第四話 男女の溝は根深いのです!(1)

 ガガガガと、耳元で音がする。振動が少しくすぐったい。

「ほんと。かなり短くするんだ」

 あたしの髪にバリカンをあてながら、志鷹三曹がぼやくように呟いた。「うん、一応」と頷きかけ──「動かないで!」と怒鳴られ、慌てて背筋をのばす。

 訓練開始から、短く刈っていた髪のが目立つようになるくらいには、日が経って。訓練後、次の日の準備の合間をぬって、あたしは志鷹三曹に髪を切ってもらっていた。

「レンジャー小牧って、ここに来る前は、どんな髪型だったの?」

「え? うーん……まぁ、今ほどじゃないけど。でも、けっこう短くしてたよ」

 首の後ろがちくちくして、身動みじろぎしたくなるのを堪えながら答えた。ふぅん、と志鷹三曹が気のないあいづちをうってくる。

「長いの、嫌いなの?」

「嫌いってわけじゃないけど。そんな器用じゃないから、伸ばしても綺麗にできないっていうか……短いのが、性に合ってるっていうか」

 なんとなく、志鷹三曹に質問をしてもらえたのがくすぐったくて、自分の気持ちに最も近い答えを探す。

「あ──そうそう。なんか、こう。髪短い方が、攻撃力上がる感じしない?」

「攻撃力」

 あたしとしては、すごくぴったりな言葉だと思ったのだけれど、頭の後ろから聞こえてくる志鷹三曹の声はうろん気だった。

「なんか、こう。気合いが入るのとは、またちょっと違くて」

「よく分かんないから、もう良いけど」

 残念。興味を失われてしまった。

 バリカンをしまった志鷹三曹が、目の前で屈む。私物のすきばさみで、前髪を中心にすいていく。上を向いた長い睫毛と真剣な眼差しが間近にあって、ほんのり湯上りの良い香りがした。

「そんな、丁寧にやらなくて良いのに」

「雑なのって嫌なの。ほっといて」

 パラパラと頬にかかる短い髪の毛を感じながら、お風呂の前に切りたかったなとぼんやり思う。そんな時間、なかったから仕方ないんだけど。

「……レンジャー志鷹は切らないで良いの?」

 志鷹三曹の髪は、自分でちょこちょこ整えているのか、初めて会った日からあまりのびていないように見える。それでも、他の男子学生やあたしと比べると、長い方ではあるのだけど。

 志鷹三曹は高い鼻にちょっとしわを寄せると、「自衛隊の規定には反してないもの」とだけ言って、また無言ではさみを動かした。

 確かに──女性自衛官はそもそも長髪も許されているし、男性だって本当なら坊主って決まっているわけじゃない。ただ、レンジャー訓練期間はやっぱり特別で。

 そんな中、毎朝のように身だしなみチェックで「髪ぃッ」て助教たちに怒鳴られているのに、変えようとしないのは強いなぁと思う。それでペナルティとかもあったりするけど、まぁみんな何かしら粗を探されて指導を受けているから、仕方ないといえば仕方ない。

 初めて原隊復帰者が出て数日。それまでみんな耐えていたのが嘘のように、脱落が続いた。訓練の合間に部屋へ戻ると、荷物が減っている。そんなことが、繰り返しあった。

 訓練開始一ヶ月経過を待たずして、二十二人いた今期の学生は、十七人にまで減っていた。

「さ。これで大丈夫でしょ」

 そう言って、志鷹三曹が小さな鏡を手渡してきた。鏡に映ったあたしの頭は、訓練初日の頃よりも、どことなく綺麗に整っている感じで。

「ありがとう!」

 そう、心からお礼を言うと。志鷹三曹の笑顔は、半分得意そうで、もう半分はくすぐったそうで、なんだか可愛らしく見えた。


   ※


「本日は、武装障害走を行う。全員、規定時間内に完走するようにッ」

 鵬教官の言葉に、あたしたちは一列に整列して「レンジャーっ!」と返した。

 武装障害走──それは、五キロ近くある装備を身につけたまま、コース内にいくつも設けられた障害物を越え、決められた時間内に走りきらないといけないもので、本番にあたる検定はまだまだ先なのだけれど、今日は練習として行うらしかった。

 四グループに分かれ、一分差でスタートだ。

 あたしと志鷹三曹は最後のグループで、前を走る学生らを怒鳴る助教たちの声を聞きながら、背負った水筒や小銃をなんとなく確認したりして待った。もし、荷物を途中で落としたりしたら、それもペナルティになる。

「……五、四、三、二、行けッ」

 あたしたちの番が来て、鵬教官の合図で一斉に走り出す。昨晩は雨が降っていたのか、道は少しぬかるんでいた。ただでさえ走りにくい半長靴が、余計に重く感じる。

 しばらく走ると、四メートルくらいの高さから垂らされたロープがあって、そこに跳びつく。腕の力で一気にぐいっと身体を引き寄せて、また上へと手を伸ばす。ぐいっ、ぐいっとできるだけ一気に登って飛び降りると、志鷹三曹が振り返ってこちらを確認し、また走り出したところだった。ここで体力を使うわけにはいかない。まだまだ、先は長い。あたしも、すぐに追いかける。

 丸太橋を渡ると、二メートルくらいある壁が、目の前に現れた。少し先を走る男子学生が、「レンジャー!」と叫びながら跳び越えて行くのが見えた。その後ろを、志鷹三曹が駆けて、思い切り踏み切り──手が壁のへりをつかむけれど、そこから身体が持ち上がらなくて、落ちてしまった。

「なにやってんだレンジャー志鷹ぁッ」

「っ、レンジャー!」

 ペナルティとしてその場で、志鷹三曹が腕立てをし始める。あたしはその横を駆けて、壁に跳びついた。

「──ッ」

 腕全体を壁にかけて、力を入れようとするけれど。重い身体が、持ち上がらない。足で壁を蹴っても、靴底についた泥でずるりと滑る。

 横を、別の男子学生が軽々と越えていく。あたしはとにかく落ちないように、必死に壁にしがみついた。腕も、全身も、プルプルと震える。

「なんだおまえら、踏み台を用意してもらえねぇと登れねぇのかよッ! 男らの方が身体でけぇもんなぁ、力もあるもんなぁ、ずりぃよなぁ!? けど、同じようにできなきゃレンジャーには要らねぇんだよッ」

 助教のなじりを聞きながら、あたしは歯を食いしばった。そう──普段、自衛隊で訓練をするときは、女性隊員の場合、壁の前に踏み台が置かれる。障害は男性隊員を基本にして作られているし──女性と男性の平均身長と筋肉量を比べたとき、いくらかのハンデが必要だと判断されているからだ。規定タイムも、男子より女子の方が長く設定されている。

 けど。助教の言う通りなんだ。レンジャーが必要とされるの場所には、そんなハンデはないんだ。同じことができなければ、レンジャーとして必要な任務がこなせない。

 腕立てを終えた志鷹三曹が、もう一度挑戦しようと、助走をつけるために後ろへ下がった。でも、踏み台もなしに、どうすればこの高さを越えられるだろう。体力はどんどん削られていくのに、どうすれば──。

「──っそうだ、レンジャー志鷹! 踏み台ッ! あたしの……ッ」

 身体がずるりと落ちそうになる。右手でぐっと支えようとするけれど、力が入らなくて。

 でも。落ちかけたあたしの足は、地面より高い所についた。真下に、志鷹三曹の背中がある。

「っ早く! 重いッ」

「れ、レンジャー!」

 志鷹三曹をにして、もう一度身体を持ち上げる。今度は、壁の上に足まで持ち上がり、またぐことができた。

「レンジャー志鷹!」

「──ッ」

 のばしたその腕をとって、勢いをつけた志鷹三曹が壁を登る。あたしも思い切りそれを引っ張って──壁の上で、二人で目を見つめ合った。どちらからともなく、にやりと笑う。

「レンジャー!」

 あたしと志鷹三曹は声を合わせて、苦労して登った壁を飛び降りた。ぐちゃっ、と足元がぬかるんでよろめきかけるけれど、すぐに体勢を立て直して走り出す。

 太ももまでの高さがある柵を越えるだけでも、すでにいつものペースを出せない。深い穴に飛び込んではすぐにまた這い上がり、かと思うと脛ぐらいの高さに張られた鉄網の下を、小銃を手に持ち直しながら這って進む。泥が跳ねて、顔や口を汚す。戦闘服が水分を吸って、余計に身体が重く感じる。あえぐように息をしながら、あたしは前を睨んで這い続けた。

 あたしと志鷹三曹がよろめくようにゴールしたときには、すでに男子学生は全員着いていた。こっちを見る鵬教官の黒い目に、嫌な予感がする。思わず身構えて、かけられる言葉を待った。

「レンジャー志鷹、レンジャー小牧。時間オーバーだ。やり直し」

「レンジャー!」

 あたしと志鷹三曹は、声をそろえて返事をした。

 大丈夫。一番苦労した壁の越え方が、分かったんだもの。今後はきっと、クリアできる。協力して、のり越えられる!

「──待て」

 スタート地点へと走り出そうとした途端、鵬教官が声をかけてきた。

「一度じゃ合格できなかったんだ。きみたちも、手本が欲しいだろう」

 有無を言わさない口調に、「いいえ」と答えられるはずもなく、あたしたちは固まった。鵬教官が、口を開く。

で、やり直しだ」

「っ、レンジャー!」

 男子学生らも泥まみれで疲労困憊の顔をしている中。返事と共に全員が、スタート地点へと駆け足し始める。

 志鷹三曹をちらっと見ると、俯きかげんにじっと前を見据えながら、ぐっと唇を噛んでいた。あたしはきりりと締めつけられるお腹のあたりをおさえて、ぬかるんだ地面を蹴るように前へ進んだ。

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