第三章 謎③
朝起きて、最初に漏れたのはため息だった。
こんなにも起き上がることにエネルギーを使ったのは初めてだ。もしかしたら、全てが夢だったのかもしれない。いや、昨日起きたことは夢であった方がよかった。そんなことを思いながら眠ったのが良くなかったのか。
軽い悪夢を見た気がする。
ふと、時計を見ると16時を指していた。またもや大きなため息がこぼれ落ちる。
夏休み初日。最悪なスタートを切った愛花が取った最初の行動は、二度寝だった。
次に愛花が目を覚ましたのは18時。呆れた顔をした由莉奈が寝起きの視界に入る。
「いや、寝過ぎでしょ。」
どうやら丁寧にも起こしてくれたようだ。
「うるさい。」
ガサガサの覇気のない声の返事と共に愛花はまた瞼を閉じた。
「ってまだ寝る気なの!?」
妹の声を無視し愛花はまた眠りにつこうとしたが生憎、睡魔は既にどこかへ飛んでいってしまった。それもそのはずだ。愛花は既に16時間ほど寝ているのだから。
大きな伸びをかました後、愛花はベッドから起き上がった。
「んーおはよう。」
「こんばんは。」
由莉奈は愛花が起きたのをしっかりと見届けてから部屋を出ていく。
これだけ寝たにもかかわらず、疲れがとれた気が全くしない。いつもの習慣で部屋のカーテンを開けると、外の世界はオレンジ色に染められており寝起きの目にはそれがとても優しかった。
リビングに向かうと由莉奈が複雑な表情で愛花を見つめていた。
愛花は最初それが夜に起床したことに対して送られているものだと思ったが実際は違った。食事を囲む机の上に置いてあるのは一通の封筒。
それは愛花宛だった。差出人は張間尚志と書かれている。
中身に入っている一枚の紙には「補修のお知らせ」と印刷されていた。
日時と場所の教室もしっかり記されている。
そして愛花が対象になった教科は二科目。どちらも最終日の教科だった。
「おねーちゃんってそんな馬鹿だったっけ?」
「うーん。ちょっと調子悪かったんだよねー。」
「そっか。まあ、最近たまにおかしいときあるから納得かも。」
「いやそれで納得しないで。」
由莉奈は愛花の懇願を片耳に入れながら、机に置いてあった菓子パンを頬張る。菓子パンをもぐもぐしている由莉奈はなんだかとても子供っぽく感じた。
というか、まあ高校生なんてのはアラフォーからしたら十分子供だ。
ふと愛花の頭に彼の顔が浮かぶ。
たわいもない会話の最中でも愛花の頭から松風は消えてくれない。
でも、もう彼との関係は終わったのだ。愛花の計画は何から何まで失敗した。
夏休み中にも答案返却日という登校日はあるが、同じクラスでもない松風と話すきっかけを作るのはなかなか難しそうだ。
自然に溢れ出るため息に耳は慣れてしまった。
答案返却日は愛花が高校生に戻ってから五日後のことだった。
返却される前に補修のお知らせが来ているから最終日の教科の点数が赤点だったのは確定している。悪いと確定している結果を知りたい人間はいない。
松風とのことも相まって愛花はなかなか登校に気が乗らなかった。
冷房の効いた教室に入ると、汗ばんだ肌が一気に冷え体温が下がっていくのを感じる。
「おはよ。愛花。テストどーだったー?」
席にバックを置くと、左後ろからまだ眠そうな顔の舟木が声をかけてきた。
頬杖をつき、ニヤリと余裕の笑みを浮かべている。
「おはよ。伸吾。」
予想していた反応が返ってこなかったのか舟木は少しつまんなそうにする。
「なんだよ。元気ないじゃん。あ!もしかして補修のお知らせでもきちゃった?」
「はあ、なんでわかるかなぁ。」
「え!マジかよ。めずらし。」
「うるさい。どーせ伸吾はこんなテスト楽勝なんでしょ。」
「まあな。」
「その自信がムカつく。」
「それはそうとさ、松風とはどう?仲直りできた?」
舟木は真剣な顔つきになって身を乗り出した。どうやら彼にとってはこちらが本題だったらしい。
「それ聞きます、、、、、?」
舟木はその反応を見て一瞬でまだうまくいっていないのだと悟った。
一度下を向いたのち、もう一度顔をあげ愛花の肩にぽんと手を置く。
「仲直りしてこいよ。松風みたいな優良物件ないぞ?」
「いや、でも。」
「なんでも否定から入るなよ。まあもし松風にふられても、俺が貰ってやるから安心しろよ!」
クラスメイト全員に聞こえるほどのボリュームで舟木は親指を立てて愛花を励ました。
返ってきた答案は見事に愛花の予想通りとなった。
愛花が過去に戻る前の四日間のテストはかなり出来が良く100点近いものもある。それに比べ、最終日のに教科のみが赤点。中の人が変わったことが如実に分かるようになってしまった。教室の隅で一人、愛花はまたため息を吐く。
答案返却後は修了式が行われた。全校生徒が集結すると流石に体育館はもわっとしていて暑い。
ながったるい学校長の話を聞いている最中に愛花は松風の姿を探したが生憎見つからなかった。
終業式がおわり、教室に戻ると校長の話とは比べ物にならない短さの張間のあいさつが行われ、一学期が完全に終了した。
「おい、桃川。ちょっと待て。」
橋村に別れの挨拶を告げているところで、愛花は張間に呼び止められた。
ボサボサの髪をかきながら、張間は愛花に手をこまねく。
愛花は純粋な疑問と共に張間の方へと向かった。
「なんですか?」
「お前、なんで最終日だけあんなボロボロだったの?」
よくよく考えれば張間がわざわざ呼び立てる用事といえばそれしか無かった。
「へ?あ、あのー、なんていうかテスト中に寝てしまって。」
頭の中に真っ先に浮かんだ苦し紛れの言い訳を愛花はそのまま使う。
「ん?ほんとか?」
頸を触りながら目を合わせない愛花の様子は明らかに不自然だった。今までたくさんの生徒を見てきた張間からしたらそんなものはすぐにわかる。
「はい、、、、。」
さらに萎縮する愛花を見て張間は嘘を確信したが、特にそれ以上つめ用ことはなかった。そんなことは前置きだったからだ。
「ったく。今度からは気をつけろよ。それだけ、、、、ってわけでもない。」
「ん?何か他に聞きたいことでも?」
立場は逆転した。
「伸吾なんだけど。最近も変わりないよな?」
数秒の静寂が訪れる。張間が発した乾いた言葉が愛花の頭の中を回った。
「え?まあ、はい。っていうかいつも会ってるわけだし見れば分かると思いますが、、、。なんでわざわざ私に?」
「いやー、まあなんとなく。会社の方も順調そうだよな?」
さらに予想外の質問が投げかけられ、困惑は増す。
「私に訊かれましても、、、。」
「そうだな。すまん。」
「いえ、全然。補修、よろしくお願いします。」
「ああ、うん。じゃあ、体調管理気をつけろよ。」
「はい。」
教室から出て、愛花は下駄箱に向かう。
張間から投げかけられた質問の真意を模索していると、目の前に懐かしい人物が立っていた。下駄箱に寄りかかっている。
折れそうなほど細い脚、綺麗に巻かれた髪は健在だ。
「茅野さん、、、。」
茅野の表情は険しい。まあ、いつも通りか。
「待ち伏せ、、、してたの?」
彼女と話していると自然と語気が強まってしまう。
愛花は気をつけて話すスピードを下げた。
「あんたは何もわかってない。」
「、、、、え?」
今日は人に困惑させられることが多い。
「せいぜい頑張って。」
茅野はその捨て台詞を吐き、颯爽とその場から消えていった。
夏休みが始まって一週間がたった。
なのになぜ愛花がわざわざ制服を着て登校しているのかというと、今日から補修が始まるからだ。
憂鬱な気分で指定された教室に入ると、そこには7人ほどの生徒が座っていた。
窓際で一人外の景色を見ている者もいれば、友達と集まってトランプをしている女子もいる。
いかにも、寄せ集めという感じだった。愛花は知り合いがいなかったので、人のいない一番後ろの端の席にひっそりとポジショニングする。
とりあえずテキストを開き、ざっくり眺めていると教室の扉が開いた。
「あ!愛花!よかったー友達がいて。」
「橋村さん!」
橋村は手を振りながら愛花の隣の席へ座る。
友達がこの場に一人いるだけで、かなりの安心感ができた。
愛花が安堵していると、もう一度扉が開く。
そこに現れた人物に愛花は驚きを隠せなかった。
「松風くん、、、。」
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