最終章 偽られた過去の真相
「私の家は昔、会社をやってたの。でも倒産して、多額の借金を背負った。そんな時に、お金を貸してくれたのが、橋村さんの親の会社だった。」
そう話す茅野の目にはいつも愛花へ向けていた鋭い眼光がなかった。愛花の視界にはその話を馬鹿にしたように笑う橋村がいる。
邪悪な笑みに愛花は未だ慣れない。慣れたくない。
橋村の家族が会社をしているなんて初耳だった。
「・・・そんなの従う理由にならないよ。」
愛花は口から出しながらその言葉がどれだけ無責任なのかを自覚していた。人には他人に言えない事情も隠している事情もある。
松風だってそうだった。
表面のみを見て物事を判断するのはあまりに傲慢だ。
「うるさい!あんたになにがわかんのよ!」
茅野の爆発した感情の矛先は愛花に向けられた。
「父親は、借りたお金を持って逃げ出した。母親と私は橋村さんの会社にお金を返そうとしても利子が膨らんで難しいし、生活もキツい。」
その茅野の顔は苛立っている。でも、どこか苦しそうで助けを求めているように見えた。
愛花の横から呆れたため息が聞こえる。
「一生返せない仕組みにしてんだろ橋村。ヤクザかよ。 」
ポケットに手を突っ込みながら橋村に言う舟木。
「そんなの知ったこっちゃない。結局は自分の能力次第でしょ。」
半笑いで橋村が返事をする。
愛花はその2人をギロリと睨みつけた。
「2人ともうるさい!今は茅野さんが話してる。」
愛花は茅野に視線を戻した。茅野はどこか驚いたように愛花を見ていた。そして息を整えまた話し出す。
「それで、橋村さんは提案してきたのよ。私の指示に従うなら利子をチャラにしてもいいって。」
「それで・・・私に嫌がらせをしろって?」
愛花は初めて上履きを隠された時を思い出す。
あの時茅野は言った。「とにかく、私じゃないから。」あれは本当だったのか。
あの時のどこか複雑でもやっとした表情の答えを愛花はやっと見つけた。そしてまた過去の自分の行動を戒める。茅野のことを敵視して、隣いる黒幕に全く気づかなかった。
ふふっとまた笑いながら、橋村は発言権を強奪した。
「体育祭での計画は失敗だった。バレるんじゃないんかってヒヤヒヤしたの。あんたと一緒に水を運んでる時に、茅野にあんたのランニングシューズを切らさせたの。今日こそ、あんたを潰せると思った。」
パチンッと大きな音が理科室に響いた。
我慢の限界はとうに超えている。
頭で考えるよりも前に愛花は橋村をビンタしていた。茅野と舟木はその姿を唖然として見ている。
橋村は頬から体がよろけ、床に尻餅をついた。
赤くなった頬を少し触りながら、橋村は何すんだよとばかりに愛花と目線を合わせる。
愛花は頭にのぼった血をなるべく抑えて、歯を食いしばり橋村に言った。
「橋村さん・・・いつまで茅野さんを縛り上げようとしてたの。」
もう愛花の中に橋村への愛はない。ビンタにのせて橋村との友情は完全に消え失せた。
「ふふっ、一生!こいつは死ぬまで私のおもちゃ!夢も結婚も好きにはさせない!そうだな、私の会社の契約相手の息子とかにさせようかな?」
愛花の中で点と点が繋がった瞬間だった。茅野の顔が過去から現代へ移り変わる。
大人になってもずっと、茅野は橋村に支配されていたんだ。橋村に苦しんでいたんだ。
愛花は自分に助けを求めてきた茅野が本当の彼女の姿だったのだと確信した。
そしてあの悲哀に満ちた顔を思い出すたびに愛菜の怒りは橋村へと向いていく。
橋村は床から立ち上がりスカートについた埃をはらった。そして言い放った。
「どうせこんなやつ、生きてても意味ないじゃんか。」
愛花はもう一度右手を振り上げる。
しかしそれは、勢いをつけた瞬間に静止された。
舟木の大きな手が愛花の腕を掴む。
「もうやめとけ。こんなやつ叩くのも無駄だ。」
その表情はどこか影を落とし、小さな怒りに満ちているように見えた。
そしてもう片方の手に持っているライターからぶっきらぼうに小さな火を出した。しかしそれはすぐに消え、舟木はただその儚い光をぼーっと見つめた。
「伸吾は・・・何をやろうとしてたの?」
橋村の怪我の原因は火傷だった。その事実が、その過去が、その点が繋がってほしくはなかった。
伸吾の顔が悔しそうに歪む。
愛花は舟木の手を振り払いそのまま舟木の両肩を掴んで激しく揺らした。舟木は愛花の手のままに力なく前後する。
「ねぇ!答えて。」
「俺は何をやろうとしてたんだろうな。」
その歪んだ表情を見て、愛花はそれ以上の追求ができなかった。下唇を軽く噛みながら手を離す愛花。
舟木のライターは乾いた音を立てながら床に落下していた。
「愛花。これであんたとは終わりだね。でもまあ、今日の後2回の演劇はしっかりやってよ。」
橋村に向ける感情はもう呆れしか残っていなかった。この人はどこかが欠落している。
「罪悪感とかないんだね。」
冷たい返事を返した後に、愛花は頭を下げた。
「橋村さん。茅野さんを解放してください。」
これが、今の愛花にできる最大のことだ。
橋村の火傷はもう起きない。今、苦しんでいるのは茅野だけ。
「・・・。」
橋村は少し驚いていた。
「約束して。」
愛花は念を押すように詰め寄る。
「とっくに茅野の家は返すべき金は返したはずだ。むしろ余分に取った金を茅野に返せ。」
どこか上の空のまま舟木が言った。
橋村は歯を食いしばり、眉間の谷が深くなる。
でもすぐに元に戻り、悲しそうな顔でつぶやいた。
「・・・松風は、なんであんたを好きになったの。」
愛花は予想外の質問に驚いた。そして、答え方にも戸惑った。
元々、松風は自分のことを好きではなかったからだ。松風からの本当の好意は時間をかけて全力でぶつかったからこそ実現したもの。
橋村が自分を憎むきっかけとなった告白の承諾は偽りの好意で起きた出来事。
愛花は色々なことを考えた後、頭の中に最初に出た言葉をそのまま口に出した。それが全ての理由だと感じたから。
「私は、頭で色々考えた後に行動できないから。」
橋村は何かが吹っ切れたように、少し笑った。
その笑いには愛花と親友だった時の温かみが少しあるように思った。
「・・・なにそれ。」
愛花はもう一度頭を下げ、橋村の目を見る。
「親友でいてくれてありがとう橋村さん。そして、さよなら。」
橋村の火傷は止めた。
茅野はこれで救われた。
愛花は橋村との思い出を全て理科室に置いて、その場を去った。
「おい伸吾、橋村のやつ早退したってどういうこと?」
陸治が足速に舟木の元へやってきた。
「いやー、なんか体調悪くなっちゃったらしくてさ。しょうがないじゃん?」
舟木がおどけたように言う。あんなことがあった後なのに普段の調子へギアを上げれる舟木はさすがだった。
愛花から見たら少し無理しているようにも見えるけれど。
「いやいやまって!主演いないじゃん。どーすんのよ!」
「そーなんだよねえ。どーしよっか。」
「なんでそんな緊張感ないの!?」
現場は徐々に混乱していく。
しかし既に会場にはまばらに客が入り始めていて、彼らの顔を見ると休演にはなるべくしたくなかった。
「開演30分前に主演いないってどーいうことよ!」
落ち着きのない陸治を横目に愛花はある人の元へ向かった。彼女の前に立つと彼女はポカーンとしていた。
舞台裏の端でひっそり座っている茅野へ、愛花は言った。
「茅野さん。主演、やってみたら?」
その言葉は茅野だけでなく、周りの人も驚かせた。
ざわめきがこちらへ飛んでくる。
「え?」
愛花にはもう周りの雑音は気にならなかった。
「演技がしたいんじゃないの?」
愛花がこの時思い出していたのは茅野と橋村のオーディションの様子だ。
あの時、なぜ茅野はわざわざ怯える対象であった橋村と勝負していたのか愛花はずっと疑問だった。
でも、橋村との話を聞いてやっとわかった。
茅野にも譲れないものがあったのだ。挑戦したいことがあったのだ。
例えそれがどんなに手強い相手でも主演をやってみたかったのではないか。
愛花の問いを聞いた茅野の目は少し潤んだ。
その目には光がさしていて、まるで宝石を閉じ込めたかのようだった。
鼻を啜り、少し腫れた頬を必死に隠す茅野。
愛花は座っている茅野に目線を合わせて優しく微笑んだ。
「もう自分の人生を生きていいんだよ。これからもずっと。10年後もずっと。」
茅野の目からはとうとう涙が流れ出した。震えながらもどこか嬉しそうな茅野は声を発する。
「・・・本当に・・・私で・・・いいの?」
「うん!」
いつのまにか2人の周りには人が集まっていた。
「あー!たしかに茅野は主役のオーディション受けてたもんね!台本まだ覚えてる?」
興奮した陸治が愛花の隣に来て茅野を覗き込む。
「うん。覚えてるよ。」
茅野は泣き崩れた顔を少し隠しながら嬉しそうに返す。愛花は初めて茅野が心から笑った瞬間を見た。
その笑顔はとても素敵で、10年後もこの笑顔が続いているといいなと心から思った。
茅野の完璧な演技により、残り2回の公演は滞りなく進んだ。前代未聞の主演交代という情報はすぐさま広がり、さらに客を集める事態となった。
劇をやりきったあとの拍手はクラス全員の体に染み込んでいき、達成感を覚えさせる。
クラスで一丸となって作った演劇は大成功。そこには座長としての橋村の功績があったことも事実だ。
不測の事態にもしっかり対応して、最高のものを作れた。
この青い春は愛花の心にしっかりと刻まれ、記憶に残り続ける。
松風の失踪。橋村の大火傷。現代での茅野の問題。
その全てはこの二日間で解決された。
愛花は後夜祭の準備を始めている校庭の様子を見ながら静かな教室でガッツポーズをした。
お昼はあんなに賑わっていた校内も今は誰もいない。キャンプファイヤーの枠が組み立てられ、全校生徒が段々と中心へ集まっていく。
この世界に本当は自分だけがいない。
10年前に終わったはずの高校生活をまた経験できていることは奇跡というべきか。はたまた神の気まぐれなのか。
そんな答えの出ない問いを考えているときに、教室の扉が開いた。
「愛花。」
舟木は少し息を吐いてから教室に足を踏み入れた。
「まず、昨日の朝に言ったのに時間をくれてありがとう。」
舟木の表情はいつになく真剣だった。
「あと、橋村の時は」
「いや、いいよ。その話は。実際伸吾は何もしてないんだから。」
月をバックに愛花は舟木の話を遮った。
二人の間にはいつもとは少し違う空気が流れている。お互いが目を合わせない。
「それでさ、愛花。」
頬を赤く染めた舟木がさらに愛花へ歩み寄る。
愛花は舟木の心臓の音が聞こえたような気がした。
「・・・うん。」
愛花の鼓動も自然と速くなっていた。
時間の経過を感じない。
もう一度ゆっくり息を吐いて舟木は言った。
「好きだ。」
その3文字を聞くと愛花の鼓動はさらに激しく脈打った。面と向かって言われると顔が熱くなる。
言葉を探そうと口を開いては閉じてを繰り返す。
舟木はじっと返事を待つ。
この瞬間で二人の関係は変わってしまうかもしれない。10年後まで影響してしまうかもしれない。
少なくとも、以前の高校時代にこんな出来事はなかった。これは愛花が過去に戻ったことで起きていることなのだ。
愛花はその責任を噛み締め、舟木の目を見た。
幼い頃からずっと見てきた目だ。
高校時代も大人になっても変わらない真っ直ぐな瞳。
「私は」
舟木の黒目が少し揺れる。
「松風君が好き。」
舟木はその言葉を聞くと、眉の端が垂れ下がり笑った。優しくていつもの軽い笑顔とは違う微笑み。
「そーだよな。お前は昔から一途だもんな。」
舟木はうなじを撫でながら下を向いた。
「ごめん伸吾。」
「ん?なんで謝るんだよ。俺が伝えたかったから伝えただけ。困らせちゃったならごめんな。」
口角を上げて、目を細める舟木。
「よし!行こうぜ!後夜祭!松風と踊るんだろ!遅れちゃうぞ!」
舟木は後ろを向いてそう言った。
舟木の少し濡れた頬に反射した月の光は愛花の目にしっかりと映った。
松風は現在愛花を探していた。
今日はこれからキャンプファイヤーを囲んで踊る約束だ。そして右往左往していると肩を叩かれた。
勢いよく振り向くとそこに立っていた人に言われた。
「ちょっと来て。話したい。」
愛花は全ての問題が解決したと思っていた。
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