6話 心域の対話

 目を開けると、アリアは白い空間に一人、座っていた。何もないただの空間で。


「――ふーん。久しぶりに来たけど、やっぱり何もないわね」


 まるでぽっかりと心に穴が開いてしまったような感覚に足元がぐらつく。


「空虚な場所、だろ」


「え?」

「よう、私。ご機嫌はいかがかな?」


 後ろから聞き慣れた声が聞こえた。

 それは消えることのない自分自身。振り返るとそこには灰色の短髪が映える隻腕の、英国の伯爵の姿をした青年がそこに背中合わせに座っていた。白いこの空間では、存在感がありすぎていた。映えていて目が痛い。


「……夢ね」


 アリアは頭を抱える。


「夢、夢ならどれだけ良かったことか。ははは、だがな、今の私アリア。これは夢なんかではないのだよ」

「見たくもない顔だったよ。会いたくなかったわ、過去の私シリウス


 そう。目の前にいるのは約二十年前、本部に捕まえられていた時以来見ていなかった、姿である。アリアはもう一度、空間を見渡す。しかし、この空間にはアリアと昔の姿である彼が座っている、向かい合う二つの椅子しか存在していなかった。


「……一応、お久しぶりとでも言っておこうかしら、シリウス伯爵?」


 アリアは内心、動揺しながらも昔の自分シリウスに話しかける。なんとも不思議な感覚だ。見れば見るほど、当時のまま。あの頃からずっとこの白い空間にいたようだ。


「二十年前に教会に狩られた右腕……まだ修復できてないの?」

「ん? あぁ、これ。これは特別な武器で傷つけられたものだから、修復なおしたくてもできないんだよ。戻ってくるものならどうなるかは分からないけれどね。そんなことも忘れちゃったのかい?」

「そんな昔の事、いちいち覚えてるわけないでしょ」


 ははは、とシリウスが笑いながらわしわしと、アリアの頭を撫でた。

 青年時に失ったものはどれだけあっただろうか。左手が冷たく感じられた。それは、失ったモノの代償か。自分の事なのに、覚えていない自分に腹が立った。


「……殴ってもいい?」

「え、なんで」


 アリアは何も答えずに数歩、シリウスから後ろへ下がった。


「え、ちょ、ちょっと待ってくれ! 私は君だぞ⁉ なに本気で殴ろうとしてるの! おかしい……って、待て待て待て! グーを出すなグーをぉお‼」


 アリアは「せーのっ」と言わんばかりに腕を後ろに引き、そして勢いよくシリウスに殴り掛かった。この体(重)比だ。そう遠くには飛ばなかった。


「ぐわっ!」

「ちっ。あなたの顔なんかこれくらい汚れていた方がマシよ」

「なっ! ……おのれアリア。高貴な私に向って! というか自分に向って!」

「たまには自分の顔を殴るのも悪くないと思ったのよ」

「理解できないな。理解したいとも思わないが」

「さて、お茶にしましょう」


 シリウスの話をさえぎり、アリアは指を鳴らした。すると、何もなかったその場所に丸い――それも可愛らしい――洋式のテーブルが出現した。もう一度鳴らす。今度はスコーンとハーブティーのセットがテーブルの上に並び、より華やかになった。その光景はこの空間ではやはり違和感でしかなかったのだが。


「……座りなさい」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 シリウスはアリアに先導され席に座った。


「この空間は何でもアリだね」

「それはそうでしょう。この空間は私たちの記憶で作られているのだから。結局のところ、ここで何を食べても飲んでも現実世界の体は何も満たされないのだけれどね」

「……そうだったな」

「さあ、こうなったを考えてみましょう? 私たちはどうしてこの空間で今っているのか。そしてこの空間。おそらく意識の中なのでしょうけど」

「聖水の所為せいだろう。体が元の……この私の体に戻ろうとしているからその拒否反応の一環だろうな。まぁ、アリアになった時から元の姿に戻っていないから、初めての経験だから、そこら辺は定かではないけれどね」

「では、もうひとつ。何故、今頃になって本部が動き始めたのかしら?」

「……それは知らないな」

「使えないわね」

「さらに口調が強くなっていないか? ……しかしローズの孫か。本部は一体何を考えているんだ?」

「さぁ。例えば、彼女個人、本部のを何らかの方法で見てしまったか、あるいは。……二十年前、その場にいた者が彼女に情報を流したか」

「おそらく後者だろうな。機密書なんて書いた覚えも書かされた覚えもないし」


 うーん、と二人は悩む。しかし、考える時間は刻一刻と無くなっていた。パリパリ、と空間に少しずつヒビが入ってきていた。


「……時間がなさそうだな。聖水をかけられたのなら、今頃、私の体に、青年体シリウスに戻ってきているはずだ。アリア、一度お別れだな」

「そうね。じゃぁ、私はもう少しここでゆっくりしてから消えようかしら」

「……好きにしなさい。私はもう戻るとするよ。……はぁ、幼女体、気に入っていたのにな」


 シリウスは物惜ものおしそうに自身の胸に手を当てる。どうやら胸のことらしい。その行動を見たアリアは一瞬でその行動の意味を理解した。


「……前言撤回するわ。今からあなたを殺して私がまた体を乗っ取るわ」

「殺せるものなら殺してみろ! ぬわっはっはは!」


 彼はその捨て台詞ぜりふを笑いながら言うと、その瞬間、雪のように消えて行った。


「……なんだろう。今シリウスが考えていたことが少しだけわかったような気がしたのだけれど……。はぁ。一心同体って、本当に面倒ね。気持ちが通じ合っている分、本当に面倒」


 アリアはハーブティーをすすった。そして、カップをテーブルに置き、スコーンを手に取る。


「負けないでよ、


 彼女は静かにスコーンをかじる。

 かじった音が、聞こえたような気がした。

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