2話 リトリアという男

「いやはや。この街は広いですね」

「結構小さいことで有名ですけどね」

「そうなのですか? それは意外だな」


 本当に意外そうにする彼を見て、シオンはとても不思議に思った。外見がシリウスそっくりで大人びているくせに、中身はまるで少年だ。意外性あふれるギャップにシオンは驚きを隠せなかった。


「あ、あそこってカフェですかね?」


 彼が指差した先には、確かにカフェテリアのような外装の建物と、客がいた。


「少し、休憩でもしません?」

「いいですけど……」


 なんだかとても、厄介な客に捕まった気分だった。


 *


 客が多そうだと思ったその店は、この辺りでは結構有名だったらしい。教会からあまり出ない、しかも買い物が済めばすぐに帰るというシオンにとっては、このような場所は未体験だった。隣ではそわそわしている彼が目を輝かせて順番を待っていた。


「それではお待たせいたしました。お客様、席へご案内します」


 店員が、シオンたちを呼ぶ。貴族の彼の表情が、より一層明るくなったのは言うまでもない。


「なんだか、こういう雰囲気の店って入ったことないんですよね。君は来たことありますか?」

「……無いですよ」

「意外です」

「そうですか?」

「えぇ。君はなぜか裕福な家の匂いがします」


 この外見を見てそんなことを言うのか。この人は本当に馬鹿なのか? と、シオンは疑心した。

 店で一番人気のパンケーキをオーダーし、しばらくたった。お冷の氷がカランと、音を立てた。沈黙が痛い。


「あの、誰を探しているのか、まだ聞いてませんでしたね」


 名前もまだ聞いていない。だが、今日一日の、それもこの時間だけの関係だ。聞くこともないだろう。シオンは、殺気立っていた。緊張していた。恐れていた。


 ――名も知らない彼の、底知れない何かに。


「……安心してください。私は何もしませんよ」

「‼」

「そんなに殺気立っては、他のものが騒ぎ出してしまいますよ」

「……あなたは、一体……」

「あ、申し遅れました。私、こういうものです」


 彼の差し出したものは一枚の名刺。


【異界保護監察庁教会本部第五機関・司祭官――リトリア=アリアロキ】


「本部――!」


 ガタリ、と椅子から思わず立ち上がり、シオンは身構える。途端、彼――リトリアからなんだか冷たい空気のようなものがただよい始める。これか。先ほどから感じていた『底知れない何か』は。シオンの頬に一筋の汗が流れる。視界に見えないほどの微細なが、渦巻いた。


「……ほう? これは珍しいに会いましたね。君、もしかしてですか?」


 リトリアは目を見開きシオンを見据える。シオンは身の毛がよだった。ゾクッと鳥肌が立ったのが分かる。


「……そうだと言ったら、あなたは僕を捕まえて本部へ売りますか? それとも、」

「そんなことはしません。君はシリウスと仲良くしてくださっている友達の一人なのでしょう。弟の友人は私の友人。売るつもりなど微塵みじんもありません」

「ならばなぜ、教会の人間になったのですか。あなたにとっても、聖域は毒です。それなのに」


 どうして? その質問は、心の中で呟いた。言うまでもなかったのだ。言う前にシオンは理解してしまった。

 それを悟ったのか、リトリアは口をつぐんだ。よほど言いたくないことなのだろう。しかし、次に自分に向けられた言葉はあまりにも予想だにしていなかったものだった。


「……つかぬ事を伺いますが、大切な人が敵陣に乗り込んだとき、君ならどうしますか?」


 不意に質問が飛ぶ。シオンは「は?」というほうけた顔をした。


「大切な人がいないという回答は無しですよ?」

「それくらいはわかりますよ。……そりゃあ、止めます。止められなかったらできるだけ迷惑にならないようにサポートします。その人の邪魔は一切したくないので」


 自分で言っていて、嫌な思い当たる節がありすぎた。サポートできない自分に腹が立つ。アリアはある意味、シオンじぶんのせいで死にそうになったのだ。


 ――僕は、アリアの『盾』なのに。


 シオンは、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「……そう、君の答えと同じことなんですよ、これは。私は彼のためにわざわざ敵陣に入っているのです。私は彼のためなら死んでも構わない」

「……あなたは、何を言っているんですか……?」

「これは、やり遂げなければならない決定事項ですから」


 リトリアの決意は変わらない。

 その眼が語っていた。シオンは、何故だか身震いした。その眼には何を映しているんだ。


「……怖がらないでください。言ったでしょう? 君には何もしません」

「怖がってないです。」


 リトリアは一つ、クスリと笑って運ばれてきたパンケーキを一口頬張った。


 *


 氷が解け切った。

 ここまで気を張り詰めすぎた所為か、シオンはドッと疲れ切っていた。


「大丈夫ですか?」

「…………え?」

「大丈夫ではなさそうですね。お茶のおかわりいりますか?」

「あ、いいえ。そういうことではないんです。――はっきり申し上げるならあなたの所為ですね」

「?」


 リトリアの妙な空気にてられた。そういう表現が、今の状況にはピッタリだろう。


「君は本当に面白い」

「はぁ……」


 この人のペースにはノッてはいけないとシオンの脳が告げていた。


「君は一体何者なんですか?」

「え、今更ですか?」

「さっきから私のことばかりを聞かれているような気がしたので。君のことも聞きたいです。あのシリウスと一緒に暮らしているだなんて、あの子もかなり変わりました」


 懐かしむような、そんな表情だった。そこには『愛』が見えたように、シオンには思えた。


「変えたのは、君なのでしょうね」

「……。面白くないですよ? 僕の話なんて」

「構いません。私が気になったのです」

「後悔しても、知りませんよ」

「えぇ」


 シオンは、暫く黙ったのち、自身の過去を話し始めた。

 自分はとても醜かったということ。シリウスに会うまで、『人』という存在を信じることができなかったということ。彼に感謝しているということ。


 その全てを、語った。

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