3話 兄の覚悟、弟の覚悟

「ふふ。いい日々を過ごしているようで安心したよ、シリウス」


 教会のアリアの寝ている部屋に爽やかな風が吹く。窓の塀に先ほどまでシオンと共にいた実兄――リトリアが腰掛けていた。その顔はなんとも言えない穏やかな表情で、『愛』に満ちていた。アリアはまだ夢の中にいる。

 幼女の呪いを受け入れ、右腕は敵のものになった。どれだけの犠牲を払ってきたのだろう……。リトリアは自分が不甲斐なく思えた。弟のピンチに何一つ、何もしてやれない自分に腹を立てた。


 ――非力だな。デュラハンの彼はこの子に沢山の事をしてくれているというのに。私は、兄として、何もしてやれない。


「……私は、お前に何もやれていないね」


 ぽつりと呟く。それは悲痛な心の叫びだった。リトリアはアリアの美しい母親ゆずりのその銀髪をさらり、と撫でる。日の光に当てられて、銀髪の色がより一層きらびやかに映える。キラキラとしている。それはまるであの世界の――。


「――兄さん…………」

「!」


 ふと、アリアの目がゆっくりと開かれる。リトリアは一瞬思考が停止した。まさか起きるとは思わなかったのだ。銀髪に掛けていた手をするりと離す。ポーカーフェイスは健在だろうか。


「ん? ?」


 ようやく意識がはっきりしてきたのか、アリアの表情が段々固まっていく。

 あのような最悪な再会を果たし、あんな別れ方をしたのだ。いくら兄弟でも数十年間――もうすぐで百年――会っていないのだから、気まずくなるのも致し方ないのだろう。


「え……と。お、お久しぶりです……リトリア兄さん」

「うん。久しぶりだねシリウス。具合はどう?」

「どう、と言われましても……」


 なぜだか、アリアは自然と兄に対する話し方が敬語になっていた。小さいころはあまり気にならなかったし、この間だって敵だと知ったから敬語ではなく敵に対しての言葉を放っていたのだが。今は違う。この男は「兄」としてこの場にいるのだとアリアはそう感じていた。

 しかし、何を話せばいいのか。そもそもなぜこの場にこの人がいるのか、理解できていなかった。


「……シリウス?」

「はいっ」

「どうしたんだい? ……! やはりまだ具合が……?」

「いや、そういうことではなくっ」

「ではなぜそんなにも固くなっている?」

「それは、兄さんが目の前にいるからです……。なんというかその、何を話していいものか」


 わからない。

 するとリトリアはうっすらと微笑を浮かべてアリアを見る。


「あの頃は『リトリア兄さ~ん』って、よく私の後ろをついてきたものだというのに……」

「そ、それは昔の話です! 恥ずかしいこと言わないでください! 一応私の中では黒歴史なんですから!」

「おや、そうだったのか。ふむ。それは惜しいな」


 と、リトリアは在りし日を懐かしんでいた。アリアはなんだか申し訳ない気分になった。こんな再会の仕方でなければ。あの日のように、話し合えたかもしれないのに。


「兄さん」

「ん?」

「用件があってここに来たのではないのですか?」

「用は特にないよ。ただ私はシリウスの容体が気になったのでね。こうして見舞いの品を持ってきた次第だ。ほら」

「……? なんです、これ」

「お前の用心棒に教えてもらった店で購入した良い香りのする石鹸だよ。これで湯船にかりなさい。きっと癒されると思うよ」

「あ、ありがとうございま、」


 言葉に詰まる。用心棒……? と、アリアはその言葉に疑問を持った。用心棒は雇っていない。


「え?」

「彼はお前の用心棒ではないのかい?」

「彼? ……シオンの事ですか? 彼に会ったのですか!?」


 驚いた。シオンは基本的に社交的な性格ではない。ましてや知らない人間との交流を持つことさえ嫌っている。だから教会に引きこもっているのだ。リトリアとはほぼ初対面だったはずだ。それなのに、自分の趣味を話すだなんて……。これは異例なケースだった。


「気を許していたんですね……」


 どうしてだかは謎だが、シオンが大人として、自分以外に意識を向けたことに対してアリアは感心した。心の底から嬉しかったのだ。まるで我が子が一つ大人になった時のような感覚に満たされた。幸福に満たされた安堵の表情を見せた。


「……そんなに彼が大切?」

「え?」

「とても穏やかな空気だ。お前が気に入るのもわかる子だった。この数十年で変わったな。……親代わりとしてはとても嬉しい限りだよ」

「……。兄さんが……いなくなってからずっと一人で、いや、シトリーや他の契約悪魔とは仲良く暮らしていましたけど。……兄さんは知らないと思いますが、恋人も一時期居たんです。私の所為で死んでしまった、人間ですが。それから教会に捕まって腕を奪われ、シオンに出会いました」


 リトリアはただ何も聞かず、淡々とアリアの言葉を聞き入れる。


「小さい頃は、外の世界は怖いところだから出てはいけないと。そう思っていました。でもね、兄さん」

「?」


 一拍置き、決心したようにひとつ大きく息を吸い、吐いた。


「外の世界には嬉しいことも悲しいこともたくさんあります。私は、純血種で。それは変えられない事実で。変えることの叶わないことで。いくら私が皆を守ることのできる力を持ったからと言って、今後も狙われることに変わりはありません。ですが、守るべきものがあるのも事実」

「……」

「それらを教えてくれたのは、リトリア兄さん。あなたです」


 幼いころからずっと守られてきた。それがリトリアという兄の失踪によって生き方の全てをくつがえされたことでやっとシリウスは理解したのだ。

 自分で生きることの大変さを。大切さを。他人と関わることで色々なことを学んだ。人間に恋をした。初めて自分から愛した。権力も何も関係ない。唯一無二の存在。それを壊された絶望の感情。殺意。外の世界で学んだものはとても沢山で……、どの感情も捨ててはならないものだと。シリウスは『独り』になってやっと分かったのである。


「……私は、何もしていないよ。お前がひとりで成し遂げているだけだ」

「そうだとしても! 兄さんには感謝しているのです!」

「……。シリウス……」

「だから、今度教会として私の、私たちの前に現れたらその時は――」


 そこで言葉に詰まる。しかし、ひとつ深呼吸をし、アリアは放った。

 これは、すでに変えられない事象だから。


「その時は……敵としてあなたを見ます」


 声が震えて、最後まで聞き取ってもらえたか自分ではわからなくなっていた。しかし、リトリアはうつむき、口を開いた。その答えが分かっていたような、そんな口ぶりで。


「……そう、か。わかった。良かったよ」

「兄さ、」

「安心した。お前が、ちゃーんと『今』を生きているようで。これで心置きなく本部に戻れるよ。……ひとつ忠告をしておこう。忠告というか、情報かな」

「?」

「お前の、その少女の姿の呪いは右腕が戻ればける」

「!? 右腕のを知っているのですか!?」


 リトリアはくすっと意地の悪い笑顔を見せた。


「在り処は知っているよ。でも、私の口からは言えない。教えられない。だから教えてもらいなさい。きっとあの子はお前に頼られることを望んでいる」

「……え?」


 そう言い残すとリトリアは部屋の窓から身を乗り出した。


「また元気な顔を見れることを期待しているよシリウス。じゃあね」


 そういうと、リトリアは窓から飛び降りた。急いでアリアが下を確認すると、そこには誰もいなかった。


「え、ちょ! ……窓から飛び降りるって、あの人いつからあんな活発な人になったんだ?」


 さっきまでの嵐が急に過ぎ去っていった、そんな気がした。

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