第二章 体育祭②

愛花は自分の座席に座り、黄色の布に書かれた文字を何度も読み直していた。

そこに書かれた二つのメッセージは恋人からのものと親友からのもの。

もとい、文化祭で失踪した恋人からのものとと文化祭で大火傷した親友からのもの。

二人とも愛花にとって大切でかけがえのない存在だ。

「桃川!俺のはちまきにも書いてくれね?」

自分一人の世界に足を踏み入れてきたのは陸治だ。

なかなか存在感がある陸治が近づいてきても気づかないとは相当このはちまきに見惚れてたのだなと愛花は思った。

現在は三限目終わりの休み時間。皆が後一時間耐えれば昼休憩だと心を落ちつかせている時間帯である。

ここはどこかのクラブかと思うほどに教室は騒がしく若さで溢れている。愛花はうるさい高校生を見てそんな体力があるのも今のうちだぞと心の中で警告したところだ。

そこから離れ、身を潜めていたはずの自分に話しかけてきたのが騒音の中心に位置していた陸治だったのが愛花はとても意外に感じていた。

人違いではないかと一瞬推測してしまったが陸自の突き刺すような目線を見る限り違うようだ。

「え?私?もちろん。私でよければ。」

戸惑い混じりの返事はすぐに教室の声にかき消された。しかし、陸治にはちゃんと届いたようだ。

「よっしゃ!ありがと!」

何一つ濁りのない笑顔でガッツポーズをとる陸治。教室の窓から差す太陽光も相まって汚れ切った愛花の瞳にはその姿がたいそう輝いて見えた。

机の上にどしっと置かれた黄色いはちまきに愛花はメッセージを書く。

気の利いたジョークや励みになる言葉を書ければよかったのだか生憎今の愛花ではテンプレートに毛が生えた言葉しかボキャブラリーがなかった。

「陸治くん!一緒に頑張ろうね!いつもクラスを明るくしてくれてありがとう!絶対勝とう!」

陸治のはちまき全体を見渡すと面積の半分ぐらいがメッセージで埋まっていた。

愛花が書き足す前と後でほぼ見分けがつかなかった。

そしてその人の思いで溢れそうなはちまきと自分のはちまきをまたトレードする。しかし決して自分のはちまきが劣っているとは思わなかった。愛花にとって、松風と橋村のメッセージがあるだけで大満足だ。

愛花は陸治から渡された自分のはちまきを見た。

そこには他二人の2倍ほどの大きさで

「体育祭!絶対優勝すっぞ!!」

とだけ書かれていた。

さすがクラスの中心だなと愛花は圧倒された。そして少しの尊敬の意を表した。

なぜなら愛花は陸治のはちまきの端っこにちょこちょこっと遠慮して書いたからだ。

「あれ?もっとでっかく書いてよかったのに。」

陸治ははちまきを見ながら思ったことをすぐ口に出した。

「あはは。でも陸治君のはちまきにメッセージ書きたい人もいっぱいいると思うよ?」

「まあ確かにそうかもしれないけど。」

他所行きの返事に愛花はまた笑顔で返した。

「桃川ってさ、ずっと受け身だよな。」

その時、愛花の額から一筋の水滴が垂れた。

背中に氷を流されたかのような感覚。

心臓を素手で掴まれたかと錯覚してしまう。

愛花の脳内では先ほどの自分のメッセージと陸治の書いてくれたメッセージが交互に映し出されていた。

そして惰性で生きている自分の姿と成功者になった陸治の姿も。

教室の喧騒は自然と耳に入らなくなる。

この空間にただ一人。

でもこれははちまきに見惚れていた時に作り出した世界とは違う。

狭いようでどこまでも続いている。青白く、肌寒い。

どこから光が差しているのかわからない。

「あ、ごめん!別に深い意味はない!頭に浮かんだことすぐ喋っちゃうだけだから!ほんとすまん!」

陸治は急いで先ほどの言葉を訂正した。

強引に外の世界への扉を開けてくれた陸治のおかげで愛花の筋肉はほぐれた。

「ああ、いやうん。大丈夫。」

愛花は目線を外し、急いで取り繕う。陸治も安心したように胸を撫で下ろした。

「なになに?どーしたの?」

一瞬二人の間に流れた不味い空気はまた別の人物により彩られる。

二人が同時に目を向けたから舟木はどちらに目線を合わせようかと右往左往した。

「いや、俺がちょっと桃川に失礼なこと言っちゃっただけ。」

えへへと陸治はうなじを触る。初めて陸治がうまく笑えていないところを見た気がする。

「はあ?別に愛花には何言っても大丈夫だよ。」

「は?」

陸治の自責の念、愛花の沈黙は簡単に吹き飛ばされた。

舟木の一言でその場の空気はシリアスからコメディに様変わりする。

愛花はもはや自分の条件反射に少し怖くなっていた。

「いや、怒んなってー。可愛い顔が台無しだぞ?」

「またそうやって茶化す。」

おでこをちょんと突いて舟木は覗きこむように笑った。

完全に愛花はこの舟木が10年前の舟木だということを忘れている。

それほどまでに舟木は通常運転だった。

そして愛花の呆れた吐息は届かなかったようだ。なんせ既に愛花のはちまきにペンを走らせているのだから。

「ちょ、勝手に書くな。」

「いや書いて欲しそうにしてたから。」

「してないわ。」

「っよし。これでおっけー。」

「もう!なんで松風君の近くに書くの!しかもちょっと被ってんじゃん!」

「痛い痛い、叩くなって。あはは。ごめんごめん。」

まるで事前にあわせてきたかのような会話劇は陸治を完全に置いてきぼりにしていた。愛花にかまってもらっている舟木はとても楽しそうだ。

晴れて愛花のはちまきには新たに

「アンカーでクラスを一位に導く俺のかっこいい姿をしっかりと目に焼き付けとけよ♡ 伸吾」

というメッセージが仲間入りした。

おちゃらける舟木と不機嫌になる愛花は教室の賑やかさに溶け込む。

「なんか、夫婦漫才見てるみたいだわ!」

陸治が未知の生物を見つけたのかと思うほど真新しそうに笑うと同時に四時間目開始のチャイムが鳴り響いた。


「んー!うま!これ桃川が作ったの?」

「いや、今日は時間なかったからお母さんが作ってくれたの。美味しいでしょ?」

「うん!桃川のお母さん料理上手だね。」

負の感情が一切存在しない会話劇を繰り広げている二人は現在お昼ご飯中だ。

いつも通りだが15日ぶりの松風との食事はやはり幸せなものだった。

しかし、愛花はまだ大事な一歩を踏み出せないでいる。いや、足を踏み出してもその先の足場が崩れるのだ。

「何かあったら相談乗るよ?」

「なんでも言ってね!気兼ねなく!」

「高一の時かあ、私は部活もすぐ辞めちゃってなんもしてなかったなぁ。松風君は何かあった?」

押しに弱いタイプである愛花にとって自分から押しに行く行為はなかなか気合が必要なことであった。それと同時に押し方がわからないのでとにかく全てがぎこちなくなってしまう。

「あはは。大丈夫だよ。桃川に隠してることなんてない。」

愛花の猪突猛進は全てひらりと交わされてしまうのだった。その関係性はさながら闘牛と闘牛士だ。

ただ、目の奥にある黒ずみに気づいてしまった。愛花はぱっちりおめめに定住している光は愛花が押した時にだけ逃げたのを感じる。

生え変わる葉っぱと共に愛花の頑張りは風に飛ばされていった。


小さなため息を吐いているのも束の間、トボトボと自信のなさそうな足跡が二人の元へ迫ってくる。

「悠一、、、次の授業の課題でわからないところがあるんだけど、、、。」

おっとりと丸い印象を受ける声色。話を聞いている松風とは違う意味で愛花は未凪のことをじっと見つめていた。

松風はマイペースな未凪に合わせ、優しく相槌を打つ。

流石に視線が気になり出したのか、未凪は気まずそうにこちらへ目線を流した。

「なに、、、?」

そこで愛花はやっと未凪を見つめてしまっていることに気づいた。

はっと首を動かしたときには二人の視線を集中させてしまっていて、何かを口に出そうと狼狽してしまう。

脳をフル回転させ、話題転換を図ろうとする。しかし、愛花の頭の中には数時間前の記憶が投影された。

「桃川ってさ、いつも受け身だよな。」

何度もこだまし、鳴り響く。

自分の嫌いなところ。直したい部分。

そして次に映し出されたのは現代の未凪。携帯から流れてきた音声。

「未凪君!」

反射的に相手はびくりと肩を揺らした。

驚きと懐疑、そしてわずかな怯えが見てとれる。

愛花は大きく息を吸い、思いの丈を吐き出した。

「はちまきにメッセージを書いてくれませんか!?」

3人の間を肌寒い風が吹き抜ける。

愛花の額には熱い汗がじんわりと浮き出てきた。

熱視線に耐えかねた未凪は助けを求めるように顔を横に向ける。

最初に声を出したのは第三者であり、二人を結びつける唯一の共通点だった。

「え?うん?なんだ。そんなことか、、。あんなにためるから何するのかと思っちゃったよ!夜留、返事は?」

松風は空気を一段階柔らかくしてくれた。

キラキラスマイルに応答するように未凪はこめかみのあたりを触りながら答える。

「うん。まあ、僕でよければ。」

そのそっけない返答には少しの嬉しさが混じっている気がした。

「ありがとう!」

愛花は目一杯の笑顔を浮かべる。それは少し湿った目を誤魔化そうとしていたからかもしれない。

二人に挟まれた未凪もまたすこし表情が明るくなった。

本当に小さく、わずかな一歩。でも、それを積み重ねることで何かが変わるかもしれない。


早速、愛花は残り5分の昼休みを使って松風と未凪のクラスにお邪魔していた。

未凪の座席は松風のうしろ。四六時中松風を眺めることのできる未凪に愛花は少し羨望の眼差しを向ける。

松風より一回り小さい手は愛花のはちまきに筆を走らせていた。

愛花と松風はぎこちない未凪をまるで親のような目線で見守る。

「こんなもんでいい、、、?」

カチッと油性ペンの蓋をしめ、未凪が愛花に聞いてきた。

愛花ははちまきを持ち上げ、目を輝かせる。

「桃川さんのクラスも応援するよ。頑張ろうね。 未凪夜留」

角が柔らかい文字がはちまきの隅に仲間入りした。

絶対に十年後、いやもっともっと先まで大切にしようと愛花は心に決める。

「うん!ありがとうね。」

あははと不器用な笑みを未凪は浮かべた。

それと同時に愛花は十年後にはこの世にいないことを悔しく思う。

拳を握る力が強まったとき、このクラスのリレー走順表が目に入った。

アンカー:松風悠一

その文字をぼーっと眺めていると昼休みは終わりを告げた。


愛花は家に帰り、自分の部屋であるものを引き出しから取り出した。

まだ状態のいい日記帳。

そして勢い任せで文字を書き殴る。現代に戻ってきた時から愛花は決めていたのだ。もし、次のチャンスがあるのなら必ず毎日日記を書こうと。

過去で起こす行動は未来に反映される。

現代に戻っても1日1日を新鮮な記憶で思い出せるように。

「たくさんの友人からはちまきにメッセージを書いてもらった。陸治君や未凪君、橋村さん。この瞬間の貴重さ、重要さ、を改めて感じた。そして自分の弱さも。自分から動かないと未来は変わらない。私がここに、青春に戻った意味を考えて今後も行動していく。」

愛花はここまで前日と比べ物にならないぐらいの濃い筆圧で日記をかきすすめたところでふと思った。

過去の自分の人格がこの日記を見たらどう思うのか。

松風と付き合えて浮かれているとはいえ、もはや別人が書いたと言っていい筆跡が残されていたら流石に不信感を抱くのではないか。

色々思案したのち、愛花は最後に一文つけ足した。

「とか言ってみる、最近闇期かも〜。」


そして、波乱の体育祭当日がやってきた。

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