第四話 男女の溝は根深いのです!(2)

   ※


「おまえら、良いもんが届いたぞ」──と。あたしと志鷹三曹が沖野助教に呼ばれて行くと、そこにのは、九羽のニワトリだった。

「これ……は」

 ごくりと唾を飲む。あたしはグッと拳を握った。

「キャサリンとデイジーとクリスチーヌとタニアとケイトとメリッサとマリアとテッサとカトリーヌ……!」

「もう名前ぜんぶ考えてあったのかよ、早ぇな」

 沖野助教がしかめっつらをしながら言うけれど、その口もとはなにかを堪えるようにちょっとひくひくとしている。助教はこほん、と一つ咳払いをすると、ニワトリたちを見下ろした。

「生存自活のときにつかうニワトリだ。飼育係を希望したんだろ? 頑張れよ」

「ううぅ……じゃあやっぱりさばくんですねこのコたちぃ」

「あたりまえだろーが。なんのために飼うんだよ」

「まったく、バカねぇあんた」

 呆れたように言うのは、志鷹三曹だ。

 バディはトイレの個室以外は二十四時間一緒に行動する──そのせいで、志鷹三曹まで、一緒に飼育係をすることになってしまった。巻き込んでしまった形になり、さすがに申し訳ない気持ちがする。

「ごめんね、レンジャー志鷹……辛い役目に巻き込んじゃって」

 そう謝ると、志鷹三曹は眉を上げて「なに言ってんのあんた」と手を振った。その目は、じっと、ニワトリたちを見つめている。

「こういうときはねぇ、そんなワケわかんない外国名じゃなくて。沖野とか、原とか、鵬とかって名前つけんのよ」

「おうおうレンジャー志鷹、俺は嫌いじゃねーぞそのセンス。とりあえず腕立て五十な」

 こんなときでも、助教の言うことは絶対だ。あたしたちは「レンジャー!」と声を合わせると、コケコケッと鳴くニワトリたちに囲まれながら腕立ての姿勢をとった。


「餌と水やって、掃除して、卵回収して。毎朝やらなきゃいけないとなると、三十分くらい今より早く起きる必要があるわね」

 腕時計を見ながら、志鷹三曹が言う。動物は嫌いじゃないのか、とげとげとした空気は感じない。あたしはなんとなくホッとして、「そうだね」と頷きかけ──。

「──っとにさぁ、マジあいつらのせいで散々なんだけど」

 男部屋の前を通りかかる際に聞こえてきたのは、そんな、苛立ちを含んだ声だった。

「マジ、一人じゃ囲壁も登れねぇし。なんなんだよ。アレで助教たちも文句言わねぇとか」

「女相手だから、やっぱり手ぇ抜いてんっスよ。俺、広報の知り合いから聞きましたもん。今回の女性レンジャーの件、上からの肝いりで。そろそろ一人くらい、パスさせろって、圧力かかってるらしいっスよ」

 あたしと志鷹三曹は、黙ってお互いの顔を見た。部屋の中の男子学生らは、確実にあたしたちの話をしている。しかも、悪い方向に。これは、たぶん。レンジャー瀬川と、レンジャー小野田おのだだ。

 しかも。なに、上からの肝いりだとか、圧力だとか。そんなの知らない。

「小牧なんて、適性検査の結果、ギリギリだったろアレ。初っ端からうるさくして、無意味に反省の腕立て増やすし。おまけにハイポートでもこけて、結局俺らが走る量も増やすし、迷惑すぎだっつーの。なぁ?」

 レンジャー瀬川の声に、「いやぁ、まぁ」と曖昧に頷いた声は、小塚さんだった。小塚さんが、こんな嫌な話に加わっているなんて──あたしは、胸の前で自分の腕をぎゅっとつかんだ。

「でも、レンジャー小牧は、まぁ頑張ってると思うんやけどなぁ……」

「頑張ってるけどさぁ。結果が伴わないと。俺、あいつが一番に原隊戻ると思ったんっスけどねー」

「だから、ゲタはかせてもらってるんだって。でなきゃ、とっとと原隊戻りでしょ。なにが、命かけて、だよ」


 心臓が、痛い。


 みんな、一緒に頑張ってる仲間だと思ってたのに。そんなふうに、思ってたなんて。あたしは、自分の力で、ここにいるって。そう信じてやってきたのに。

 隣で、志鷹三曹が怖い形相をしている。あたしはどうしたら良いか分からなくて、ただただ固まってて。

「でも一番は、志鷹だろ」

「ほんと、なにしに来たんだよあいつ」と、暗い笑い声がした。

「なにが男をぎゃふんと言わせるだよ。あんな髪して、合格するかっつーの」

「アレのせいで、毎朝腕立ての回数が増えてるんスよね。ほんと、勘弁してほしぃんスけど」

 ──どうしよう。

 気にはなっていた髪型のことを、言われてしまった。

 そう、気にはなっていたの。気にはなっていたから……この会話をしているやつらと自分とが、実はそう大差がないんじゃないかって、喉の辺りがむかむかする。

「あいつ、腹筋バキバキに割れてんのな。なのに囲壁も登れねぇとか、どんだけ使えない筋肉してんだが──」

「待てお前なにぬけがけしてんだよ」

「なんで志鷹の腹事情なんて知ってんスか」

「待て待て違うから。この前の水風呂のときに、ちらっと見えただけだから」

 他の学生たちまで、話に入ってくる。そんな声を、聞きながら。

 志鷹三曹は、唇をぎゅっと噛んでいた。

 なんで堪えてるの。ふだん、男にバカにされたくないって、あんなに言っているのに。こんなこと、影でこそこそ言われて。そんな、泣きそうな顔して。そんな、苦しそうな顔しているのに、なんで。

「──っ」

 やっぱり。一言言ってやらないと気が済まない。確かに、足を引っ張ることがあるのは、事実だし。迷惑かけてるのも、分かるけど。でも、だからって。

「っちょ、止めなさい!」

 部屋の扉を開けようとするあたしに、志鷹三曹が小さい声で鋭く言った。

「嫌だっ! そりゃ、あたしはへっぽこかもしんないけど。でも、自分達の力でここまでやってきたのに、あんなふうに言われなきゃいけないなんてっ」

 悲しいよりも、とにかく悔しい。悔し過ぎて、少しだけ視界が歪む。

「それに、レンジャー志鷹はす、すごいのにっ! あたし、レンジャー志鷹のおかげでここまで頑張ってこられたのに、あんな風に言うなんて……っ」

「あんた……」

 志鷹三曹の表情が、ふと弛んだ。

「バカじゃないの、ほんと。わたし、あんたにそんな優しくした覚えないけど」

 そう言う目は、なんだかいつもみたいな力がなくて。あたしは自分の両手をぐぐっと握った。

「確かにレンジャー志鷹、怖いしっ、息もなかなか合わなくて……どうしようとも、思ってたけどッ! でもでも、あたしが辛いときに引っ張り上げてくれたのは、絶対レンジャー志鷹の言葉とか、頑張ってる姿だとか、でっ! それなのに、なんでその頑張ってる姿をバカにされなきゃいけないのっ!?」

 どうしたって我慢ならないのは、そこで。自分をバカにされるよりも、ずっとずっと腹が立つ。

「レンジャー志鷹はすごくすごく真剣に取り組んでて……助教に怒られるのだって、髪の毛のことさえなかったら他の人より少ないしっ、壁だって一人でもあきらめようともしてなかったのに、なんでっ」

「……レンジャー、小牧……」

 志鷹三曹は鼻にかかったような声で呟くと、ふるふると首を振った。

「……ありがと。でも、良いから。レンジャー小牧も……言われて、悔しいだろうけど。でも、こんなとこで男共と喧嘩しても、仕方ないし。場が乱れても、やりにくくなるだけだから」

「で、でも」

 部屋の中の声は、まだ続いてる。志鷹三曹は、「あんなの」と吐き捨てるように言った。

「弱いやつらが、吠えてるだけよ。次は自分達が原隊戻るんじゃないかって、ビクビクして。瀬川と小野田なんて、その筆頭じゃない。あんなやつら──ほっといても、この一ヶ月を超す前にリタイアするわよ。それで、わたしらがレンジャーになったら、溜飲も下がるってもんよ」

「う、うん……」

 あたしは、頷き。

 ──でも、それでほんとに良いのかな?

 お互い、こうやって不満とか愚痴をためて。相手が脱落することまで考えて。こんな状態で、あたしたち。

「……行こ。まだ、やらなきゃいけないこと、たくさんあるんだし」

「あ……うん」

 歩き出した志鷹三曹について、足を動かし出したときだった。

 ガタンッ! と大きな物音が、男子の部屋から聞こえてきた。

 あたしと志鷹三曹は顔を見合わせて、またそっと中の様子を窺う。

「さっきから聞いてれば、いい加減にしろっおまえら!」

 ──糸川三曹の、声だ。

「五人も原隊戻って、苛々するのは分かるがよっ、だからって仲間のこと陰険に攻撃してどうなるってんだよ!」

「お、落ち着けよレンジャー糸川……」

 誰かがなだめる声がするけれど、「うるさいっ」と糸川三曹は続けた。

「こんなんで、これからまだまだ続く訓練やってけると思ってんのかよッ! あと二ヶ月以上あるんだぞっ? 協力し合わなきゃなんねぇ場面だってたくさんあんのに、こんなんで──っ」

「そんな、怒るなよ……」

 レンジャー瀬川の、苦しげな声がする。「黙れッ」と、糸川三曹はいつもからは考えられないような、鋭い声を出した。

「レンジャー志鷹も、レンジャー小牧も、女なりに頑張ってるだろうがっ! あいつらに足りないところがあったら、俺たちがカバーしてかなきゃなんねぇだろっ? 教官らだってそういうとこ見てんだよッ! それを、だらだらと文句ばっかり──」

 いきなり。

 志鷹三曹が、扉をガンッと開けた。

 中を見ると、糸川三曹がレンジャー瀬川の襟首をつかんで──あっけにとられたように、全員がこっちを見ていた。「やべっ」とレンジャー小野田が呟くのが聞こえる。

 志鷹三曹は、黙ってそちらへと近づいていった。慌てたように、糸川三曹がレンジャー瀬川を放す。レンジャー瀬川は、「あー、えっと」とごまかすように笑い──志鷹三曹の綺麗なまわし蹴りが、勢いよく糸川三曹の脇腹に入った。

「──ッ、おま……なにす……ッ」

「あんたの──そういうとこがムカつくのよっ!」

 志鷹三曹は吐き捨てるようにそう言うと、黙ってスタスタと部屋から出ていった。全員が、ただポカンとその後ろ姿を見守り。

 ハッとしたあたしは、「お邪魔しましたっ!」と叫んで、慌ててその後を追った。

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