2話 彼女との邂逅

 そう、あの日からさらに二十余年の月日が流れた。

 私はあるロンドンの町娘に出会った。それがローズ=ブレーラインだった。表の世界から来た、いや、初めて人間を見た私は、驚きを隠せなかった。

 人間に会ったという好奇心と、触れてしまったら壊れるのではないかという恐怖心、ふたつの不安が、一気に彼を襲った。

 見かけた以上、話しかけようかどうしようかと悶々としていると、その人間の娘がこちらに向かってきた。隠れようとすると、服をぐいっと引っ張られた。私は驚いて、「うわっ」と変な声を出してしまった。少女は一瞬ポカンとして、少しすると笑顔になった。


(怖く、ないのか……?)


 魔族たちは私を恐れて一度も近づいてこなかった。好意を持ってなど、なおのこと。それがこの少女は私に好意を持った眼差しでこちらを見ている。不思議な感覚だった。


「あら、ねぇ、あなたここの人? どうしてここにいるの? あなたなのでしょう?」


 この子は、何も知らないのだ。当たり前だ。私はどう答えればいいのか分からなかった。すると、少女は呆れたようにこう言った。


「……あなた、しゃべられないの? 十分、大人でしょう?」


 痛いところをつくな、人間の娘というのは。

 それが、彼女に持った第一印象だった。

 まだ十歳くらいの少女なのに、その大人びた口調にも私は驚かされた。


「そ、それは……ここは魔族たちが住む世界だから……。ていうか私は人間じゃない。一応、魔族の仲間だ。だから人間と容易よういに話すのは避けてるんだよ……」

「ふうん。そうは見えないわね」

「それに、君の住んでいる世界とは、ここは近くて遠い場所なんだ。周りを見て思わないのか、似て非なる者もいるだろう」


 本心でそう思った。彼女は、この世界のこともろくに知らないのに、何を言いやがるんだこの野郎は、と思っただろうか。世界を知らない当時の私は、どれだけ不甲斐ふがいなかったか。今思い出すだけでも冷や汗があふれ出る。


「住んでいる世界が違う、というのは……どういう意味?」

「え?」

「あ、そうだったわ。私、ローズっていうの。あなたは?」

「シ、シリウス……モルターナ=シリウス=アリアルキ」


 不思議だった。彼女は純血である私を、まったくといって恐れていなかった。


「変な名前」


 正直に言おう。――傷ついた。

 たかだか少女に言われた一言にショックを受けていると、遠くから少女を呼ぶ声がした。男性の声だった。父親だろうか。よく見れば、目元が少女に、ローズに似ていた。


(これが、人間の家族、か……)


 一瞬、胸の奥がチクリと痛んだのは、きっと気のせいだろう。


「ローズ、そろそろ帰るぞぉー!」

「あ、お父さんだわ。行かなきゃ」


 私は内心、なぜだか寂しくなった。

 今まで、人間はもちろん、魔族ともあまり関わらずに育った私にとって、ローズという存在は革命だった。たった数時間の事だったが、彼女が長年生きてきた中で唯一無二の友人だったといえるだろう。


「……ローズっ!」


 その心の叫びは、大好きだった二人を失ったときに出した、幼い頃の自分こえだった。彼女がその声に反応し、振り返った。そして、驚いたような顔をしてこちらを向く。その顔は少し頬が赤くなっていた。……なぜ? 私の顔に何かついていたのだろうか?

 そして何を悟ったのか、ローズは父親(だと思われる男性)に一言、断りを入れてこちらに向かって駆け寄ってきた。


「なに? どうしたの」

「行かないで、くれないか?」

「……そんなことを言うためだけに呼んだの? 大きな声で、言わなくても。ちょっと恥ずかしかったじゃない」

「……ごめん」

「まあ、でも、そうね。また機会があったらこちらに遊びに来てあげるわ。……今日はもう行かなくちゃ」


 そう言い残して、ローズはロンドンへと、帰った。


「……『ローズ』」


 私は、その名前を噛みしめるように呟き、自分の家へと帰った。

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