第三章 謎②

現代に帰ってからの15日間で陸治からの新たな情報の連絡はなかった。

死体が埋められたのは愛花たちが高校三年生に上がる春休み。つまり、松風が失踪した後だということ。松風と白骨遺体との関係性の有無は未だ掴めていない。

それでも、愛花は松風の失踪に全ての謎が詰まっているような気がしていた。


制服に着替え、愛花はまた15日間の高校生活をスタートさせる。

そして、今日は期末テスト最終日だ。今日が終われば、明日からは夏休み。

以前なら喜んでいたかもしれない。しかし、今の二人の間にはかなり分厚い距離がある。長期休暇に入ってしまうともうその距離は開いていく一方だと愛花は確信していた。さらに、今の愛花にはタイムリミットがある。

夏休み半ばにある一大行事、松風の誕生日。今のまま時を過ごせば、誕生日に別れを切り出されると日記には書いてあった。

そしてその未来になる理由は愛花が松風の秘密を知ってしまったからだと思う。

朝起きて日記を見て、体育祭以降関係は修復できていないことも確認済みだ。

意識が戻ったら急に松風と距離ができていることにかなりショックだっただろう。すまん、過去の自分。

今日1日で、ひとまず何かして松風との距離を少しでも縮めなければいけない。


通学路の景色はいつもと一味違う。昨日のバラエティ番組の感想を言い合う男子や、前髪の決まり具合を確認する女子はいない。生徒たちは参考書を開き、時折前の通路を気にしながら歩く。赤シートでの一問一答や数学の計算式の解説をじっくり見ている者もいる。この光景を二宮金次郎が見たらかなり誇らしいだろう。

15日おきにしか登校しないので忘れがちなのだがここ、私立久実高校はかなりの進学校なのだ。学生時代の愛花もとても勉強には力を入れていた記憶がある。

記憶を掘り起こしていると背中から、バコンと衝撃を与えられる。

一瞬の柔らかい痛みはすぐに消え、それがスクールバッグによって与えられたものだとわかった。

「おっはー!愛花。」

橋村はスクールバッグを肩にかけ直し、朝から陽気な笑顔を向けてくる。

「おはよう!橋村さん!」

「今日でおしまいだねー。いやー長かったよ。このテスト期間は。」

「あ、そうだね。」

全くテストモードに慣れていない愛花は一拍遅れて鈍い返事を返した。

楽しい行事を終えたら都合よく現代に帰り、地獄のテスト期間を丸々すり抜けたことに若干の罪悪感を覚える。

「うん?昨日あんま寝てない感じ?私なんてテキスト教室のロッカーに忘れちゃったからほぼ勉強してないよー。あはは。」

「私も全然してないよー。もう一緒に赤点取るしかない!」

二人はその後もテスト前の固定化された会話劇を延々に繰り広げながら高校に到着する。

教室に向かうまでに松風と一会話したかったが、まだ登校していないようだったのでそれは放課後に繰り越された。


結論から言うと、テストは散々な結果となった。いや、まだ答案が返ってきているわけではないのだが手応えからして赤点かギリギリのラインだろう。現代で参考書をざっくり読んだことによって得た諸刃の剣はまったく役に立たず、10年前の錆び付いた知識をなんとか掘り起こして解答欄を埋めた。

夏休み前半にある答案返却日で過去の自分が最終日の科目の結果を見て驚かないことを祈るばかりだ。

周りのクラスメイトはテストから解放された喜びで明らかに表情が明るくなっている。これから始まる夏休みの予定を埋め出すのだろう。

しかし、愛花にとってはここからが本番だった。

愛花のクラスの終礼の方が早く終わり、未だ終礼中の松風のクラスの前で彼を待ち伏せをすることに成功する。張間による最低限のあいさつにただただ感謝した。

椅子を引く音が一斉に聞こえ、その数秒後に教室の中から続々と人が出てくる。

愛花は松風を見逃さないように目を凝らした。最近覚えた顔も、学生時代から覚えている懐かしい顔も、初見の顔もいる。

そんな中、松風は未凪と共に姿を表した。楽しそうに話をしている。

すぐさま愛花は松風の前に両手を広げ立ちはだかり、足を止めさせる。

「桃川?」

未凪から愛花に視線が移ると同時に松風から笑顔が消えた。その後、困惑が目に宿った。

「どした?」

松風は目の前でフリーズした愛花に目線の高さを合わせる。ただ、これは松風の元からある優しさであって恋人への対応というわけではない。

現に、今までほど物理的距離が近くない。

「あの、、さ、今日一緒に帰らない?」

恐る恐る勇気を振り絞って出した愛花の言葉はまたもや松風を困らせた。さらに隣で松風を見上げる未凪も首を少し傾げる。

この場にいる3人がそれぞれ口に出す言葉を探していた。

目線のみが活発に動き、現場には気まずい雰囲気が徐々に現れる。

「えーと、でも今日夜留と帰ろうと」

松風は申し訳なさそうに返答する。そこには微かな拒絶も感じられた。

しかし、愛花も後には引けない。今日を逃せば、次はない。

どうすれば松風と一緒に帰れるか愛花が熟考していると別の人物が声を出した。

「俺、帰りに本屋寄りたいから、いいよ。」

未凪はそう言ったのち、松風を手繰り寄せて耳打ちをした。2人は愛花には背を向ける。

予想外のアシストに愛花は少し驚いた。そして、しっかり感謝した。

「最近の松風、変だよ。」

「そ、そう?」

「なんかキモい。」

「き、キモい!?」

「彼女としっかり仲直りしてきて。」

「別に、喧嘩してるわけじゃ。」

「じゃあ一学期最終日ぐらい彼女と帰ってあげて。俺とはどうせ夏休み中も会える。」

「いや、でも。」

愛花はたまにこちらに視線を向けてくる2人をじっと見つめていた。

「でもじゃない。わかった?」

「ま、まあ、、、。わかったよ。」

約1分話し合った後、松風は愛花の方へ振り向いた。久しぶりに目が合い、少しそらしそうになってしまう。

後ろの未凪は松風に軽く手を振って一足先に出口へ向かった。

「じゃあ、帰ろっか。」

「う、うん!」

もしかしたら、さらに状況を悪化させるかもしれない。もう会えなくなるかもしれない。それでも、今日動かなければ一生後悔する。


「テストは?どうだった?」

「まあまあかな。松風君は?」

「まあまあかな。」

いつもどうやって話してたっけ。話題が出てはすぐに途切れる松風との下校はなかなかぎこちなかった。隣で歩いているのにとても遠くに感じる。

オレンジ色の夕焼けが、2人を飲み込もうとしている。外で無邪気遊ぶ子供たちの声が2人の耳に入ってくる。カラスの鳴き声が無機質に街を色づける。

揃わない歩幅は、愛花を急かしていた。

「あのさ、体育祭の時」

「悠一?」

やっとの思いで絞り出した声は、後ろから聞こえた温かい声に隠された。松風はその声を聞くと瞬時に後ろを振り向く。

2人の後ろにいたのは総白髪のお婆さん。ビニール袋が積まれたシルバーカーに手を添えながら優しく微笑んでいる。みるからに穏やかで温厚そうな人だ。

「えーと。」

松風は愛花とその老婆を交互に見ては、おさまりが悪い顔をしていた。そして少し頭を掻きむしった後、松風は口を開く。

「俺のばあちゃん。今一緒に住んでる。」

松風の祖母は軽く会釈をした。愛花も慌てて足を揃え、深いお辞儀をする。

「あ!えーと私は、、、。」

前髪を手でときながら、愛花は言葉に詰まる。

「ばあちゃん。桃川。俺の、、、彼女。」

松風はそう言って愛花の方へ手を向ける。松風の口から出たその言葉が何より嬉しかった。

「まあ!」

松風の祖母は嬉しそうに目を見開き、口を手で覆った。

「どーもぉ。悠一の祖母の鶴子です。」

鶴子さんはまたお辞儀をする。

「持つよ。重いでしょ?」

「あーありがとね。」

松風は鶴子さんが運んでいた歪に膨らんだレジ袋を持ち上げた。少し照れくさそうにしている。初めてみる松風の姿に愛花は新鮮味を感じた。

そんな中鶴子さんは何かをひらめいた。

「そうだ!彼女さん、晩御飯食べて行かない?」

「は!?」

鶴子さんの提案に松風は間髪を入れずに反応する。

「いや、いやいやそんな急に言われても無理でしょ!」

松風は持っているビニール袋を上下させて困惑した。その姿を見て鶴子さんは不思議な顔をする。

当然鶴子さんは今、二人がギクシャクしていることを知らない。

愛花にとってはそれがかえって好都合だった。この機を逃すわけには行かない。

「ぜひ!迷惑じゃなければ。」

愛花は前のめりになり、鶴子さんの両手を握った。鶴子さんはうふふとまた微笑む。

「え?」

当事者であるのに取り残された松風はただ一人開いた口が塞がらない。

「迷惑なわけないよぉ。みんなで食べた方が美味しいに決まってる。」

「ありがとうございます!」

「桃川、本当にいいの?親御さん、もう作ってるんじゃない?」

「連絡入れれば大丈夫。」

「、、、、はあ。わかった。」


鍋で茹でられているカニはだんだんと赤く染まっていく。周りに入れられている野菜はぐつぐつと流動的に動く。

古風な和室の中心で銀色の鍋が囲まれていた。

「うーん!美味しいです!」

口の中でほろっと溶け出すカニは濃厚で甘い。カニの出汁が染み込んだ野菜も深みが増していていつも家で食べるものの数倍は美味しく感じた。

「うん。うまい。」

「よかったわぁー。」

松風の家はかなり年季の入った平家だった。基本的は和室ベースで縁側まである。二人暮らしならかなりスペースが余るだろう。

そして、入ってすぐの暗い部屋に綺麗な女性の写真が飾られているのを愛花は目撃してしまった。その背後には仏壇。

愛花は奥のリビングに通され、現在に至る。

畳の匂いが香る一部屋で3人は時折会話をかわしながら蟹の鍋を味わう。

湯気を挟んで見える松風の顔は、どこか元気がなさそうだった。

「ちょっとトイレ。」

鍋を半分ほど食べおえたところで松風が席を立つ。

愛花は少し深呼吸をしてから上品に鍋を食す鶴子さんに聞いた。

「あの、松風君の、お母さんって、、、、、。」

その言葉を聞いた瞬間、穏やかだった表情が少しこわばった気がした。その表情の変化がなんとく松風に似ている。

鶴子さんは汁をゆっくり飲んだ後に話を始めた。

「ああ、一年前にね、ぽっくり逝っちゃったんだよ。」

鶴子さんはこちらを見ない。

愛花は覚悟を決め、さらに踏み込む。

「あの、、、なんでなのか、聞いちゃダメですか。」

鶴子さんの箸を置く音が静かな部屋を包んだ。

「あんまり気持ちのいい話じゃないよ。」

「私は松風君のことが知りたいんです、、、、、、、。何があったのか。」

気づけば愛花も食事を中断していた。しわのある下唇を軽く噛んだ後、鶴子さんは声を出した。

「私はあいつを許さない。悠一から母親を奪ったあいつを。」

その声は低く、重かった。

先ほどから一変した空気の中、愛花はさらに詰める。

「それって誰」

「何してんだよ。」

愛花が身を乗り出したところで背後から過去一冷たい声が聞こえた。

鬼のような形相で佇む松風。

「ま、松風君、、、。」

「悠一。あんたの母親の話を」

「なんなんだよ。」

拳を握り、肩を震わす松風。彼はまた今まで見たことのない顔をする。

「松風君、ごめん。」

「帰れよ。」

「ちが」

「俺たち別れよう。」

愛花の行動は大失敗に終わった。

タイムリミットを縮小させて、自ら関係を遠のかせた。

松風との関係は、終わった。

愛花の心なんて知るはずもなく、夏休みがやってくる。


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