第三章 謎④

日差しが差し込み、冷房が包み込むこの教室で二つの視線が交錯した。

一方の視線には驚きと少しの歓喜、そして希望が含まれていた。

もう一方は苦虫を潰したような表情をしている。

「お!松風も?」

松風の目線は橋村へと横流しされた。

「おお。まあな。」

「こっちおいでよ!」

「、、、うん。」

事情を知らない橋村がこちらへ松風を誘導する。

松風は一度立ち止まったものの、断る理由も思いつかず橋村と愛花のいる方へ足をすすめた。そのまま橋村の隣の席に座る。

愛花と松風は橋村を挟んだ位置にポジショニングされた。

リュックからペンケースを出した松風はふと愛花の方を向く。二人の視線がまたもや衝突する。

愛花はそこでやっと自分が松風から目を離せられていないことに気がついた。

「あの、松風君。」

これまで何度も発してきたその呼びかけは届かなかった。席を一つ挟んでいることと、教室の扉がまた開いたことが原因だ。

「お前ら、夏休みなのに俺を学校に来させるんじゃないよ。」

寝癖を整えることを知らない張間は開口一番に負の方面の発言をしながら入室してきた。もはや恒例行事になっている。

「いや、私たちだって来なくていいなら来ないよ!」

「うるせーなあ。」

夏休みなのに生徒との会話のキャッチボールの質は変わらない。

いつもの会話劇に多少の安心感を覚えていると教室の扉がまた開いた。

「って、別に尚ちゃん補修なくても教師なんだから学校には夏休み関係なく結構行くでしょー。」

「伸吾!?」

聞き慣れた軽い声に愛花は思わず反応してしまう。

「おっす。」

舟木は笑顔でこちらに手を振ってくる。

松風と愛花の距離をしっかり視認してから舟木は堂々と教室の後ろへ歩いていった。愛花の後ろの壁に寄りかかる。

「伸吾も補修なの?」

「ばーか。んなわけねえだろ。俺は尚ちゃんの助手。」

「はいそこつべこべ言わない。補習始めるぞ。」


張間の補習は驚くほど頭に入らなかった。視界の右側に入ってくる松風と後ろから感じる舟木の視線に気を取られているからだろう。

張間から発せられる言葉はただの言葉の羅列にしか聞こえず、意味を頭の中で理解することができなかった。

板書も一応しているが手を動かすだけで、何も噛み砕いていない。

おかげで補習はあっという間に終わった。


「松風君!」

補修が終わり、愛花は松風を下駄箱で呼び止めた。

愛花の声を聞くと、松風は動きが止まる。

このチャンスを逃すわけにはいかない。

「、、、。」

鼓動を抑え、また松風の心に入ろうと試みる。

「あのさ、この前のこと。」

「もういいって。」

愛花のしつこいくらいの執念は食い気味にねじ伏せられた。

松風はこちらを向かない。悲哀と怒りに満ちた松風の背中を愛花はただひたすらに見つめていた。

「もう、やめて。」

か細い声で松風はその場に膝をつく。背中が揺れ、顔を腕で覆う。

愛花は一度胸に手を当て、意味を深く吸った。

「じゃあ訊かせてよ。松風君。」

「、、、何を?」

今にも消えそうな声は愛花の胸を抉った。大きなお節介かもしれなくとも松風を救いたい気持ちに愛花の心は突き動かされていた。

「なんで、体育祭の時に私にお母さんのことを話してくれたの?」

その言葉を聞くと愛花の背中の震えが止まった。丸まった背中が少し伸び、潤んだ瞳がゆっくりとこちらを向いた。

今の松風は完全に心を閉ざしている。

愛花は思っていた疑問が溢れだしていた。

「話して苦しくなることを、なんであの時打ち明けてくれたの?」

一度口から出たら、そこからは抑えられない。

涙と共に、言葉が雪崩れこむ。

「本当は、助けを求めてるんじゃないの?」

愛花は最後の最後に、一番伝えたいことを言った。

「私は」

伸吾が下駄箱に到着したのもその時だ。

「松風君が好きです。」

ずっと言いたかった言葉。

「大好きです!」

響き渡ったその告白は二人の男の耳にしっかりと届いた。

舟木は自分の身を小影にかくした。

松風は驚いて顔をあげ、答えた。

「少し、時間をください。」

そう言って彼はその場から去っていった。


「なーにやってんだ。」

「伸吾、、、。聞いてたの?」

「いや?なんのこと。今来たんだけど。」

「ふーん。」

「困ってんなら言えよ。」

「でも、これは私が解決しなくちゃ。」

「しゃーねーなあ。」

「ん?今なんか言った?」

「なんでもねーよ。」


翌日、張間の補修が終わると松風はまた引き止められた。

次は舟木に。

「あれ?松風ー!奇遇だね!」

補修雨が終わるとすぐに駆け出し、先回りをした舟木はわざとらしく松風に挨拶をする。額には汗がびっしょりだった。

「ふ、舟木?何?」

「いやーなんていうかさ、せっかくの夏休みなのに勉強ばっかでつまんなくね?」

気さくな笑顔を浮かべながら舟木は松風の肩をくむ。露骨な距離の詰め方に松風はかなり困惑ぎみだ。

「お、おう、、、。」

「それでさー俺は考えた!」

「、、、何を?」

喋り方が対照的な二人の会話はかなり一方的なものになっていた。

そして、舟木はなぜか誇らしげに宣言をする。

「一緒に海に行こう!」

「なんでだよ。」

「ツッコミはえーって。」

舟木が松風のおでこをポンと叩いた。

「なんで俺が舟木と二人で海なんか行かなくちゃならないんだよ。」

「二人な訳ねーだろ。俺だって二人は嫌だわ!」

「まさか。」

松風は目を細めた。

「うん。そのまさかだね!」

舟木の口角がニヤリと上がった。

「愛花といこーぜ!」

親指を立てた舟木はそこでやっと松風の拘束を解いた。

「それは、、、。」

「妹の由莉奈とかも誘うからさ!な!」

色々と急すぎる展開に松風が反応を探していると、さらに事態を加速させる人物がその場に訪れた。

「伸吾?」

家に帰ろうとしていた愛花と鉢合わせしたのだ。

愛花は今日はもう一つの補修もあったので松風を呼び止めるのは無理だと諦めていた。思わぬ展開に愛花も松風も驚きを隠せない。

「お!いいところに。」

「桃川、、、。」

松風の表情は未だ晴れない。

「松風、、、君?」

「今な、みんなで海いこーぜっていう話をしてたんだよ!」

「う、海!?」

「そそ。あ、お前に拒否権はないからな。」

「私は全然いいけど、、、。」

ほんの数秒で松風を蚊帳の外にして二人は会話を始めてしまった。

「まあ、急だと思うし、松風も返事は明日とかでいいから」

「いく。」

松風から聞こえてきた言葉に二人は一瞬言葉を失う。

二人の反応はツーテンポぐらい遅れてからだった。

「え?」

「まじ!?」

松風は久しぶりに愛花の目をまっすぐ見つめた。

「桃川。そこで、話させて。」

「は、はい。」

愛花の反応を聞いてから松風は舟木の方を向く。

「あと、舟木にも話あるから。」

「うん?俺に?」

「じゃあ。」

そう言って彼はまた足速に帰るのだった。

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