4話 微かな声

 その日は雨だった。


 僕はばあさんにお使いを頼まれていた。この修行をつけてもらう代わりに、ばあさんの欲しいものを一つ買ってくるという約束をした。毎月買ってくるものと買う日が決まっており、今日がその日である。今日は林檎を買ってこいと言われていた。

 林檎の入っている紙袋を濡らさないように慎重に歩いた。


(ばあさん、起きてるかな?)


 期待しながら、僕は子供さながらに走って家路を目指した。

 教会に着くと、遠くでばあさんの話し声が聞こえた。お客さんだろうか。しかし客にしてはあまり迎えられていない感じなように聞こえる。


「……? これ、なんだろう」


 ふと、地面に何かが見えた。赤い、これは血だろうか? 嫌な予感がした。僕は急いでばあさんのいる方へと走った。


 *


 ――「アイリス……驚いた、まだ生きていたんだな」

 ――『醜い吸血鬼め。何故このような場所へ? 教会は鬼門きもんだろう』

 ――「鬼門でもなんでも、今は貴様を探し当てなければならなかった。……生きているのなら都合がいい。あの時の約束を果たしに来たぞ」

 ――『二百年前の、か。しかしなぜ今更なんだ? この死にぞこない』

 ――「いちいち突っかかるな。殺すぞ」

 ――『死にたいのか?』

 ――「願ったのはそっちだろう」

 ――『……その右腕はどうした。随分とじゃないか?』

 ――「あぁ、これは。荷物になるから置いてきた」

 ――『ほざけ。どうせ教会本部の誰かにやられたんだろう』


 *


 誰かがばあさんと話している。かすかにしか聞こえない会話。相手は青年くらいの男性……だろうか。ここからでは人物像までは見えなかった。僕は少し離れた柱に隠れてその会話を聞いていた。だが、なぜだろう。


(ばあさん、楽しそう……?)


 いつもは聞かない声のトーンに僕は初めてばあさんに会った時よりも驚いた。

 僕の理想、夢だったのに。厳格な顔のばあさんを見ていたのに。ずっと、追いかけていたのに。あんな顔されたら。


 僕は、何を理想とすればいい?


 僕は息をすることを忘れていた。なんだか気分が悪い。好きなのに、好きなはずなのに。僕はばあさんのことを嫉妬していた。こんな感情、汚い。僕は必死に抑えようとした。だが、それは無理だった。


 ――「……アイリス。貴様の命、頂くぞ」


 思考が停止した。ばあさんの命をいただく? いただくってなんだ? 殺すってことか?

 止めなきゃ。でもどうやって? 今の僕に何ができる。何もできないじゃないか。ばあさんに教えてもらったことを何一つ、成し遂げることができていないじゃないか。僕はこの数十年、いったい何をしてきたんだ!

 そう考えていると、僕の足は自然とばあさんとその相手てきの方へと走っていた。

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