第三話 バディは交換不可なのです!(3)

 急いで服を着て廊下に出ると、原助教が「遅ぇよッ!」と怒鳴った。

「男どもはもう準備してるぞっ!? Rファイブだ!」

「レンジャー!」

 あたしと志鷹三曹は返事をしつつ、全速力で部屋へと駆け戻った。

 部屋に着くと、隣の部屋から「あと三分ー!」という沖野助教の声が聞こえてくる。まずい、急いで準備しないと。

 非常呼集──それは、日中の訓練時外に不意打ちでかかる、集合号令だ。教官らに指定された時間内に、指定された装備で集まらないといけない。今回のRファイブは、フル装備のことだから、それだけ準備も多くなる。

「おまえらおせぇよ! 間に合うんかっ?」

 物音で、帰ってきたことに気がついたんだろう。ドアをガンガン叩きながら、沖野助教が怒鳴ってくる。「レンジャー!」とあたしたちも怒鳴り返し、ガチャガチャと戦闘服を身につけた。

 なんとか着替え終わって、背嚢リュックを背負って小銃を取りに行く。男子学生らは全員集まっていて、あたしたちの姿を見た学生長の糸川三曹が、助教に「総員二十二名。事故欠員なし! 小銃二十二挺お願いします!」と声をかける。

 小銃を受け取り準備すると、「急げ急げっ」と追いたてられて、集合場所である外まで駆ける。外では教官が、駆けてくる学生たちを睨むように見ていた。

「学生長! 今何時だ」

一八時三三分ひとはちさんさんです!」

「集合時間、三分過ぎてんだよッ! 遅すぎるっ」

 教官の言葉に場の空気が固まり、胸がズキズキと痛んだ。だって、この「三分」はきっと、あたしたちが待たせてしまった三分だ。

「この三分が命取りなんだよ! 作戦中に三分遅れたら、どんだけリスクが上がると思ってんだっ。そんなことも分からねぇのが集まってんのかッ?」

「レンジャー!」

「全員、腕立ての用意よぉい!」

「一、二!」

 背嚢を芝に下ろして、腕立ての状態になると、日中の訓練で疲れきった腕がガクッと曲がった。慌てて体勢を戻すけれど、すぐさま「始める前からへばってんじゃねぇっ!」と怒鳴り声が降ってきた。

 ひたすら遅刻のペナルティをこなしたら、今度は装備品のチェック。荷物の入れ方にズレがあれば、またペナルティ。誰か忘れ物があれば、取りに行っている間は全員で中腰体勢で待ち続ける。

 空は途中からすっかり暗くなり、チェックもやっと終わったと思ったら、基礎体力錬成の筋トレが別腹で始まった。

 だんだんと、全員の空気が荒んでくる。あちこちで、助教たちの怒鳴り声がする。目の前で淡々とメニューをこなす志鷹三曹も、沖野助教になにか言われる度に「レンジャー!」と返事しつつ、かなり鋭利な視線を向けている。

 ハイポートまで始まったときには、もう頭がほとんど動かなかった。小銃を胸の前に構えて、かけ声をかけながらひたすらに真っ暗な基地内を走る。

 昼間のプールの臭いと汗とが混ざって、気持ちが悪い。傷のある膝裏が、じくじくと痛む。

 ピッという笛の音が、した。途端、全員が全速力で走り出す。

 続こうとしたあたしの足が、不意にもつれて。気がついたときには、地面が目の前にあった。ずざっと勢い良く転んでしまい、もがくようにして地面をつかむ。

「レンジャー小牧ぃ! もうついてけねぇのかっ?」

 後ろから、沖野助教の怒鳴り声がした。

「ついていけねぇならもうレンジャーなんて辞めちまえッ!」

 胸がキュッとつまる。

 全力だしてけ、と。励ましてくれたその声が、辞めろと言う。

 また擦りむいた鼻頭を押さえながら、あたしはグッと呼吸を飲み込んだ。

「ッレンジャー!」

 叫び、何度も地面を掻くようにしてなんとか立つ。立った途端に、胸ぐらをつかまれ、乱暴に引き寄せられた。頭ががくんと揺れ、息が詰まって苦しい。眉間にも鼻にもぎゅっとシワを寄せて、目尻をつり上げた沖野助教の瞳は、それでも淡々としていて感情が読めない。

「辞めちまえって言ってんだよッ! さっきからフラフラフラフラとみっともねぇっ。分かってんだろ、おまえが足引っ張ってんだよッ」

「……っ」

 沖野助教の視線の先には、Uターンして戻ってくる学生たちの姿があった。みんな、しんどそうな顔をしている。けど、あたしが遅れているから、戻ってこなくちゃいけなくて。つまり、余計に走らせてしまっていて。

 苦しい。悔しい。こんな、みんなの足を引っ張って。こんなふうに遅れて。

「…………」

 拳を握る。戻ってくるみんなを見る。あたしのために。あたしの、せいで。

「……ごめん、なさい」

 思わず、口の中だけで小さく呟く。

 みんなの中に、志鷹三曹がいる。止まっているあたしを、じっと見ながら走ってくる。

 ──ごめんね、イライラさせちゃって。息の合わないバディで……あたし。もっと、デキの良い人と組んでたら、あんなふうにイライラさせなくて済んだのに、きっと。

 そもそも、あたしなんかが女性自衛官最初のレンジャーを目指すなんて、無謀だったのかな。志鷹三曹と違って、出だしからつまずきそうになってばかりで。あんなふうに、胸張っていられなくて。

 沖野助教の言う通り、あたしなんかここで、辞めちゃった方が──。

(あなたが落ちて、原隊復帰させられちゃうとね。わたしが困るの)

 初めて会った日の、志鷹三曹の言葉。

 そうだ──あたしがいなくなったら、志鷹三曹は男子とバディを組まなくちゃいけなくなる。体格も全然違うのに。まだまだ残っている訓練期間を思うと、それは、負担として大きすぎる。

 志鷹三曹の目が、暗い中でも輝いて見えた。きっとそれは、気のせいなのだろうけれど、でも。「負けない」と宣誓していた、あの言葉。てっきり、「女性初のレンジャーになる」って直前に言ったあたしに対して言ったのかと思ってたけど。もしかして、そうじゃなくて。きっと、「自分に」ってことだったのかなって──あたし自身が自分に負けそうな今、ようやく思い至った。

 今確かに、みんなに迷惑をかけているけれど。もしここであたしが負けたら、一番迷惑するのは志鷹三曹なんだ。一番助け合わなきゃいけない存在の、志鷹三曹なんだ。

 それに、そうだ。

 昨日、宣言したじゃないか。「命かけてやり抜く」って。

 ──まだ、命には全然だ。

 ちっともまだ、命なんかかけられていない。なくしかけているとしたらそれは、命じゃなくてちっぽけなプライドだ。みんなに迷惑かけている自分なんてツラい許せないっていう、自分のためのプライドだ。

 あたしは胸ぐらをつかんでいる手を振り払うと、よろめきながら敬礼をした。

「っレンジャー!」

 叫んで、戻ってきた学生たちのなかに駆け戻る。

 隣に並ぶと、志鷹三曹がチラッとこちらを見た気がした。見返すほどの余裕はなかったけれど、それでもせめて隣を走り続ける。

 また、ピッという笛の音。あたしはグッと地面を蹴って、みんなと共に前へ前へと駆け出した。


   ※


 ぐったりと走り終えた頃には、もう夜の十時を回っていた。

「よし! おまえら今から風呂だッ」

 教官の言葉に、あたしたちは顔を見合わせた。こんな時間に普通、お風呂は開いてないはずなのだけれど。それでも助教らまで、「そうだよなぁ」「風呂の途中で呼び出しちまったしな」と、穏やかな顔をして言い合っている。

「よーし、そうと決まったら、おまえら。風呂の準備をしろ。集合時刻は現在時から八分後。集合場所は──」

 そのとき。教官はにやりともしなかったけれど。きっと内心ではにやにやしていたに違いないと、あとになってあたしは確信した。

 とにかく、教官はハッキリと、迷いなく言った。

「集合場所は、だ」


「づめだぁぁぁぁッ!」

「なんだレンジャー小塚。なんか言ったかぁっ?」

「レンジャーっ!」

 ホースで水をかけられながら、小塚さんが半裸で叫ぶのが聞こえて、あたしは半笑いになりそうな口元を必死に堪えた。

 お風呂セットを片手に集まると、外の水道を使ったが開催された。まだまだ日中は暑いとは言え、涼しさの出てきた夜間の水浴びは、ハッキリ言って冷たくて仕方ない。でも、寒さを考慮しても、汚れと不快感を落とせることの方がずっと魅力的に感じられて、あたしもタンクトップ姿で思いきり水をかけてもらった。

「あんたも良くやるわねー」

 少し離れた安全地帯で、志鷹三曹が呆れたように、タオルで髪を拭くあたしに言う。疲れているせいかもしれないけれど、その口調がいつもよりくだけたものに感じて、なんだかますます笑ってしまいそうになった。

「そう? まぁ冷たいけど。でもさっぱりして気持ち良いよ」

 本当は素っ裸になりたいくらいだけど、それはきっと男子学生たちも同じ気持ちだろうから、仕方ない。志鷹三曹は信じられないと首を振り──ふと、その顔を歪ませた。

「あんた。なに、それ」

「え?」

 志鷹三曹の視線は、ハーフパンツからのびたあたしの足に注がれていた。たたたと近づいてきて、膝裏をじっと見る。

「赤く化膿し始めてるじゃない」

「あー。今日のプールで、バイ菌入ったかなぁ……」

 傷口が汚れたあとすぐ洗わず、しかも戦闘服で長時間動いたせいで擦れて、痛みは増していた。今はテンションがハイだからそこまで気にしていなかったけれど、明日になったらもっと痛いかもしれない。

「これ、ロープでの傷でしょ。なんでちゃんと手当てしてないの」

「いやぁ、なんかバタバタしちゃって。毎日の片付けと準備で手一杯で、そこまで回んなかったって言うか」

「あんた衛生のくせに、なにやってんのほんと。部屋戻ったら、すぐ手当てしなさいよ」

 志鷹三曹はそう言って顔を上げると、途端、さっきとは違う角度に眉を寄せた。

「なにその顔」

「え、顔がどうかした?」

「にやにやしてる。気持ち悪い」

 言われて、あたしは自分の顔をペタペタとおさえた。ついに、笑みが堪えきれなくなっていたらしい。助教らに気づかれないよう、顔の下半分を手で隠す。

「……なんか、嬉しくて」

「嬉しい? 怪我が?」

「やっぱりドMじゃない」と引きぎみに言う志鷹三曹に、「そうじゃなくて」と慌てて付け足す。

「レンジャー志鷹に心配してもらえたのが、嬉しいって言うか」

「そんなの。構われたがりの子どもじゃないんだから。やめてよ」

「だって、レンジャー志鷹のこと尊敬してるから」

「……はぁ?」

 思いきり怪訝な顔をする志鷹三曹に、「だってだって」とあたしは、また笑ってしまう口がどうしようもなくて、隠しようもなくて、それでもこの気持ちを伝えたくて続けた。

「あたしね。さっき、転んだとき。ちょっと心が折れそうになったんだけど、レンジャー志鷹の言葉を思い出して、頑張れたんだ。自分に負けるもんか、って。もっとやり抜くんだって」

「自分に負けない……って」

 志鷹三曹はあたしの言葉を繰り返し──すぐに、思いきり首を傾げた。

「わたし、そんなこと言った?」

「言ったよー。レンジャー塔で。ほら、胆力テストのとき」

 志鷹三曹は腕を組むと、しばらく考え込むように俯く。

「……あぁ、あれ?」

「そうそう、あれ」

 こくこくと頷くと、志鷹三曹は「違うけど」と軽く手を振った。

「え?」

「あれ、別に自分に負けないとか、そういう意味じゃないから」

 あっさりと語られた言葉に、今度はこっちが「え?」となる番だった。「あれはね」と呟き、志鷹三曹が周りでギャッギャと声を上げている男子学生らや助教らを見回す。ふと、目を留めるとふるふると首を振って。

「女がレンジャーになんかなれるわけないって、あたしが女だっていうだけでマウント取りたがる男どもに負けないって。そういう意味。あいつら、訓練が無事終わったら、全員つぶしてやんだから」

「え……」

「だいたいねぇ、アメリカ陸軍には女レンジャーだってもういるんだから。自衛隊レンジャーがそうなれない理由なんて、ないじゃない。男がめんどくさがってるだけなのよ。女がいると、トイレもその辺で自由にできないし?」

 そういえば、前にもそんなこと言っていたなと思い出す。語り出すと長くなるようで、どうやらそのへんは、志鷹三曹の地雷の一つらしい。あいつらってことは、もしかして、誰かになにか言われたことがあるんだろうか。

 ふん、と胸を張る志鷹三曹を見て、あたしは「ふへっ」と変な声を漏らしてしまった。

「そんな。あたし、全然、勘違いしてて……ふへへ……ッ」

 テンションがおかしいせいか、笑いが自分で止められない。そんな姿を、志鷹三曹は更にドン引きの目で見ていたけれど。

 ──それでも。あたしをあのとき引き上げてくれたのが、バディである志鷹三曹の言葉だっていうことは間違いない。

 目の前で、びしゃりと志鷹三曹に水がかかる。「おまえら、なにこそこそやってんだ! レンジャー志鷹もさっさとしろっ」と沖野助教が声をあげた。「レンジャー!」と返す志鷹三曹の顔は、迫力があって。沖野助教はきっと、志鷹三曹の「つぶす」リストに入っているんだろう。

 跳ねる水しぶきが、月明かりにきらきらと輝いて。お腹はすいたし、これから今日の片付けと、明日の準備と。まだまだやることが残っているし、ろくに眠れずに明日が始まるのだと思うと、また少しへこみそうにはなるけれど。

 それでも、あたしの気持ちの澱みは、この冷たい水と一緒にいくらか流れた気がする。

 ──けど。

 そんな、気持ちとは無関係に。次の日あたしたちは、いつの間にか男子部屋から一人分の荷物が綺麗になくなっていることに気がつき、今期訓練一人目の脱落者が出たことを、知ったのだった。

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