリーを呼び止めた。マリーは条件反射で返事をしてユーリのもとへと近づいた。リトリアは彼女のことを気に留めず、そのまま足を進めて行ってしまった。


「はいっ! ……え?」

「今の話は他言無用ないしょでお願いします。……それから、彼のことを恐れないであげてください。彼は彼なりに、難しい人生を乗り越えてきたに違いありません。何せ彼は――」


 その次の言葉に、マリーは初めてリトリアという男に恐怖した。

 今まで、なんで彼と行動していたのか、頭が真っ白になった。


 *


「ユーリ第一審議官」

「ああ、カーネストですか。どうかしたのですか? そんなに難しそうな顔をして」


 マリーが去った後、廊下にはユーリが立ち尽くしていた。ユーリは声をかけられた方へ振り返る。そこにはカーネストが難しい顔をして立っていた。

 カーネストは厳格な人である。何もせず、ただ淡々と言葉を言い、気難しい顔をして立っていれば、それだけで怖い顔をしているように見えてしまうのだ。カーネストは今、その状況下にあった。


「難しい顔、ですか。そんなつもりはないのですが」

「結構顔に出るタイプなんですよ。気を付けてください? 規律が乱れないことはいいことですが、怖いイメージはぬぐえませんよ。……それで、何かあったのですか?」

「……リトリア殿のことですが」

「……?」


「彼は――なのですか?」


 核心をついてきた。この事実について知っている者は上層部と一部の教会の人間のみ。カーネストは除外されているはずである。ユーリは疑心を持った。気付かれないように、ゆっくりと視線を細め、そして微笑した。


「何を言っているんですか? 彼は、?」


 強く念を押すように、一音いちおん一音はっきりと応えた。怪訝けげんそうな表情で嫌々納得したカーネストは、渋々うなずき「それならいいんですが。……勝手なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした」と、素直にユーリに頭を下げ謝った。


「なぜそんなこと聞くんです?」

「この教会の脅威となるならば排除しようと思いまして……。しかし、よろしいのですか? あのまま野放しにしていても」

「えぇ。その方が面白いですし、なにより……」

「『なにより』?」


 ユーリは今までにないほどに口元を大きく歪ませて、笑った。


「……なにより、僕はみてみたいんですよ。この世界の歪みゆく姿というものを、ね」


 *


「これからが楽しみです。……吸血鬼と教会は相反あいはんする存在なのに。なかなかどうして。ああ、楽しみです! これから彼らはどう歪んでいくのでしょうねぇ? く、くふ、ふふふっ」


 ユーリは独りごちる。

 静けさを保った教会本部の廊下の空気は、彼の歪んだ声によって震える。

 不穏な空気が彼の周りを渦巻いた。

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