9話 全て消えてしまえばいい

「……疲れた」

「……えぇ」


 この短時間で私は一体何匹の敵を倒したんだろうか。私の伯爵服はいつの間にか血で赤く染まっていた。ローズは先ほどの抱き上げながら走った影響で風にあたって乱れた髪を整えている。また、私は彼女に怖い思いをさせてしまった。


「ごめん」

「……なんで謝るの?」

「怖い思いをさせた」

「そんなことないわ。むしろこの状況を楽しまなくちゃ損よ」

「それでも、危険な目に合わせた。好きな人を、危険な目に……。男として失格だな」

「大丈夫よ。それでも私はあなたを愛するわ」


 それだけで、私は救われる。今までの疲れが嘘みたいに吹っ飛んだ。

 しかし、そんな幸せな時間もそう、続かなかった。


「――おいおい、人間のニオイが充満しているゾ」

「――ああ本当だ。美味しそうな人間のニオイだ」


 少し遠くで、魔物の声が聞こえた。ここから見えるのは性質の悪そうな二人組の化物。頭は悪そうだが、ただ、これだけは言える。


 ――こいつら……強い。


 今までなぎ倒してきた奴らとはわけが違う。言葉を理解し、話す。これは力が十分にある化物の証拠だ。私は、どう対応しようか、脳を回転させた。いや、それよりも、どうローズを守ろうか考えた。


「ローズ、」

「嫌よ」


 まだ何も言ってないだろう……。


「いや、まだ何も」

「私だけ逃げろなんて、言わないわよね?」

「…………」


 何てさといんだ。私は思わず戸惑とまどってしまった。心が揺らいだ。揺らいではいけないのに。


「ローズ。君は何も悪くない。君は巻き込まれただけなのだから。だから、」


『だから、』。なんだというのだ。私は、彼女をどうしたいんだ。どうすればいいんだ。彼女を守るためにはどうすれば……。

 すっと、暖かいものが私の頬を撫でる。それが彼女のてのひらの体温だと理解するのにはそんな時間はかからなかった。


「――私はね、シリウス。あなたが守ってくれると信じているから、今ここに存在しているのよ。守ってくれるのでしょ? それとも、その言葉は嘘だったのかしら?」

「それは嘘じゃない。だけど、これはそういう問題じゃない。そういう問題じゃないんだ……!」

「私は逃げないわ。あなたに恋をした時から決めているの。あなたをもう、ひとりにはさせないって」


 彼女の意志は強かった。少ししてポツ、ポツと、雨が降ってきた。肩に雨水が跳ね返る。今まで浴びてきた血が、洗い流されるようだった。だが、そんな優越感は続かなかった。


「――見ぃーつけたっ!」


「!?」

「ひっ!」


 振り向くと、そこには先ほどの魔物が嫌なほど口角をあげてニタリと笑っていた。固まったローズを私はぐぃっと引っ張り、上に飛ぼうとした。だが、魔物の手が伸びる。私は足をつかまれた。ローズはその反動で吹っ飛んでしまった。


「きゃっ!」

「うっ!」


 地面に叩きのめされ、私は一瞬意識が飛んだ。痛いというよりも、感覚が遅れてくる感じだ。視界がゆがむ中で、ローズが咳き込んでいる姿が目に入った。

 ふと、違和感を覚えた。二匹いたはずだ。もう一匹はどうした。嫌な予感が頭をよぎる。


「……‼ ローズ、逃げろっ!」


 踏ん張って、やっとの思いで声を荒げたが、遅かった。


「美味しそうな人間の女、つっかまえた~」

「あぐっ、あッッ!」


 ローズはもう一匹の魔物に首を掴まれた。呼吸が出来なくなっている。早く助けなければ、彼女が死んでしまう。私は、一心不乱にそのもう一匹の方へと走ろうとするが、まだこっちの魔物が私の足を捕まえていたため、引き上げられてしまった。脳に血が上る。ズキン、ズキンと頭痛がしてきた。頭に酸素が回らない。


「お前、あの女が大事なのか?」


 私の足を掴んでいる魔物が話しかけてきた。


「な、に……?」

「おーい。まだ殺すなよ相棒」

「解ってるよ兄弟」


 もう一匹の魔物が返事をする。


「やめろ、彼女に罪はないだろう! 離せ!」

「罪? いや、あるね。あの女……よく見たらリヴァイアサンを作りやがった研究者の娘じゃねえか。俺たちはその機械のせいで、死にそうになったんだよ。あっちではテロが起きやがるし、あの研究者は他の奴らに取られるしよ。報復なんてできねえから、その女を追っかけてきたってわけさ」

「なん……」


 絶句した。だから、力の無い人間を殺すのか? そんな理不尽な行動が許されると思うのか? いや、この世界ではそういった理不尽が許されるんだ。なんで、こんな考え方を持つことができるんだ。化物だからって人間の思考を持つことができるのに。私は、絶望した。リータスベルもこのまま滅亡するだろう。


 もう、何もかも、無くなればいい。


 私も、ここまでなのだろうか。これが、運命なのだろうか。そう思った矢先、声が、脳に響いた。


「シリウス! シリウス‼」


 今にも泣きだしそうな悲痛の叫び。今の私には酷く響く声。


「ローズ……」


 そうだ。何を諦めている。私にはまだ生きる理由があるじゃないか。


「……すまないな、化物」

「あぁ?」

「『月光花』」


 愛刀の名を呼ぶ。みるみるうちに何もない空間にその存在が浮き上がる。完全に存在した愛刀『月光花』の柄を握り、「ふっ!」と勢い良く振った。相手の魔物の体が真っ二つに割れた。すぐさま解放されるともう一匹の魔物の方へと足を向けた。だが、そこにあったのは、目の当たりにしたものは最悪なものだった。


「――ローズッッ!」


 大きな腕が彼女の胸を貫いていた。そこからしたたる赤い液体が、雨と共に流れていく。


「相棒を殺されたんだ。寂しいな~寂しいな~」

「貴様ッ、殺してやる‼」

「お前も寂しいだろ? 返してやる」


 ローズが巨体から放られる。放られた彼女は、ゼッゼッと呼吸が荒かった。とにかくこの場所から一秒でも早く逃げなければならないと思い、奴に結界を張る。


「む? なんだこれは」


 運よく奴は結界にはまった。これでしばらくは時間が稼げるだろう。

 そして私は隠れるように湖から離れた。

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