最終章 松風の想い

月明かりが差し込む教室に、二人の男女がいた。

グランドからは何人かの声。昼間に存在していた熱気は一度、どこかへ飛んでいった。

「ごめんね。呼び止めて。」

「いや、全然。」

よそよそしい二人を生ぬるい空気が包む。

窓際の一番後ろの席に座る松風。愛花はひとつ前の机の椅子を後ろに向けて向かい合っている。

ゆっくりと目を閉じ、気持ちを整える。

愛花は口を開いた。全ての思いを打ち明けるために。

「もう、いいよ。私知ってるから。」

予想外の切り込み方に、松風は少し驚く。

「知ってるって何を?」

わざわざ聞き返した後に、何かを察したようだった。

お互いの表情が変わる。

側からみると単純な二人の関係も、当人間では歪な形。

「伸吾の話は聞いたよ。松風君が、私のことを好きじゃないのも。」

その言葉が耳に届くと、二人はうつむいた。相手の重い息が聞こえる。

「ごめん。」

悔恨の念がしっかりと伝わってくる松風の謝罪は愛花の心を締め付けた。

やっぱり松風は優しい。自分で行ったことなのに、彼は自分を許せそうにない様子だった。

愛花は少し微笑んで、涙腺を締めて松風に言う。

「謝らないで。私こそごめんなさい。今まで、たくさん松風くんに踏み込んで。」

松風にずっと言いたかった言葉だった。

自分の中で正当化して今まで逃げていた。松風を救いたいのに、その行動は松風を傷つける。

そしてまた、この言葉は今の松風を苦しめる。

でも、松風は顔を上げた。

その反動で目に溜まっていた涙が一筋垂れる。

「ちょっと待って。・・・桃川。」

弱々しい声で、憔悴した声で。

「舟木くんから、なんて聞いた?」

夜風が二人の間を通り抜けた。

「・・・え?だから、今言った通りだよ。伸吾の会社に復讐するために、私に近づいたって。」

松風はハッとした顔でこちらを見てくる。

愛花は首を傾げた。

「それだけ?」

「それだけって・・・え?」

「・・・その話には続きがある。聞いてほしい。」


松風はしっかり椅子に座り直し、愛花も姿勢を整える。改まった空気は愛花の背筋を自然と伸ばさせた。

松風は覚悟を決めたように話を始める。

「俺が桃川に近づいたのは、確かに舟木くん目当てだった。それはあってるよ。本当にごめん。桃川の好意に漬け込んで、俺は最低なことをした。」

松風はまた頭を下げる。愛花だってもう感情は落ち着いた。冷静に松風の話を聞こうとしている。でも、この先に何があるのだろうか。

愛花は少し怖くなった。

「その後、舟木くんに俺は話した。でも、今の俺は桃川が好きだって。好きになっちゃったって。」

聞こえてきた言葉を理解するにはかなりの時間が必要だった。

「・・・え?」

困惑と、純粋な疑問。愛花の一言にはそれが詰まっていた。

小さく空いた口は塞がることを知らず、だただ動きを忘れるしかなかった。

松風の瞳に映る愛花は随分と滑稽だ。

「確かに最初の頃、俺は桃川のことを好きなふりをしてた。でも、きっかけは体育祭だったと思う。無理してでも頑張る桃川を守りたいと思った。桃川になら、母親のこと言ってもいいと思った。弱いところをさらけ出せると思った。でも、初めてのことで俺はわかんなくなって、逃げてしまった。」

二人の間に生まれた偽りが、緩んでいく。

思い出すのは初めて松風のお家に行った時のこと。愛花はそこで何も配慮をすることなく、松風の事情に首を突っ込んでしまった。別れを切り出された時のこと。

そして松風も松風で、愛花から逃げてしまった。

松風が話した出来事は愛花が過去に行ったことで起こした行動だ。

自分の行動は決して無駄ではなかったのかもしれない。愛花の今までの体当たりな頑張りは、少しずつだが松風の心を溶かしていった。

震えながらも、目に涙を浮かべながらも、松風は優しく微笑んでいた。

「いつの間にか笑っている桃川を見ていると自然と元気が出て、めげずに頑張る桃川を見てると自然と勇気がもらえて、一緒に過ごす時間が愛おしかった。」

松風は一呼吸置いて、また後ろめたそうな表情に戻る。

「でも、ビーチで自分のことを自白した時、俺は桃川と一緒にいる権利はないと思った。今がどうであれ、最初のきっかけは許されないことだったから。」

気づいた時には、愛花の目からも涙が溢れていた。

愛花の前から忽然と消えた理由は愛花を好きじゃなかったから。でも、今の松風は愛花のことが好き。過去に帰ってきて、めげずにアタックしたからからこそ、過去が変わった。頑張ったからこそ、過去は変わった。

これで、松風は姿を消さない?

暗い夜に差し込んだ一筋の光。

松風は腫れた頬を少し拭い、立ち上がった。

「俺は弱い。でも、桃川となら生きていける。この人となら一緒にいたいと心から思う。」

松風の本心は何よりも嬉しくて、何よりも愛花の心を癒した。

まだ実感の湧かないこの事実は、それでも感情を抱き締めて離さない。

「今の俺は桃川が好きだ。大好きだ。今まで傷つけて本当にごめん。」

月明かりに照らされた松風はこの世にある何よりもかがやいていた。

「もう一度、僕と付き合ってください。」

愛花の涙腺は制御が効かない。

どれだけ流しても止まらないその涙は、頬へと流れていく。

体が熱くなり、愛花は顔を隠した。

こんな顔、松風に見られたくない。

涙を拭って、止まらない嗚咽を一度落ち着かせる。

立ち上がって、愛花は松風の方を向いた。

「松風くん。どこにも行かないよね?」

うわずった声は松風を少し困らせた。

しかし、愛花の今聞いておきたいことだった。

「明日、文化祭がおわってもどこにもいかないって約束して。」

体は無意識に松風を抱き締めていた。少しがっしりとした体軀が愛花を優しく抱き返した。フワッと松風の香りに包みこまれる。

「もう、私の前からいなくならないでね。」

お互いの心臓の音は鳴り止まない。耳に届くその音はどこか心地よい。

松風は微笑んで、今までで一番近くにいる愛花に返答を投げかけた。

「うん。」

その二文字だけで、愛花は報われる。今までの行動は無駄じゃなかったんだと心の底から感じることができる。

「私も好きだよ。大好きだよ。松風くん。」

外からも人の気配は消え、この世界には二人だけ。

月を背景に二人は唇を重ねた。


文化祭二日目。

愛花は昨日のことを思い出すたびに自然と口元を緩ませていた。

長いようで短かったタイムリープの最大の目標は達成されたといっていいだろう。松風の失踪は止められた。これで今日の夜、松風が失踪することもなくなるはずだ。

呑気に愛花は登校するとき見かけた未凪に隠れてグッとポーズを送った。未凪が気づくわけはないのだが。

そして松風と付き合えたことに舞い上がってもいた。松風の失踪を止めることができれば、自分のことはどうでもいいと考えていたのにこんな嬉しいことになるなんて。

これで現代に戻って白骨遺体があろうとなかろうとあまり関係のないことだと愛花は思っていた。それが間違いだったと気づくのはもう少し後のことだ。

「何ニヤニヤしてんのー?愛花ー。」

おいおいと肘で胸の辺りを突いてきたのは橋村だ。

そこで愛花は大粒の唾を飲んだ。

橋村は今日のお昼休みに理科室で大火傷を負ってしまう。

その未来は全く変わっていないはずだ。と言うか、事前に行動する変え方が全くわかっていなかった。松風の場合はある程度事情を知っている人がいたが、橋村の場合ただの事故である可能性が高いからだ。

ただし一つだけ疑問点を挙げるとしたら、なぜあの時橋村は理科室にいたのかと言うこと。

これから起こる事故は、今日お昼休みに橋村が理科室に行くことをとめればなんとかなるはずだ。簡単に見えるが、一発勝負ゆえに失敗はできない。

隣を歩く橋村の笑顔を見ると、必ずこの計画は成功させなければならないと感じる。


「ここの演出、ちょっと変えたいんだ。」

愛花と橋村が学校に到着してすぐ、舟木は演出陣を集めて相談を持ちかけてきた。

「えー?今から?」

「ありがたいことに二回目をみてくれる人もいると思う。飽きちゃうだろ?」

「まあ確かにそうだけど・・・。」

舟木が持っているのは火をつけると浮くランタンだ。

愛花は少し顔をこわばらせた。

火を見てしまうとどうしても連想してしまう。

全ての物語が終わり、過去と現在がつながった瞬間にいくつか灯したいらしい。

幻想的な空間にして作品の質をグッと押し上げたいと舟木は言っている。

「伸吾?いややっぱやめた方が。」

演出担当ではないのに愛花は流石に口を出さざるを得なかった。

「いや、いいじゃん!」

「やろやろ!」

愛花にかぶさるように肯定意見を出した橋村と陸治によって、その案は可決された。

「よっしゃ!」

「予備のライター買っておいた方がいいんじゃない?」

「それもそうだな。」

舟木と陸治の会話の隅で手が挙がった。

「じゃあ私が買ってくるよ。」

そう名乗りを挙げたのは茅野だった。

橋村の火傷を止めるための文化祭二日目が始まる。


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