最終章 橋村とライター

昨日の前評判により、2日目の演劇は観客で溢れかえっていた。1日目に3回公演したのに、それでもソワソワしてしまう。

愛花が体育館の2階にあるスロープから観客席を覗くと、彼はちょうど席についた。たくさんの人がいるのに愛花の目には松風しか入らない。

前から3列目の中央あたり。首も痛くならず、とても見やすい席で松風は入場した人に配られる劇のあらすじをじっくり読んでいた。隣には未凪がいる。

愛花はまた未凪に松風の失踪は止められたよ!と一人テレパシーを送っていた。

しかし何やら舞台袖が騒がしい。愛花が一階に降りると、陸治が舟木に話しかけていた。

「茅野遅くね?」

愛花はその名前が耳に入った途端その会話に参入していた。

「茅野さんいないの?」

「ああ。もうとっくに帰ってきてもいい頃なんだけどな。」

茅野はコンビニにライターを買いに行ったはずだが。

「遅いね。事故とかに巻き込まれたりしてないよね?」

いつの間にかその輪に入ってきていた橋村。さすが座長、周りが見えている。

「いや、それはないだろ。すぐそこだぞ?」

「私、ちょっと探してくる。」

裏口から外に出ようとした橋村を陸治が止めた。

「いやいや、主役がいないでどうするのよ。橋村はここにいてー!」

「そんなことできないよ。絶対間に合うから!ごめん!」

橋村はやけに大急ぎで体育館を出て行った。

開演15分前に飛びだした主役をクラスメイトは目で追い、少し不安そうな顔をしていた。

「大丈夫かな。橋村さん。」

愛花はそこで今自分が行動すべきことを理解し、ぼーっとしていた自分に腹を立てた。

「ごめん。私も探してくる。」

愛花はすぐさま橋村の後を追った。裏口を開けると強い日差しが目に直撃し、思わず唸る。でも今はそんなことをしている場合ではない。

自分に腹が立ってしょうがなかった。今日、橋村は大火傷を負う。

時間は午前の公演が終わった後だが、愛花は散々過去を改変しているのだ。何がどう作用するかわからない。今日は絶対に一時も橋村から目を離してはいけなかった。

辺りを見渡しても既に橋村の姿はない。すると、背後から肩を掴まれた。

「愛花までどこ行くつもりだ?これ以上人がかけたら劇は回らないぞ。」

舟木が製作指揮として愛花を止めに来ていた。すかさず、愛花は反論する。今はとにかく時間がないのだ。

「主役がいなかったらそもそも劇は無理でしょ!ひとまず急いで探す!」

愛花の必死さに舟木は少し驚いてる様子だ。そして頭を掻きむしった後に言う。

「俺も探す。」

愛花は薄々舟木がそう言ってくれると思っていたが、リアクションをしている暇はなかった。

「ありがとう。伸吾は茅野さんが買いに行ったコンビニの方行って!私は念の為学校内を探してみる。」

「わかった。でも開演前には戻ってこいよ。約束。」

愛花は勢いよく首を縦に振り、すぐさま走り出した。

一つの心あたりを頼りに校内をほぼ一直線で進む。

橋村が大火傷を負ったのは、理科室。橋村の大火傷はなぜかあった火の元がガスに引火した事故だ。愛花は間に合ってくれという一心で校内を駆けた。

体育祭の時とは違い校内はとても花めいている。教室での出し物をおこなっている人々が一度は鬼の形相の愛花を見ては首を傾げた。

一眼を気にせず走り続けた愛花はやっと理科室に到着する。

しかしとても静かで人の気配など感じられなかった。

扉を開けてもそこには誰もいない。ぐるっと一周教室を探しても橋村や茅野はいなかった。安堵と焦りが込み上げて来た時に右太ももを携帯が揺らした。

舟木からの着信だ。急いで応答する。

「二人ともいたぞ。早く戻ってこい。」

耳に届いた舟木の声はやけに暗いように感じた。時間の余裕のなさからだろうか。愛花は返事をしながら、すぐに体育館に戻る。

開演5分前に役者は全員揃った。橋村も無事だ。

しかしなぜだろう。舟木と橋村と茅野の表情は、どこか険しかった。


午前の演劇はとどこおおりなく進み、拍手が会場を包みながら幕を下ろした。

ただ愛花は開演中も体育館に戻ってきた3人の表情が忘れられない。

愛花は頬をパンと叩き、気持ちを切り替えつつ演劇終わりの橋村を探す。

ここからが愛花にとっての本番だ。愛花は橋村と一緒に文化祭を回って理科室に近づかせない作戦だった。辺りを見渡したところで愛花は生唾を飲み込む。

橋村の姿がどこにもないのだ。

愛花は急いでクラスメイトに橋村がどこに行ったか聞いたが、トイレじゃない?とかわかんないだとか明確な答えは得られない。

信頼できる舟木に聞こうとしたところで愛花はさらに気づく。

舟木もいない。

愛花が思い出したのは体育館に戻って来た時の3人の表情。

と言うことは、と恐る恐る周りを見たところ茅野もいなかった。

心臓の鼓動は意味がわからないほど早く深くなっていた。この場にいる者全員に聞こえるほどに。

愛花はまた体育館を飛び出した。

開演前に走ったルートをもう一度辿る。

瞬く間に流れていく景色はまたもや目に入らなかった。

そんな時。

理科室に続く階段の影でオレンジ色の小さな灯り火が視界に入る。

「・・・ッハ!」

思わず声がでかけた口を両手で塞ぐ。急停止し、壁に隠れる。

小さな火が出ているライターを持っているのは茅野だった。

愛花の思考が、記憶が頭の中をかけめぐる。

茅野の文化祭期間を通しての浮かない顔、そして橋村との主演オーディションに負けた時の悲しげな表情、今朝の失踪。

茅野は主演になれなかったことを恨んでる?

橋村に因縁を持ったのではないか?

そんな小さなことでと愛花は一瞬思ったが犯行の動機に常識なんてない。

だったら、過去に橋村さんに火傷を負わせたのは茅野?

もう一度茅野を見た時、彼女は決意したかのように走り出した。

愛花は急いで後を追う。

しかし身体能力の差から距離はどんどん引き伸ばされていく。

茅野は愛花の思惑通り理科室へと向かっていく。

「まっ・・・・・てっ・・!」

息が切れてうまく声が出ない。

そんな愛花の視線の先で茅野は理科室へと入って行った。

気力振り絞り愛花も理科室の扉へ向かう。

そして、目の前に扉がきた途端追い切り理科室の中へ入った。

「待って!茅野さん!」

静寂を切り裂いた愛花に視線は集約される。

その理科室には、愛花と茅野、橋村、そしてライターを持った舟木の四人がいた。


「・・・愛花。なんで。」

やけに力無い声で舟木は言った。

「どーいう・・・こと?」

愛花は先ほどまで茅野が持っていたライターを握っている舟木の手から目が離せない。

下唇を噛み眉を顰める茅野、いつもの明るさがない舟木、驚いた末に少し微笑んだ橋村。舟木はライターを握りしめて橋村を顎で指す。

「こいつなんだよ。茅野の嫌がらせを裏で操っていたのは。」

徐々に体に染み込んでいく舟木の言葉に愛花は固まる。声も出ず、ゆっくりと橋村の方を向いた。

「ふふっ。今更気づいたの?」

窓際にもたれかけ、目を細める橋村。その姿を見た愛花の瞳からは光が消えた。

いつものキラキラした弾けるような笑顔ではない。

心の奥底にある黒い部分が前面に出たようなまるで悪魔のような笑顔。

見た目は同じなのに脳がこれを橋村だと認識しない。優しく、天真爛漫で、愛花が助けようとしていた橋村だと認識できない。

思わず、愛花は伸吾に助けを求めるように目線をずらした。

「伸吾は、知ってたの?」

頭の混乱は体に流れていき細胞を震わせる。今にも壊れそうな声で愛花は舟木に聞いた。

「俺も今日の朝、こいつと茅野が話してるのを聞いて知った。」

苛立ちと失望を隠すことなく舟木は話す。それはさながら松風たちと行ったビーチの時のような。

「全部こいつだ!愛花を傷つけようとしたのは。でもその時は開演ギリギリで時間がなかった。俺は改めて話を聞くために2人をここに呼び出した。」

首筋に浮かぶ血管が、深い眉間の谷が、なんとか理性を保っているような話し方が舟木の心情を冷徹に物語る。

愛花にまず襲ってきたのは絶望。その後をついていく疑問。その様子を橋村は満足げに眺めていた。

「・・・橋村さん、なんで?」

消えかかった声は橋村の笑みを深くさせる。

「決まってるじゃん。目障りだから!」

冷酷で重たい声は、一気に沸点へ到達した。

右足を床に踏みしめる橋村は歯を噛み締めて愛花を睨みつける。その迫力に愛花の足は少し後退した。

茅野と舟木は立ち尽くし、各々の思いを抱き2人の対峙を耳に入れている。

「私の松風を・・・なんであんたみたいな芋女に取られなきゃいけないの。」

橋村は怒ったと思ったら次は泣きそうな顔になっていた。駄々をこねる子供のように見える。

「私は松風と中学校からの同級生。私はその頃から松風が好きだった。私は可愛くなっているはずなのに松風は全く振り向かない。高校生になって、愛花が松風への気持ちを相談をしてきたときは笑ったわ。だから現実を見せてやろうと思って背中を押した。」

言葉のテンションが波のように変わり、だんだんと愛花の中の橋村は壊れていく。

塗り固められた事実は嘘によって剥がされていった。今までの橋村との楽しい記憶が錆びていき、愛花の心にも侵食してくる。少しでも力を抜くとその場にへたりこんでしまいそうだった。

「そしたら、松風は・・・愛花の告白を了承した。なんで、なんでなの。」

いじけた言葉はそのまま愛花に突き刺さる。

10分前まで愛花はこの人を助けようとしていたのに。裏切られた悲しみ、騙された自分への嘲笑、積み重ねてきた友情の崩壊。全てが渦を巻いて頭を巡っていく。

「・・・橋村さん。私は、あなたを助けようとして。」

声を出した途端に目の奥が熱くなり、涙が勝手に溢れていた。

感情も制御が効かない。

「ははっ。この世で一番嫌いなあんたが何を助けてくれんの?」

「それは・・・。」

思わず床を見る愛花。

「その顔!もっと悲しんでよ!もっと絶望してよ!」

高笑いが理科室に響く。そこにはもう愛花の親友の橋村はいなかった。

「分かってないけど・・・分かった。」

なんとか呼吸を整えようとするが全くできない。

血の抜けた顔色で愛花は橋村をもう一度見る。

「でもなんで茅野さんを使ったの?直接くればいいじゃん!それに、なんで茅野さんは簡単に橋村さんに従うの?!」

愛花にとってあまりに残酷な真相が茅野の口から話されていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る