第三話 バディは交換不可なのです!(2)

   ※


 明くる日。

 水路潜入の訓練のために向かったのは、駐屯地内のプールだった。

 九月に入って、猛暑も少しなりをひそめてきたけれど、まだまだ残暑は厳しい。

「プールって疲れるけど、でもこの日差しの中で、ロープでモンキーやるよりはまだ良いかなぁ」

 プールへ駆け足しながら、あたしは隣を走る志鷹三曹に軽口を叩いた。今日ももちろん、朝からがっつり筋トレとハイポートをした後だ。身体はガクガクだけれど、いつもと違う訓練というのは、少し気分が晴れる思いがする。

 モンキーは、ロープに両手両足で逆さにぶら下がって、上下に揺らしながら進む技術なのだけれど、これがとても辛い。今も膝裏は、数日前のモンキー訓練のせいで、深い擦り傷だらけだ。

「そう?」

 志鷹三曹が、前を見て走りながら、疑わしげに唸るのが聞こえた。

「わたしは、嫌な予感しかしないけど」

 そんな言葉を聞くと、せっかく晴れかけていた気持ちにもやがかかってしまう。あたしは「嫌な予感、って?」と訊き返した。

「別に。ただ──訓練始まってから、ちょっとでも期待したことは、全部裏切られてるし」

「それは」

 確かに──それは、その通りで。びっくりするくらい、教官も助教たちも、こちらの隙をついたり、希望や覚悟をつぶすことが上手なのだ。

「教官も助教も、レンジャー訓練の経験者だから。学生がなに考えてるか分かるんでしょ」

「うぅう自分がやられて嫌なことは、他人にやったらいけないのにー」

「それじゃ訓練にならないじゃない」

 呆れたように呟く志鷹三曹に、「だってー」と口を尖らせながら、あたしはちょっと笑った。

 そして──抱いていたささやかな希望は、やっぱり丹念にすりつぶされることになった。


「プールが緑色って。どういうこと!?」

 志鷹三曹の言葉を聞きながら、あたしは心の中でうんうんと何度も頷いた。

 水路潜入の訓練では、ゴムボートの扱い方や、乗船の仕方、転覆したときの復旧方法などを学ぶのだけれど、今日初めて実技を行ったプールは、すっかり藻がはって、はた目にだけは綺麗な緑色をしていた。八月が終わってから全く放置されているプールの水は腐ったような臭いがするし、その中に潜って行う演習は、誰も顔には出さなかったけれど、もう最悪の気分だった。

 加えて──志鷹三曹がイライラしているのは、多分、訓練そのものが上手くいかなかったせいで。

「あの……ごめんね、あたし」

 入浴のために下着を脱ぎながら、もごもごと志鷹三曹に声をかける。

 大きなボートを進めるにも、ひっくり返すにも、人数が必要で。あたしと志鷹三曹は、糸川三曹と小塚さんのバディと共に、訓練をすることになったのだけれど。

 なにをするにも、なんだか動きがちぐはぐになってしまって、上手くいかなかった。オールの動きが合わないから、前になかなか進まない。二人一組での転覆復旧だって、糸川三曹と小塚さんはわりと素早くできていたのに、あたしたちはやけに時間がかかってしまって、教官からも「息を合わせろっ」と怒鳴られてしまった。

 そう──息が、合っていないんだ。あたしと、志鷹三曹の。

「訓練のこと謝るのとか、やめてくれない?」

 服を脱ぎきった志鷹三曹が、嫌そうな顔をして浴室へと向かう。その後ろをパタパタと追いかけながら「でも」と言いかける。

 だって、なにも今日だけの話じゃないんだ。

 山地潜入訓練の、ロープを使った訓練でも、やっぱり声かけのタイミングや姿勢がずれて、危ないところを教官らに助けられることもあった。

「謝ったりなんだりしたところで、どうなるわけでもないでしょ」

 すたすたとシャワーへと向かう志鷹三曹の腹筋は、初めて見たときには意外に感じるくらい、綺麗に割れていて。あたしは自分のお腹をおさえながら「だけどさ」と追いすがった。

「もうちょっと、どうにかしないと。これからだって、まだまだ協力してやらなきゃいけないこと、いっぱいあるし。山地潜入も、水路潜入も、基地の外でやるときはもっと危ないんだし」

「もうやめてよ」

 そう振り返った志鷹三曹の顔は、げんなりとしていた。

「ただでさえ、入浴時間なんて少ないんだから。ぶつぶつ言ってないで」

「でも……他に言えるタイミングも、なかなかないし」

 バディは二人一組で二十四時間一緒だけれど、他の学生と一緒に過ごす時間もひたすらに多い。このあと食事を全員で数分で掻き込んだら、すぐに助教に稽古をつけてもらって、そのあとは急いで今日使ったものの手入れと明日の準備が待っていて、ゆっくり二人で話すどころじゃない。

「だから、話せるときに話さないとって」

「──あのねぇ、本当にいい加減にして」

 かなり強い口調で、志鷹三曹が言う。汚れた顔をこちらに向けて、鋭い眼差しで睨んできて。あたしは、びくりと身体を強ばらせた。

「仕方ないでしょ? 女子はわたしとあなたしかいないの。息が合わなくてごめんなさい? どうにかしないと? そんなの、相性が合わないってだけの話でしょ。それを、なにをどう話して解決するつもりなの? バカなの?」

 形の良い唇が紡ぎ出す言葉に、あたしは完全に固まってしまった。「仕方ないでしょ」と、志鷹三曹が繰り返す。

「どんなに合わない相手だろうと、選ぶことはできないのっ! わたしたちで、バディを組むしかないのッ」

「──っ」

 肩で息をしながら、こっちを睨む志鷹三曹に、頭が真っ白になってしまって、言葉も出なくて。

 志鷹三曹が、小さく舌打ちするのが聞こえて、ますます身体をこわばらせてしまった。

「とにかく、こんなこと、口に出して言ったってしょうがないんだから──」

 言いかけた志鷹三曹を遮るように、「レンジャー学生の方ー!」と入り口から女の子の声がした。聞いたことない声だけど、ここの女性隊員だろう。入り口で、声を張り上げている。

「非常呼集です! こっちにも、声かけるようにって原二曹が」

 教官の一人の名前を言われて、あたしたちは顔を見合わせた。

「──っぁああもぉ!」

 志鷹三曹はシャワーを一気に強に回して、勢いよくお湯を浴びた。ほんの、五秒にも満たないくらい。キュッと音を鳴らして蛇口を閉めると、「急いで」とこちらを見ずに言い放って脱衣所へと駆けていく。

 それを見送りそうになりハッとすると、慌ててその後ろを追う。汚れも、心のしこりも取れないまま、あたしは風呂場を後にした。

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