6話 醜い吸血鬼

 私はローズの手を引き、その場所へと連れて行く。


「寒くない?」

「ええ。大丈夫よ。それよりも、どこへ連れて行ってくれるの?」

「もうすぐ着くよ」


 そうして、目的の場所へと辿り着いた。


「……! 綺麗……」

「……あぁ」


 そこは、幼い頃によく行っていた思い出の湖だった。あの頃と変わらない。湖は夕日に照らされて、美しく輝いていた。周りにはブラッドブルームも咲いている。美しい赤色が一面に広がっていた。湖の青とブラッドブルームの赤の色のコントラストが視界を鮮やかにさせる。


「こんな場所、あったのね。……とても、綺麗」

「どう? 気に入った?」

「えぇ、とても」


 そう言った彼女は、穏やかで暖かい笑顔だった。ズキン、とまた胸が痛んだ。しかし、これはこの前とは違う。なんだか、違う気がした。


(って、いかんいかん。何を考えているんだ私は!)


 自覚してしまった。もう遅い。心臓がバクバクと音を立てていた。気のせいだろうか。顔も段々熱くなってきた。


「……? シリウス?」

「ぇっ?」


 間抜けな声を出してしまった。それ所じゃない! 私は焦っていた。


「どうしたの。そんな変な声を出して。私、変なこと言ったかしら?」

「いっや? び、ビックリしただけ、だよ」

「変なの」


 そう。今日の私は変なのだ。

 ……あぁ、いっそのこと、ローズを私のものにしたい。私の手で、彼女を抱きたい。キスしたい。髪に触れたい。愛したい。ダメだ。考えたら止まらない。彼女の頬に触れたい。考えるな。裸に触れたい。ダメだ、ダメだ。理性が、おかしくなりそうだ。好きだ。好きだ。愛しているんだ。こっちを向いてくれ。ああ、私のローズ。可愛いローズ。どうか、こっちを向いてくれ。私だけを見てくれ。愛してくれ。だめだ。だめだ。何を考えている。止めるんだ。どうしてそんなことを考える? 簡単なことだ。なぜなら。


 ――私は、君を、犯したいほどに愛しているのだから。


 不意に、その答えに辿り着いた。いつの間にか呼吸をするのも忘れていた。酸素が脳に回っていない。深呼吸をゆっくりとした。落ち着いた頃、私は、自分が怖くなった。欲望が、私を支配した。


「ハッ、ハァッ……。……可笑しい。こんな感情、今まで……」


 私は、こんなにも、醜い吸血鬼だったのか。


「大丈夫?」

「あ、うん。取り乱してごめん」

「全然。この湖は素敵ね。何故ここを私に見せたかったの?」

「昔、兄さんと一緒によく来た場所で、この場所はとても綺麗だから、君が気に入ると思ったんだ」

「お兄さんって、何年も前に失踪したっていう?」

「うん。……兄さんは賢い人で、湖に来るといつもいろんなことを教えてくれえたよ。家では言えない父様の秘密とか、母様の怖い所とか」

「そう。ふふふ。とても仲が良かったのね。楽しそうだわ」


 そうなのだろうか? 私は『家族の愛』というものをあまり知らずに育った。だから、この発言がローズの言うように仲が良かったということになるのだろうか?


「君がそう思うのなら、そうなのだろうね」

「どうしていつも私の言葉だけを信じるの? たまには自分の考えを主張してみたら? 他人任せはダメよ?」

「……そう、かな?」

「そうよ。私が好きなのは十分わかってるけれど、そういう肯定だけの返事はダメだと思うわ」

「うん。そうだね。…………私は後悔しているんだ」


 急にシリアスな空気にしてしまった。だが、彼女は何も言わず、ただ私の話を聞いてくれた。


「母様の時は、この湖で遊んでいたから連れ去られた。ちゃんとそばにいてあげれば、こんな未来にはならなかった。兄さんの時はどうして私を置いて行ったのだろうと、当時は憎みさえした。父様に至っては私は一度も見かけたことがない。つまりは他人の感覚なんだ。これが、家族なのだろうか? 私はそうは思わない。ローズのような幸せな家庭が欲しかった。『ラスト・ブラッド』だからなのか? 恐れられる吸血鬼だから、幸せになれないのかな……」


 話が止めどなく溢れてくる。これが、今まで我慢してきた『想い』。ふいに、ふわっと花の香りがした。その正体は、ローズだった。ぽんぽんと私の背中を優しく叩く。なぜだか、ほろっと涙が頬を伝った。


「大丈夫。あなたは何も悪くない。だって、それは神様が与えた運命。変えることのできない運命。……泣いてもいいのよ? あなたは頑張ったんだもの。今日まで、ひとりで。だから泣いてもいいの。泣くということは負けるということじゃない。泣くことに勝ち負けなんてないんだから」

「……ふ。うぅ。……ひっく、う、ふぅ……!」


 私は、声を殺して泣いた。彼女の腕の中で泣き続けた。ローズは、黙って私の頭を撫でてくれた。何故だかとても安心した。これが、母親の愛情なのだろうか?


 *


 今日は、本当に不思議な日だ。どうして私はこんな想いになったのだろう。彼女の優しさが、心に染み入った。私は彼女に何を返せるだろう。返したい。彼女に、この愛を。恩返しを。


「……落ち着いた?」

「ぐすっ。うん。はぁ、ありがとう」

「いいえ。当然のことをしたまでよ」

「……やっぱり君は、眩しいな~」

「なによ。褒め言葉?」


 少し照れくさそうに、しかし嬉しそうに、彼女は微笑んだ。


「じゃあ、そろそろ時間ね。家のこともあるし、帰らなくちゃ」

「……ローズ」

「? なに?」


 言う、べきだろうか。だが、言わなければ今日、彼女をここに連れてきた意味が無くなってしまう。もう、後悔はしたくない。


「私は、君に何をしてあげられる?」

「え?」

「君には助けてもらってばかりなんだ。だから、恩返しがしたい。何でも言ってくれ。叶えられることだったらなんだってする。言ってくれ」

「……」


 黙って、しまった。あぁ、やってしまった。彼女を困らせてしまった。……どうすれば、いいのだろうか。ずっと悶々と悩んでいると、彼女が息を吸い上げる音が聞こえた。


「――じゃあ、次会う時までにあなたの眷属けんぞくが見たい」

「…………は?」


 素で驚いてしまった。眷属? それは――。


「私に仕えている悪魔たちに、会いたい、ということ?」

「ええ。私、あなたがどういう人なのかは十分に知っているのだけれど、私以外にどう思われているのかは知らないなと思って……。ダメ、かしら?」

「全然、構わないけれど、食べられる危険とかが」

「そこは大丈夫でしょ? あなたが守ってくれるもの」


 本当に君って子は……。

 私は和やかな笑みで応えた。すると、彼女はそれ以上の笑顔で返してきたので、また私は彼女に心を奪われた。しかし、彼女のどこか自信に満ち溢れた瞳は私の心を貫いた。刺さった、と言った方が正しいのかもしれない。いつの間にかロンドンへとつながる空間移動装置の前に着いてしまった。

 今日も、これで終わりか……。なんだか心が一気に空になった気がした。


「……よくも、まぁ、そんな恥ずかしいことを言えるね」

「貴方も同じよ。ありがとう。それじゃあ」


 そうして、彼女は光の中へと消えて行った。

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