第29話
たらふく食べてお腹の膨れた悠希がソファに体を預けると、汐音が少しスペースを開けて隣に腰かけた。
「そういえば、今日、危うく香りで柏木のことがばれそうになったな」
「……もしかして香水?」
「まあな」
「それでうまく誤魔化せたのかしら」
「ああ、母親が来たってことにしといた、そのうち本気で来ることになりそうで怖いが」
言ってから本当にそうなりそうで悠希は少しひやりと背筋に汗が流れるのを感じた。
須美代の行動パターンは読めない。
行動はその日の気分、ただ、思いついたら即行動。
六月に入ってからこそ、一度もこの家を訪れていないが、引っ越したばかりの頃は頻繁に足を運んでいた。
ここから実家までは電車で三時間ほどかかるのだが、帰った次の日にまた、心配になって様子を見に来た時にはさすがに驚いた。
須美代の眼には悠希が死にかけの金魚にでも見えているのかと思ったくらいだ。
流石に過保護すぎるなと思ったら今度はぱったり来なくなって三週間ぐらいたつだろうか。
もしかしたら、父親の方がいかないでくれと泣きついているのかもしれない。
その様子を思い浮かべてその可能性が高そうだなと悠希は勝手に結論付けた。
汐音と一緒に生活している以上、須美代には悪いが、出来れば来ないでくれる方がありがたい。
汐音のことがばれたら、何かとめんどくさそうだし。
「矢城君のお母さんってどんな人なのかしら」
ぽつりと呟くように汐音が隣で呟く。
「一言で言うと、雪平に似てるな、明るくて自分のやりたいことをやるって感じが特に」
実際には性格面以外の体格なんかも一部を除いて似ているんだが、それは言わなくていいか。
これで容姿が似ていれば須美代の娘が美月だと言われても納得できたのだが、あいにく容姿まで似ているということはない。
母親とそっくりの友達などできたら、微妙に気まずいので悠希としては逆にありがたいが。
「一緒にいて楽しそうなお母さんなのね」
「何でそうなる?」
「雪平さんと同じタイプなら一緒にいて退屈しなそうじゃない」
「逆だ逆」
普通の男子ならノリが良くて一緒にはしゃいでくれる女子が好みなのかもしれないが、悠希の考えは違う。
できれば一緒にいてゆったり時間を共有できる人。
それが悠希の理想だった。
今のところ特別、異性と付き合いたいという感情は持ち合わせていないが。
「いきなりキャンプに連れて行こうとするわ、海外旅行に連れて行こうとするわ、かと思えば、そのまま、ジャングルに行こうとするわ母さんに付き合わされて碌な目にあったためしがない」
ぶつぶつと文句を垂れると汐音がおかしそうにくすくすと笑った。
「何だよ?」
「いえ、普段あまり喋らない矢城君が饒舌に喋っているのがおかしくて」
別にそれほどペラペラ話したというわけではないが、汐音にとっては物珍しかったらしく、くすくすと口元に手を当てて上品に笑っている。
笑われている悠希としては少しムッとしてしまったが。
「お母さん、好きなのね」
「別に普通だ、母さんといると疲れるしな、どちらかというと柏木と一緒にいるときの方が落ち着けて俺は好きだ」
素直な感想を言っただけのつもりだったが、汐音は頬を真っ赤に紅潮させた。
「どうかしたか?」
「もう……ほんとに矢城君は……そういうところが……」
少し恨みがましそうな瞳で見つめられ、悠希は汐音から目を逸らした。
汐音の綺麗な横顔から目を逸らせてほっと息を吐く。
相変わらず至近距離での汐音は危険だ。
整った美貌といい、少し幼さを感じる表情と言い、思わず見惚れそうになってしまう。
美人は三日で飽きるなんて言葉を何かの本で読んだが、天使様にとってはそれは例外らしい。
「その……私も矢城君と一緒に暮らすの、き、嫌いじゃないわ」
「そ、そうか」
安心したところに汐音から攻撃が飛び、悠希は心臓がドキッと跳ねるのを感じた。
先程口にした言葉を思い浮かべて、汐音も同じような気恥ずかしさを感じたのかと思うと、余計羞恥の感情が沸き上がってきて、悠希はそっぽを向いた。
汐音の方も自分の発言が恥ずかしかったのか可愛らしく「う~~」と唸り声をあげていてそれが余計悠希の心をドキドキさせた。
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