5話 『ラスト・ブラッド』

「ばあさん‼」


 僕は叫んだ。だが、その叫びは敵には届かなかった。

 息を呑んだ。目の前の現実を刹那の時間、見ることができなかった。ばあさんは――灰になっていた。殺された場面を直接見たわけではない。ただそこにばあさんの服の残骸が灰と共に地面に落ちていたから。


 間に……合わなかったんだ。


 ……絶望し、ない。なんで、僕は絶望していない!? ばあさんが目の前で殺されたんだぞ? なのに、どうして……っ!

 僕は、妙に落ち着いていた。

 それどころか、安心していた。僕は、本当にどうしてしまったのだろうか。

 僕は、僕が、恐ろしくなった。


「――だれ?」


 ハッと、現実に意識を強制的に戻された。顔を上げるとそこには先ほどまでばあさんと話していた男性ではなく、右肩を赤く濡らした幼い、だった。


「え……」

「君、誰?」

「僕は、……」


 答えが喉でぐっと止まる。なんでなんだ。名前を言うだけじゃないか。それともなにか? 僕はこんな少女に恐れを抱いているのか? そんなバカな。なんで、僕はこんなにも弱い……? 目の前の少女は目を細めて僕を見ている。


「君……アイリスに似ているわね。アイリスの、なに?」

「……っ」


 うまく、呼吸ができない。これは恐怖からじゃない。――これは、興奮だ。僕は少女に興奮していた。ばあさんを殺したその絶対的な強さに。大量の血を見てもまどわないその精神力に。

 僕は――目の前の少女に興奮していたのだ。


「僕は、アイリス=ヴァ―ミリオンの孫のシオン=ルータスだ」

「孫。孫なんていたの」

「……それがどうかしたの……」


 僕が、ため口で少女に問う。すると少女は冷ややかな視線を僕に向けてきた。さっきのそれとは違う。怒りの視線だ。僕はゾッとした。顔から一気に血の気が引いていくのが分かった。

 少女は無言でこちらを見ている。と、次の瞬間、少女がぐわっと僕の喉にその小さな手を掛け、僕は一気に押し倒される。なんて力だ。地面に背中を強打する。肺の中の空気が一気に外に吐き出された。気がした。


「カハッ!」


 僕を押し倒すと少女は僕の腹上ふくじょうに乗った。そんな体重は無いのだが、一瞬「うっ」と、うなってしまった。


「お前……高貴な私に、良い度胸をしているな……!」


 少女はまるで人が変わったように、男性のように話す。なぜだか、その方がしっくりときた。


「高貴って……君、子供じゃないかっ」

「黙れ!」


 一発。僕は少女に右頬を殴られた。痛い。なぜだか、自然と涙が出てきた。悔しいのだろうか。ただ痛いからだろうか。とにかく、僕はその少女の冷めた目を睨み返した。それが今、唯一できる反抗だった。


「そっちが本性かよ……! 痛いな!」

「あの女、最後の最後に体に細工さいくしやがって。幼女になる呪いなんてかけやがって……!」

「え……」


 知らなかった。僕はばあさんについて知ろうともしなかった。ばあさんは、最後の反攻はんこうとして、こいつにあらがったのだ。


「呪いって、ばあさんはデュラハンで、そんな能力の話なんて一回も聞いたことない!」

「……だといったはずだ。おおよそ、私が来ることを『見通し』ていたんだろうよ。なんて頭の回転の速い化け物だ」


 それは――褒めているのだろうか? 確かにばあさんは見通す能力を見ていた。だが、自身を倒した相手を幼女にしてしまう呪いなんて……持っていただろうか。いや、例え持っていたとしても僕は知ろうともしなかったのだから、知らなくても当然だった。

 突然として襲う自覚。僕は軽く眩暈めまいを起こした。

 どうしてあのとき。どうしてばあさんが。どうして、どうして。今更になって、僕は育ての親を失ったことを自覚した。悲しくはない。ただ、悔しかった。


 僕はまだ。


「……あの人から、何も盗んでいない……」

「は?」


 僕の口から、自然にこぼれた言葉。少女は何を言ったのか聞き取れなかったようだ。


「何でもない」

「とにかく、お前には死んでもらう。私のことを馬鹿にした罰だ」

「――‼」


 少女は大きく口を開け、そして。

 そして僕の首元に牙を、ぐっと刺した。


「うっ!?」


 鋭い痛みが僕を襲う。じわじわと迫りくる痛みに思わず目をつむってしまった。なぜだろう。この少女は僕の敵なはずなのに、その小さな体躯たいくは美しいとさえ思えて。つむった目をうっすらと開ける。と、そこには少女の、赤く澄んだ瞳が僕を視ていた。


「…………あぁ、綺麗だ……」


 無意識に出た言葉。僕はどんな顔をしてこの言葉を発したのだろう? 少女はピクリと動き、血を吸うのを、やめた。すると、少女はすっと僕から離れた。なぜ? と思った矢先、少女が青年へと変化していた。いな、これが本来の姿なのだろう。銀色の、美しい伯爵。


「なぜ、やめたんだ」


 その問いに、彼は答える。


「気がそがれた。それだけだ」

「……。僕には殺される価値すらないのか?」

「死にたいのなら勝手に一人で死ぬがいい。私は関係ない」

「僕は醜い人間だ。いや……醜い半端者はんぱものだ。ばあさんを嫉妬していた。死んでしまったというのにおかしいんだ。悲しくないんだよ。あんたが何者で、ばあさんとどういった仲なのかは知らない。でも、普通なら肉親を殺されたら悲しむものなんだろ? 僕は可笑しいんだろうか?」


 言っているうちに、だんだんと目頭めがしらが熱くなっていくのが分かった。くそ。泣くなよ。格好悪いじゃないか。しかし、僕の気持ちとは裏腹に、涙は止まることを知らなかった。


「なぜ泣く」

「う、うるさい! 泣いて、ない!」

「……」


 ふと、気が付くと、目の前が暗く染まる。彼に、抱きしめられたのだと気が付いたのは、それから十秒とかからなかった。え。僕は困惑した。さっきまで殺されかけていたのに、その敵に抱きしめられるなんて。どうすればいいのか、僕は挙動不審になってしまっていた。


「……辛かったな」


 ただその一言。その一言だけで、僕は救われた気がした。

 僕はいつの間にか彼の、あるはずの無い――服のそで――を握りしめていた。そこから、血は流れていなかった。


「やはり、体までは元に戻らないのか。いくら誇り高きデュラハンの治癒能力でも、『再生』能力までは兼ね備えていないのか」

「……よく、分からないけど、僕は四分の一しか血を継いでない」

「……」


 彼は、少し幻滅したような顔をした。


「……あんた、名前は」


 応えてくれるだろうか。この人は。僕は怖くなった。不自然だったろうか。彼の目を直視できなかった。何もしていないのに、そんな感覚が僕を襲った。


「――ウス」

「え?」


 思わず、僕は聞き返してしまう。彼は一つ息を吐いて、もう一度、答えた。


「モルターナ=シリウス=アリアルキ。純血種吸血王、『ラスト・ブラッド』」

「ラスト……ブラッド……?」

「そういった意味では、お前も同じようなものだがな」


 それは聞き覚えの無い通り名。僕は口を開け、え、というような表情をしていただろう。冷めた目。だけどそれはさっきのとは違う。哀しい目。だけどその表情には優しさが垣間見かいまみえた気がした。


「あの」


  僕が彼、シリウスに話しかけようとしたその時、「いたぞ!」「『ラスト・ブラッド』だ‼」といった人間の声がした。人間。言葉が僕の脳を刺激した。

 僕はゾッとした。この人を殺しに来たのだろうか。


「ちっ。教会の人間だ。うまいたと思ったんだがな……」

「教会って、人間を守ってくれる機関じゃないの!? どうしてあんたは狙われてるの!?」

「……教会は、私たちのような『化物』を管理しようとする組織なんだよ。人間にとっては安全な場所でも、私たちにとっては毒でしかない。まさに牢獄さ」


 その言いぶりはまるで、他人事のような口ぶりだったが僕にはどうしても――先ほどまでそこにいたかのような口ぶりだったように聞こえた。


「怖い所なんだね、教会って」

「そうだ。お前も、気をつけろよ。じゃあな、シオン=ルータス」

「待ってよ!」


 僕は、シリウスの服のすそを無意識に引いていた。


「……どうした」

「だ、だって、今から奴らのところに行くんでしょ? ダメだよ! 危ないよ……」

「大丈夫だ。今の私にかなう者などいるはずがない」


 その絶対的自信は、狂気にすら思えた。

 彼の赤い目が鋭く光った。


「ぼ、僕も行く」

「は?」

「僕もあんたについていく!」

「なっ!? 何言ってる!」

「ばあさんを殺したのはあんただ! 僕の日常を壊したのもあんただ! だったら、責任を取ってくれよ!」

「それを言うか……!? ――!」


 シリウスが何かに気づいた。敵だ。


「『ラスト・ブラッド』!」

「ついに見つけたぞ! 観念しろ!」

「……うるさい愚民どもが。私に指図さしずするな」


 シリウスはそう言うと左腕をくうにかざす。瞬間、月のように光を放つ一刀いっとうが出現した。僕はその美しさに心を奪われていた。呼吸することすら忘れて、僕は息を呑んだ。


「さぁ、やろうか」


 シリウスはニヤリとした。その冷ややかな笑みは追ってきた教会の人間を気迫だけで押すには十分だった。

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