第二章 異変④
陸治泰昌は少し驚いた様子でこちらに足を進め始めた。口を丸くし手を振ってくる。
沢山の方向へ進む人々を気にせず、真っ直ぐと。
「おー!桃川!」
愛花も軽く会釈をしながら陸治に寄っていく。
巨大電子板から聞こえるアニメ声、パチンコ店から漏れ出す騒音、路上でたむろしている大学生達の会話。沢山の音が鼓膜に響く。2人の会話もまた喧騒の中の一部になろうとしている。
引き寄せられる2人は間約1メートルで止まった。
「陸治くん。ひ、久しぶり。」
「おう!」
白い歯を見せて陸治は笑った。
ネクタイが少し緩んでいる陸治はどうやらお昼休憩らしい。
眉をハの字にしてひょうきんに項垂れた。
「今日も沢山やることあるんだよー。なかなか会社の業務が終わらなくって。参っちゃうよなー。桃川は?なんでここに?」
「私は、えーっと、ちょっと。」
陸治からの純粋な疑問に愛花は言葉を詰まらせた。
多分説明しても理解はしてもらえないだろうししてもらおうとも思っていない。
目が泳ぎ、手が不自然に動く。
愛花が天を仰ぎ10秒が立った。
目の前で陸治は首を傾げ動揺している愛花をじっと見つめている。
こんな時に適当な嘘や誤魔化し方を瞬時に思いつけばいいのにと愛花は思った。
10年近く人との接触を遠ざけていた弊害がここにきて牙を剥いてきた。
口を開いて何かを言おうとするも頭の中で言葉がまとまらずまた、口を閉じてしまう。
流石に待てなくなった陸治は困惑の顔を浮かべたまま優しく会話を作った。
「まあいいよ!話したくないなら。」
「いや、別にそういう訳じゃ。」
咄嗟に出た言葉に愛花はまたもや、やってしまったと思った。
せっかく陸治が出してくれた助け舟を蹴り返したのだ。
「いいって。無理しなくて。あっ!そうだ。昼飯食べた?」
目線を合わせるために少し屈む陸治。
「まだ、だけど。」
どうしても舟木や家族以外の人間と自然体で会話ができない。
高校時代は違ったのに。
人と話すことに緊張してしまう愛花を置いてきぼりに陸治は話を進めた。
「じゃあ行こ!聞きたいことあるんだよねー。」
後頭部に両手を当てながら不敵に笑う陸治。
愛花はそのニヒヒという笑みを見て少し不安になった。しかし自分も松風のことが聞きたいので陸自についていくことにした。
まだ半日しか経っていないのになかなか濃い1日になりそうだ。
愛花は唖然としていた。
口を開いて固まることしかできない。
今日見た中で一番立派な建物は茅野の家だと思っていた愛花は早すぎる記録更新に驚いた。
「な、なんじゃこりゃ、、、?」
現在愛花は、陸治が社長を務める会社【My Topics】の本社に来ている。
ここはいわゆるニュースを扱う会社だ。
世間の話題を専用のライターが執筆しまとめ、専用のアプリで無料で閲覧できる。
しかも、ユーザーが自ら投稿できる機能がありその中でも優秀なものは表彰され、晴れてプロライターとしてもデビューできるというのだ。
アプリは世界中で利用され、【My Tpics】は今や大企業となった。
陸治は見た目の変わりようから同級生達にはこの会社の社長はあのデブと同姓同名の世界的実業家だと思われていたらしい。
そしてその自社ビルに愛花は場違いにも足を踏み入れようとしている。
舟木の会社ほどではないがなかなか高く広く上品な高層ビルが目の前にある。
思わず足が自動ドア前で止まる。
「ん?どした?」
一歩前に出た陸治が立ち止まり後ろを振り返る。
しかし、陸治の場所だとセンサーが反応してしまいウィーンと自動ドアが開いてしまった。
そこから見える光景はまるで高級ホテルのようだった。
中にいる受付嬢や社員が一斉にこちらへ目線を注ぐ。
愛花は自分に向けられているわけではないと分かっていても足がすくんだ。
そして、社員達は各々挨拶をし始める。
陸治は一人一人に愛想よく対応した。
「おー!午後もがんばろう!」
この雰囲気と人間性から社長の器であると一目でわかる。愛花は住む世界が違いすぎると感じざるを得なかった。
そして、気にせず自分の会社内へ入っていく陸治に愛花はいそいそとついていった。
ところどころから向けられる誰だあいつという視線が気になったが。
2人は大きなエレベーターに乗り、最上階へ向かった。
片面がガラス張りでどんどん上昇してくる景色を愛花はまたもや口をあんぐりと開けて見ていた。
空を飛んでいるような感覚に襲われる。
陸治は見慣れているようでスマートフォンと腕時計をチラッと見て仕事の段取りを確認していた。
そして、最上階で扉が開くと目線の先には大きな空間に沢山のオブジェや本、そして中央奥に一つの机が置かれていた。
多分あそこがいつも陸治が座っている席だろう。
壁は全てが窓で住んでいる街の景色を一望できた。
さっきからずっと愛花の目はキラキラして口は塞がらないままだ。
「おーい。そろそろ喋っていい?」
瞬きをせず目が乾いた愛花の視界に陸治が隣から手を振ってきた。
視界の右上からひょっこり陸治の顔が映る。
「あ、、、うん。」
愛花は頬をぽんぽんと叩いてやっと目を潤した。
陸治が無邪気に笑う。
「ふふっ。見かけによらず面白いな!桃川って!」
「ああ、ありがと?」
愛花は反応に困り、眉を小指でなぞる。
「とりあえず座ってよ!何食べたい?」
そう言って陸治は部屋のど真ん中に置かれている長方形の机と革製のソファーに手を向けた。
ここではよく取引先や、広告主との会合が行われているらしい。
2人は机をひとつ挟み、向かい合って座った。
ポジショニング的には茅野の家と同じだ。
茅野の家のソファーは優しく上品な香りがしたが、ここ【My Topics】のソファーは深く、全てを包み込むような感触だった。
愛花がソファーの感触にうっとりしていると、陸治の横にスーツスタイルのスレンダーな女性が来る。
どうやら秘書のようだ。
愛花がボーッとその人に見惚れていると、また陸治が現実に戻してくれた。
「桃川?何食べる?」
陸治の濁りのない瞳は昔と変わってないなと愛花は思った。
「えーと、何があるの?」
「ん?なんでもいいよ。ここに取り寄せるから。」
住んでる世界の違いをここでも見せつけられた。
しかしなんで舟木や陸治はここまで下の人間に驕らず気さくに接してくれるのか。
愛花が2人のような立場だったらとんでもない天狗なっているだろう。
「えーと、じゃあ、陸治くんとおんなじやつで。」
愛想笑いと共に出た言葉に愛花はまた反省した。
こういうのは普通何か具体的なものを提示しなければいけない決まりだ。
夜ご飯何がいい?と聞かれてなんでもいいと答えるのはとてつもない大罪だ。
すぐに言葉を訂正しようしたがそれより先に陸治がラリーを終わらせた。
「あー了解。んーと。じゃあお寿司でいいよね?」
顎に手を当てて陸治は愛花に聞く。
人当たりがいい陸治でよかったと愛花は思う。
「うん。ありがとう。」
陸治は隣の秘書にお寿司の手配を頼んだ。
2人のツーショットは仕事できるオーラが漂っていてなかなか眼福だった。
愛花はまたもや自分へ劣等感を抱いた。
抱く権利もないのだが。
秘書は一礼をしてこの広い空間から退出する。
ハイヒールのコツコツという音が響いた。
このフロアには陸治と愛花の2人しかいない。
「そうそう!それでさ、桃川に聞きたいことなんだけど。」
陸治は両手をパンと合わせる。
この乾いた音もまた行き場をなくしながら響いた。
「うん。」
愛花は生返事をする。
「俺らの母校から出た白骨遺体。」
陸治の瞳に映る自分はなかなかに間抜けなツラをしていた。
広すぎる空間はより一層愛花に返事を急かさせる。
しかし、すでに疲労困憊な脳は悲鳴を上げていた。
喉が渇き、舌が少し動く。
揺れた声帯からは情けない声しか出なかった。
「え?」
最近同じような反応をよくしている気がする。
「わかる?最近ニュースで出たやつ。」
愛花の思考速度では到底追いつかないスピードで陸治はまた話を振った。
愛花は息を深く吸い心臓の鼓動をゆっくりにしてからしっかりと声を出した。
「わかる!私も調べてた。」
真剣な顔つきになる愛花。
その顔には期待と興奮が少し混じっていた。
前傾姿勢になった愛花に陸治は少し驚く。
しかし、すぐに安心したように笑い出した。
空気が緩和したのがわかる。
「それなら話が早いよ。」
愛花はごくりと唾を飲んだ。
「今、俺のアプリでなかなか閲覧数が多いのがこの白骨遺体の記事なんだ。これからのキラーコンテンツになりうる。ミステリー好きとかが調べるんだろうね。そこで同級生や各メディアに何か分かっていること、心当たりのあることを取材して、分かっていることをまとめてる。だから桃川にも聞きたい。」
その陸治の顔は同級生というよりビジネスマンだった。手に力が入るのがわかる。
外から見える青い空が愛花を飲み込もうとしていた。
陸治の目的は利益。それは決して悪いことではない。当然、生きていくために必要だし養っていかなければならない社員も大勢いる。
愛花の原動力は恋心であり探究心であり未凪の無念を晴らすことにある。
大体、松風と関連づけて調査しているとは考えにくい。
愛花は質問を返した。
「陸治くんはどこまで分かってるの?」
その問いかけに陸治は下唇をムゥっと突き出した。
喉の底からの唸り声兼悩み声が愛花の耳まで届く。
陸治は両足をたたみソファーに乗せてまるで子供のように思考した。
「会社の利益を含む情報だからあんま言えないけど、いつ埋められたものかは分かったよ。」
そのトーンは重かった。
それもそのはずだ。会社の利益に関わることだから。しかし、何かを得るためにはなにかを与えなければならない。
当の愛花は予想以上の情報の進み具合にまたまた固まる。そしてテンプレートの返事しかできなかった。
「え、、、、、。」
静寂。
次の瞬間は愛花は身を乗り出していた。
「いつ!お願い!教えて!」
「松風のことが気になるんでしょ?」
陸治は愛花の体を先制する様に次の一手を打った。
食い気味の攻守交代は愛花をまた劣勢にした。
「、、、、!」
口をあわあわさせる愛花を見て陸治はいやらしそうに口角を上げる。
その後、やけに芝居がかった演技で両膝を机につき、指を顔の前で組む。
「頭がいい桃川だから察しがついてると思ったよ。俺も、考えたくないけど松風が何か関わってると思う。」
その言葉によって愛花の仮説は力を増してしまった。瞼が少し重量を増す。
恐る恐る陸治に聞いた。
「それは、つまりあの遺体が松風くんの可能性がある、、、、、?」
「それは、、。」
陸治はばつが悪そうに頭をかく。
はっきり声を発する陸治が今日初めてうやむやな返事をした。
「そう思うってことは埋められた日との辻褄が合うってことだよね?」
そんな陸治に構わず愛花は詰め寄る。
またもや形勢は逆転していた。
つまり、松風が失踪した後に埋められたことが陸治の会社では判明している。
愛花の額を汗がなぞった。
その汗はこの高い高層ビルの一階まで届くのではないかと感じた。
「俺らの会社は白骨遺体を中心に調べている。多分知らない情報もある。桃川は、松風を中心に調べてるんだよな?2人が手を組めば、もっと知らない事実がわかると思わない?」
たしかに2人の間には明確に利害関係がある。
「これは、取引だよ。勿論報酬も出す。一緒に事件を解決しよう。」
差し伸べられた手は大きく、たくましかった。
コチラに向けられた笑顔は高校時代の陸治を彷彿とさせた。見るからに優しく、温かい。
しかし、愛花の手はそれに答えることはできなかった。
「ごめん。一旦、考えていい?」
断られた陸治はまた笑う。寂しそうに。
「そりゃ勿論。いくらでも考えて。」
頼んだお寿司が届いたのはその時だった。
それから数日。
愛花は悩みに悩んでいた。髪の毛が抜け落ちるかもしれないと思うほどに。
入浴中や食事中、寝る直前まで。
そして、取引を持ちかけられ1週間が経った5月30日。
埃を除去したベッドで愛花は決意を固めたのだった。
しかし、その時全ての細胞が緊張から解き放たれたかのように緩み出した。
浮腫んだ脳は愛花を眠りの世界へ誘った。
目を開けるとその部屋のクローゼットには制服があった。
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