最終章 文化祭の前の静けさ

何度試みても体育倉庫の扉は開かなかった。

「おい!誰か!」

未凪がバンバンと鉄の無機質な扉を叩く。

この場所は体育館の裏にあり、行くにはわざわざ体育館の外側をぐるっと回らなければいけないのでそもそも人通りが少ない。

どれだけ音を出しても、体育館の中にいる人には届かなかった。このまま叩き続けると先に二人の耳がやられそうなぐらいだ。

「クッソっ!」

時刻は夕方6時で日は落ちかけて、人の数もまばらだ。夏と秋の境目に吹く独特な風だけが自由にこの場を移動できる。

流石に文化祭の道具をしまうために誰かはこの倉庫に訪れると思うので、ひとまず二人は誰かが来るのを待った。

愛花は重なったマット運動のマット、そして未凪は2段だけの跳び箱に腰をかける。

友達の友達なので物理的にも心的にも絶妙な距離だ。

「桃川は松風のこと、まだ諦めてないんだね。」

あまりに唐突な発言に愛花は反応が遅れた。

「え?なんで!?」

愛花の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。

「好きオーラダダ漏れ。」

「嘘!」

未凪の発言によって愛花は自分が全く松風のことに蹴りをつけれていないことを自覚した。自分の中でどれだけ暗示をかけても、異性への好意はそう簡単には変わらない。そしてそれが周囲にバレているのが何より恥ずかしかった。

愛花が火照った顔を手のひらで触っているのを蚊巻くことなく未凪は話を続ける。

「この際だから言わせてもらうけど、俺正直桃川のことあんま好きじゃないよ。」

「・・・ん?」

愛花はまたもや反応に遅れをとる。急な告白に困惑しかできない。

「周りの女と一緒だろ。爽やかで人当たりのいい松風を学校一のイケメンとしてチヤホヤするだけ。みんな、松風の顔しか見てないよな。」

未凪はため息まじりの愚痴を放つ。

彼の気持ちがわからなくもない愛花は共感すると共に、その中に自分がカテゴライズされたことに対して不満を持った。慌てて否定の文言を言う。

「そ、そんなことないよ!少なくとも私は、松風君の性格も、悩みも、全部受け止める!全部含めて好きなんだよ・・・。」

自分の言っていることが途中で恥ずかしくなり、愛花は思わず顔を隠した。

「今更彼女ヅラ?松風はずかずか踏み込んでくる桃川のことをだんだん重りに感じてたと思うよ。」

愛花の気持ちを汲むことなく未凪はさらに追い討ちをかける。

不意に思い出したのは全てのはじまりの同窓会。あの時も、愛花は同じような詰められ方をした。

そして、10年後には未凪がこの世にいないことも。

「・・・そ、それはさ。」

「松風を傷つける奴は好きじゃないな。」

愛花の言い訳を聞くことなく未凪は言いたいことを口に出す。

「松風君は出来るだけ傷つけたくないよ・・・。そんなの私だって思ってる。でも、どうしても譲れないものを守るためには多少のリスクを背負ってしまう。」

涙声で話す愛花。未凪になら今まで誰にも言えなかった心の内をさらけ出せるような気がした。

「それって自分勝手なんじゃないの?」

冷めた視線の未凪。それでも愛花は続ける。

「私は・・・10年後も、松風君と一緒にいたいよ。私は、松風君が好きだから・・・。今動かないと、その未来は絶対に叶えられないの。」

悔しさが滲む瞳で愛花は未凪に決意を打ち明けた。

その表情に未凪は驚く。愛花が周りの女子とは違うことを感じ取ったのかもしれない。

「・・・あっそ。」

未凪はそっぽを向く。次に感情が溢れてやまないのは愛花の方だった。

「私は行動する。未凪くんに止められても。」

愛花は立ち上がって未凪の前に向かった。

さっきまでの自分を叱りたい。ここで諦めてはいけない理由がたくさんある。

松風の気持ちが自分に向いてなくてもいい。そんなことは関係ない。

愛花が動く理由は、松風を助けたいから。

松風の抱えている闇を晴らしたいから。

お節介でも、鬱陶しくても関係ない。

記憶に蘇るのは、未凪の死ぬ前の音声。

初めて行った過去から帰ってきて、スマホに残っていたあの必死な音声。

愛花はおおきく息を吸って、胸に手を当てて、足を踏ん張って、そして言った。

「だって、これは未凪くんの願いでもあるから!」

薄暗い部屋に蔓延する沈黙。

普段は表情があまり変わらない未凪が唖然としていた。

「・・・え、なんで。」

「いや、ごめん。これは違うの!」

未凪の言葉を聞くことなく愛花は慌てて否定する。冷や汗が垂れてきて、無駄に動きが俊敏になった。

そんな慌てる愛花とは違い未凪は一呼吸置いて話す。

「そうなんだよ・・・。俺はただ嫉妬してた。松風が何か抱えてるのは俺だってわかる。でも、何も聞かなかった。聞けなかった。松風は俺の恩人なのに。」

曇った表情の未凪は下唇を噛み締める。

その姿を見て愛花の胸はきゅっとしまった。

そして、未凪の隣に座る。

「未凪くんは、松風君のそばにいてね。絶対に離さないで。私にはもうその資格がない。未凪くんにしかできないことだよ?」

愛花の目には、もう迷いはなかった。

「桃川・・・ごめん。あと、ありがとう。松風を・・・救ってくれ。」


「おーい、由莉奈!」

「ん?」

「愛花見なかったー?」

「おねーちゃん?うーん見てないな。クラスメイトに聞いた方がいいでしょ。」

「たしかにな。」

舟木は現在、校内を小走りに回っていた。

先ほどから、愛花の姿が見当たらないからだ。

舟木が教室で作業をしている時、愛花は確か舞台の照明班として、体育館に行ったはず。ところが体育館に向かうとそこに愛花はいなく、熱心にリハーサルを行う陸治たちの姿があるだけだった。陸治は忙しそうだったので、今出番のなさそうな照明班のクラスメイトに話を聞くも、生返事しか帰ってこなかった。

そして、舟木が校舎外に向かおうとした時、下駄箱に怪しい人物がいた。

細身の女子は、顔を覆って肩を少し揺らしている。

舟木はその人物が茅野だとすぐにわかった。

「茅野?大丈夫か?」

顔を覗き込むも、茅野はまた別の方向を向く。

「な、何でもない!どっかいけ!」

顔を隠しながら白い腕を伸ばし、舟木の胸に一発ぶつける茅野。

「お、おい。何だよ。」

「桃川さんのところに行きなよ。」

その名前を聞いて、舟木の体は無意識に反応した。

「茅野?お前、なんかしてないよな。」

目を細める舟木。茅野はやっと舟木の方を向き、腫れた瞼で睨みつけた。

「なんもしてないわよ。」

全体的に赤いその顔は見るからに泣き跡だった。

「何で泣いてたんだよ。」

「泣いてないし。」

「その顔でそれを言うのは無理あると思うけど?」

「うるさい。デリカーのない男はモテないわよ。」

「これでも俺はモテるんだよ。」

「・・・ムカつく。」

茅野は瞼の下を擦ってその場から去っていった。


「夜留のやつおっそいなぁー。」

松風は自分の教室で、未凪が来るのを待っていた。

時刻は18時45分。最終下校時刻が迫ってきていて、あたりもかなり暗くなってきている。そんな時だった。

このフロアの廊下を走る一人の生徒が松風の遠くの視界を横切る。

舟木は松風の教室の前を颯爽と通った。

愛花がいないかどうかを確認するために松風の教室をちらりと見て。

その一瞬のタイミングで二人の目は完全に合った。

舟木はすぐに視界を前に戻して、次の教室に走る。

「舟木君!」

舟木の後ろから声がかかった。たった今通り過ぎたはずの教室からだ。

少し不満げな表情で舟木は振り返る。

「何してんだ?」

「何が?」

「何がって、誰か探してそうな雰囲気だけど。」

「お前には関係ないだろうが。」

二人が会話をするのは実に夏休みのビーチ以来だった。

いまだに二人の間には険悪なムードが漂っている。というか、ほぼ一方的なものだけれど。

「そんなに必死でどうしたよ。」

「お前に言う話じゃない。」

「でも舟木君が必死になることなんて一つしか思い当たらないんだけど。」

真剣な表情の松風に舟木は舌打ちをする。

そして髪をむしゃくしゃしながら呟く。

「愛花が行方不明だ。」

松風は少しだけ驚き、唾を飲み込んだ。

「・・・急いで探そう。」

松風は舟木に近づいてくる。

「いいよ。俺が探すから。」

「人手が大いに越したことはないでしょ。」

「親の仇と協力なんてしてお前はいいのかよ。」

「それとこれとは話が別。」

二人は二手に分かれて校舎内を走り始めた。


時刻は19時ぴったり。校内に最終下校の放送が鳴りだした時だった。

随分と暗くなったこの場所に月明かりが一気に差し込んだ。

ガラガラと音を立てた扉の向こう側に立っていたのは、舟木だった。

「愛花!」

「伸吾!」

舟木は急いで、座っていた愛花の肩を掴む。

「何してんだばか!」

愛花はがっしりとした舟木の体に包まれた。

筋肉質な体つきと体温をモロに感じる。

舟木は5秒ほど愛花を抱きしめた後に、隣にいる男の存在に気づいた。

「ん?」

「そーいうのは後でにしてくれ。」

未凪は舟木に冷たい視線を送った。ついでにされるがままの愛花にも。

そして、愛花は扉の前にもう一人の男が遅れてきたところを目撃する。

その人物に愛花は思わず目を見開く。

すぐに舟木の抱擁を解いて、後ずさる愛花。

愛花の目はただ一人、松風に釘付けだった。

「松風君・・・。」

なぜか、松風の表情はこの場にいる誰よりも切なかった。


それから日は過ぎ、文化祭前日。

愛花はゆっくりと深呼吸をして、気を引き締めた。

気持ちはもう変わらない。

必ず、松風を助ける。

もう揺らぐことはない。


明日から、全ての決着をつける二日間の文化祭が始まる。


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