最終章 全ての真実

その瞬間、愛花の周りから音が消えた。

感情を含むこともなく淡々と読み上げるアナウンサーは一通りの原稿を読み終えたら、次のニュースへと移る。街を賑わせている人々は話題が切り替わるとすぐにまた歩き出したり、スマートフォンへ目線を戻したりした。

そんな中ただ一人。愛花は場を動けずにいる。

「張間・・・先生?」

口に出しても頬をペタペタ触ってもこれが現実なのかどうかわからないほどに愛花は混乱していた。

「ちょっと?お客さん?お金。」

タクシーの運転手の少し苛だった声で愛花はやっと視線を電光掲示板から離した。

「あ・・・ごめんなさい。」

愛花が財布をカバンから出そうとすると、指の震えがとまらないことに気がつく。お金を払いたいのにうまく手が操作できない。

愛花が動作に戸惑っていると、ふと雨が降ってきた。周りの人々は屋根のあるところへ避難したり、急いでコンビニへ駆け込み、傘をレジへ運んだりしていた。

透明な無数の雫はアスファルトや建物に身を打ち付け段々と勢いを増していく。

愛花の髪や服にも雨は染み込んでいき重みを持たせた。

やっとの思いで財布から支払うべき金額を出すと運転手は濡れたくないのかすぐにタクシーのドアを閉めていって遠くへ走っていった。

もう一度電光掲示板を見上げると既にニュースの映像は終わっており、新作ゲームの広告へと変わっていた。

愛花は雨から逃げることもなくその画面をぼーっと見つめる。

今まで白骨遺体の身元は松風かそれ以外かだとしか考えていなかった。

松風以外の人が誰かなんてどうでもよかった。その場合は自分に関係ないと思っていたから。

しかし、耳に残った名前はここ数ヶ月にたくさん聞いたものだ。確かに現代で張間の居場所を調べることはしなかったが、まさかこんなことになっているとは。

愛花はポケットから伝わってくる微かな揺れに気がついた。陸治からの電話だ。スマートフォンをゆっくりと耳に当てる。

「おい。桃川!見たか?急に声が聞こえなくなるから一回電話きってもう一回かけ直したよ!」

「・・・うん。」

「これは大スクープだよ!急いで記事つくるから桃川も会社来て!白骨遺体の正体の教え子にインタビュー!これは伸びるぞ!あ、俺も教え子だったー!あはは。」

愛花は大きな雨音と共に聞こえてきた空気の読めない言葉に鼓膜を刺激される。

「いや、ごめん。会社には・・・行けない。」

「ん?なんでだよー?お金は払うぞ?」

「・・・伸吾。」

愛花はボソリとつぶやいた。

彼が何かを握っているような気がしたからだ。これは幼馴染の勘なのか?

雨で体は冷えているにもかかわらず嫌な汗が背中に流れる。

「ん?ごめん雨でよく聞こえん。」

「伸吾を探して!」

都会の喧騒にも負けない声で愛花は叫んだ。電話を切って愛花は雨に濡れながら駆け出す。

次に電話をかけたのは母親だ。

「もしもし!ごめん!由莉奈のお見舞いは後で!」

愛花は息を切らすことも忘れていた。


愛花はひたすらに心当たりのあるところを周った。

しかしどこへ行っても舟木の姿はない。

「どこなの・・・。」

息を切らして肩で呼吸をしながら愛花は一度立ち止まった。雨足はさらに強くなっている。服も下着までぐっしょり濡れてしまった。

「伸吾が・・・行きそうなところ。」

前髪をかき上げて愛花は考える。灰色の空を見つめて、呼吸を整える。

その時、愛花の目にそれは映った。

ここ数ヶ月何度も何度も訪れた場所。

愛花はハッとなって辺りを見渡した。

無意識に通学路を辿っていたのだ。

氾濫している道路の先にあるのは学校だった。


校舎の中は外の騒がしさと対比するように静かだった。壁に打ち付けられる雨の音はどこか忙しい。

薄暗い影が場を包んでいる。

愛花が現在の高校に来たのは初めてだ。

ただ、あの頃と何も変わっている気がしなかった。

鮮明に焼きついてる青い春の光景は、受け継がれていく。人のいない教室を一つ一つ周りながら愛花はそんなことを考えた。

ただ、愛花の足はだんだんと重くなっていく。

彼がどこにいるかわかるような気がしていたからだ。

その教室へ近づくたびに、感覚のなくなった指先の震えが大きくなる。これは雨に打たれたからだと信じたい。

目の前についても、愛花はすぐにドアを開けることができなかった。

「・・・。」

これで、終わり。

輝かしい思い出も苦い記憶も。

愛花は心を固めドアを引く。

指の震えは止まっていた。


「・・・伸吾。やっと見つけた。」

高校時代の愛花のクラス教室にはある男の首を腕で固め、ナイフを突きつけている舟木がいた。

目の前に現れた愛花に少し驚いているようだった。

「くんな。愛花。」

舟木は一度あった目線をすぐに逸らし手元へ戻した。

「何してるの?」

「こいつだ!こいつのせいで!愛花はまた傷つけられる!」

掴まれている男の顔にはいくつかの生々しいあざがあり、憔悴しているようだった。

いや、これから起ころうとしていることを受け入れているように見える。

そしてその男が誰なのか愛花はすぐに分かった。

「松風君・・・。」

学生時代より髪がかなり伸びていて、少しの無精髭も生えている。学生時代より肌が焼けていて、体つきもしっかりしている。

見た目は少し変わっているが愛花が見間違えるわけなかった。

色々と聞きたいことがあったが、愛花は脳裏に浮かんだ最初の疑問をぶつけた。

「伸吾が・・・未凪くんを殺したの?」

「・・・。」

舟木の眉間は少し歪む。松風の目は虚ろなままだ。

「答えて!」

「そうだよ。でも、全部お前のためなんだよ。」

舟木は歯を食いしばりながら答えた。ナイフを持つ腕から血管が浮き出ている。

愛花はまた舟木のことが分からなくなった。

人を殺しておいて今まで普通に自分と接してきたのか。今まで向けてきた笑顔は偽りだったのか。

「・・・まさか、由莉奈は違うよね?」

「・・・由莉奈もだよ。」

舟木は光を失った目を合わせてきた。なぜか少し笑っている。

「なんで?」

「由莉奈は俺が未凪を殺した証拠を見ちゃったんだよ。だから愛花に伝えられるとお前は俺のこと嫌いなるだろ?そんなのやだ。」

乾いた笑いを含んで舟木は淡々と言った。

「は?」

愛花の胸を怒りが渦巻く。しかし、この人は何を言っているのだろうという単純な恐怖がそれすらも全て覆い尽くしそうだった。

「今までもこれからも俺がお前を守るから。最後にこいつを殺して。一緒にいようぜ!」

舟木は白い歯を見せながら淡々と言い放った。まるでいつもの会話のように。

「伸吾・・・目を覚ましてよ!」

「うん?」

笑みを消さずに舟木は首を傾げる。小さい頃から変わっていない何度も見てきた動作だ。

「なんで、人なんか簡単に殺せるの。」

愛花の泣きそうな問いに舟木の瞳は少し揺れた。

外の雨はさらにひどくなり、鋭い雷がグラウンドに落ちる。

「なんでだっけな・・・。10年前のことなんて忘れちゃったよ。」

「・・・今なんて?」

愛花は舟木の言った言葉の意味を咀嚼することが出来なかった。舟木は松風の頬のあざをナイフでなぞる。

「卒業式の翌日に尚ちゃんを殺して校庭に埋めたのは俺だよ。」

愛花の体を冷たい衝撃が走った。

今の彼の言葉は要するに白骨遺体の犯人は自分だと自供したことになる。

喉を乾いた空気が通り、一瞬うまく声が出せなかった。

「意味わかんない!なんでそんなことしたのよ!」

「あいつがお前の脅威の元凶だったんだよ。」

愛花の声帯はまたもや動かなくなる。喉の水分がどんどんなくなっていくのが分かった。

しかし、どういうことなのか見当がつかなかった。

自分の脅威と張間の関係性が全く分からないのだ。

「愛花が橋村や茅野たちと一悶着あったのは松風と付き合ったからだろ?で、こいつが愛花と付き合った理由は舟木製菓に復讐するため。」

「それが何?理由になってないよ。」

「舟木製菓がこいつの母親をリストラしたのは経営不振だ。その経営不振は悪意ある大手週刊誌が出した粉飾疑惑の記事でそれが広まりクライアントが離れたことが原因だってことは覚えてる?」

「うん。」

愛花は勢いよく首を縦に振る。

「その情報を売ったのが尚ちゃんなんだよ。」

舟木の顔から笑みが消えた。

「尚ちゃんと俺の父親は古い友人なのに、尚ちゃんは成功した父親を妬んでデマの証拠を作って週刊誌に売ったんだ。」

舟木は目力を強める。今の彼は怒りに蝕まれていた。松風は未だに何もせず、ただその話を聞いている。

愛花の脳裏に映ったのは張間の過度な舟木製菓への心配だ。日常的に何度も何度もその場面を見てきた。また一つ、点と点が繋がってしまう。

「卒業式の翌日に呼び出されて尚ちゃんは全てを白状して謝ってきた。」

「で殺したの?意味わかんないんだけど。」

愛花の怒り半分に言う。いくらなんでも人を殺す理由にはならない。高校時代の舟木が人を簡単に殺せるなんて信じたくなかったのかもしれない。

「いや、事故だったんだよ。最初は。2人で揉み合いになってそしたら、その拍子に尚ちゃんベランダから落ちちゃってすぐ死んだ。」

舟木は雨が吹き荒れる窓の外を見る。

「学校に埋めたのは文化祭でやった青春の白骨化のオマージュ。文化祭の二日間はめちゃくちゃ濃かったよな!俺と愛花の思い出の中でもトップクラスに濃密だったと思う。だから、いつでも思い出せるように。」

舟木はまた笑う。いつでも見せてくれたあの笑顔。

愛花は舟木に内在している狂気に触れた気がして少し後ずさった。

「学校への説得と説明は父親がやってくれた。尚ちゃん一人っ子で両親とも死んでたからそこはちょっと楽だった。」

「おかしいよ。伸吾。」

目の前にいる男は誰なんだ。濡れ切った自分の服をぎゅっと握りしめながら愛花は自分に問う。

「何がだよ?なんで泣いてんだよ。誰かに何かされたか?俺が倒してやる!」

「松風くんを・・・離して。」

愛花は怯えながらも、松風を指差す。

舟木の顔がまた曇った。そろそろ溶けるのではないかと思うほど力強くナイフを握る。

「松風、松風って!なんでだよ!なんで俺のこと見向きもしないんだよ!俺の方が絶対お前のこと好きだぞ!ずっとそばで見てきたから!小さい頃から!俺は世界で一番お前が好きだよ?」

首を固められた松風を左右に揺らしながら舟木は荒ぶる。教室の窓がガタガタと揺れた。

「もう終わりにしよう?こいつを殺せば、愛花は俺のこと好きになってくれるよね?」

「やめて!」

バァン!愛花の声に被さるようにその音は教室内に響く。

瞬く間に舟木の肩から大きな赤い飛沫が飛んだ。

舟木はよろけて机を巻き込みながら派手に転ぶ。その反動で松風は解放された。首を抑えながら大きく咳き込んでいる。舟木は教室の壁に頭をぶつけ、肩を抑えながら唸った。

「・・・カァっ・・・はぁ・・・な。」

舟木の瞳には10人ほどの警官が銃口を向けている姿が映っていた。

肩からの血は未だに止まらずに床を赤く染め上げていく。次に瞳には映ったのは呆然としている愛花。

愛花は未だに状況を飲み込めていない。

自分の目の前に現れた警官たちは依然として舟木に銃口を向けている。

そして愛花の後ろから1人の足音が聞こえた。

「間に合った・・・。」

「陸治くん・・・?」

愛花はその瞬間に足の力が抜けたかのようにその場にへたり込んだ。

陸治は急いで駆け寄り、愛花と目線を合わせて笑った。

「やっと見つけたよー。桃川は多分白骨遺体の犯人の検討がついてるって。そんなスクープ逃せないだろ?この高校はスクープ現場で張り込み先でもあるから部下から連絡が来たんだ。2人の人が入ってきた後にもう1人女性が入っていったって。念のため警察呼んどいてよかったー。」

「あ、ありがとう。」

横からガチャリと言う音が耳に届く。

肩を止血されている舟木は警官によって手錠をかけられた。舟木はその鉄をぼんやりと眺めている。

警官が3人係で舟木を起こし、その場で連行されようとしている。

愛花の前を無表情の舟木が通りすぎた。

段々と彼は遠ざかっていく。

愛花の前から姿を消していく。

「伸吾!」

愛花は立ち上がり駆け寄った。

「ん?どした?」

「・・・またね。」

「うん。また明日。」

舟木はいつもとは少し違う笑顔で笑った。

後ろからまた1人の男が起こされる音。

松風がガタイのいい警官に肩をかされている。1人の警官が電話で救急車を2台呼んでいた。

「松風くん!・・・ですか?」

直接その名前を呼んだ時、愛花は急に確証が持てなくなった。

でも、彼の微笑みを見てそれは杞憂になる。

「・・・桃川。」

声を聞いて目の前にいるのが松風だと自信を持てる。

松風は愛花から目を逸らして言う。

「あの時、いなくなってごめん。」

愛花は慌てたように首を横に振る。そして聞きたいことを聞いた。

「もしかして未凪くんのお葬式にいた?」

「うん。」

やはりあの時の視線はそうだったのか。

「桃川見つけた時はビビった。」

「そうだよね。」

「でももう俺たちは会えないよ。」

松風は愛花の目をまっすぐ見た。

「これで終わりだ。桃川も分かってんじゃないの?」

「・・・。」

「出会い方が、作られていく関係性が違ければよかったのにな。ごめん。」

松風は目頭を少し抑える。しかしすぐに手を下ろしゆっくりと息を吐く。

その後、彼は言った。

「僕と別れてください。」

「うん。今までありがとう。」

「今までって、10年前だろ?」

「そうだったね。」

松風は警官にもたれながら教室から出て行く。

外の雨はいつのまにか止んでいた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る