第二章 異変③

茅野彩華ちのあやか。松風の元恋人であり現恋人だった愛花に嫌がらせをしていた張本人。

嫌がらせの期間は体育祭までの1ヶ月。

そして現在、愛花が現在に来てから8日目。その茅野に愛花は会いに行こうとしている。

なぜ愛花が茅野に会いに行こうとしているのか。

それは茅野が松風のことをよく知っていると踏んでいるからだ。

何か新しい情報を持っていると思うからだ。

松風の1番の理解者、未凪夜留みなぎやどめは死んだ。

未凪は何かを掴んだのだろうか。

未凪の死は他殺として報道され出した。

愛花も未凪は誰かに殺されたのだと思っている。

なぜ殺されなければならなかったのか。

理解者の未凪ですら分からなかった松風の秘密。

元恋人の茅野なら何か知っているのではないか。

そして愛花は舟木から教えてもらった連絡先で無事茅野と会う約束を取り付けた。待ち合わせ場所は茅野の家。場所の指定は茅野側がした。

愛花的には喫茶店などを想定していたのだが相手にも事情があるのだろう。

憎んでいた相手を家に招き入れるのはどういう気持ちなのだろうと愛花はぼんやり思った。

太陽が大仕事をしている中、電車を乗り継ぎ、バスで移動したら閑静な住宅街が見えた。

まだ5月だというのにかなり気温は高く、既に愛花の体はクラクラしていた。

愛花は額の汗を拭いながら茅野の家の前に到着した。

牛歩で進んだ道のりはなかなか長かった。

送られてきた住所に佇んでいた家はかなり立派な一軒家で白を基調とした見た目は成功者の匂いを漂わせていた。

玄関に置かれている赤い花は種類がわからないがなかなか綺麗だ。

家をゆっくりと見上げると気温の高さも相まって目眩が体を襲った。

すでにかなりの体力を奪われている愛花はなんとか茅野の家のインターホンを押した。

プツリという音と共に声が聞こる。

「今、鍵開けるわ。」

その声は間違いなく茅野彩華だった。

鍵が開くまでの約10秒間でも愛花の汗は止まることを知らない。

ゆっくりと開いた上品なドアから放たれる圧に愛花は息を呑む。

スマホでのやり取りはしたがやはり10年ぶりに直接会うとなると緊張してしまう。

しかし、そこから現れたのは愛花に頭にエラーを起こさせた。

綺麗なロングヘアをした清楚な女性。

この暑い中長袖の白いワンピースを着服し、袖から出ている細い手はその服とぼ境界線がわからなくなるぐらい白かった。

気品溢れる服装に完全にフィットしている顔はまるでフランス人形のようだ。

「えっと、、、あの。」

想像していたのとは異なった人が出てきたので愛花の目は泳ぎ、さらに手はモジモジしてしまう。

「久しぶりね。」

「え?」

その人から聞こえる声に愛花は意表をつかれた。

そして、さらに何も発せなくなっている愛花に相手はため息をついた。

沈黙を破るように腕を組み、その女性は話し出した。

「茅野よ。暑いでしょ?まあ、入りなさい。」

愛花の汗は止まっていた。


垢抜けた。この表現で正しいだろうか。

高校生の茅野と現在の茅野の印象はあまりにも乖離していた。

今、愛花は陸治と同窓会であった時と同じ感覚を覚えている。

まあ確かに、高校時代なんて多少やんちゃをするものだ。

しかしそれにしても180°変わりすぎだ。

「何よ。」

「いや、べつに。なんか、雰囲気変わったね。」

愛花はあははと不器用な笑顔を作る。

目の前にいる可憐な女性が茅野だと頭では分かっていても目がそれに対応していない。

「ふーん。あんたは、劣化したわね。」

これもまた陸治と再会した時のデジャヴを感じた。

そんなに見た目が退化しているだろうか。

愛花は眉を歪めながらたるみ乾燥した頬を触る。

ただ一つ言えることは茅野や陸治の変化は間違いなくプラスであり愛花の変化は間違いなくマイナスであるということ。

愛花は2人は沢山努力して濃密で充実した人生を送ってきたのだろうなと思った。

そして今日は帰ったら余っているパックをしようとも。

「ジロジロ見ないでよ気持ち悪い。」

そう言いながら茅野は上品なカップに入れられた紅茶を啜る。

どれだけ見た目が変わっても口調は変化していないらしい。

愛花は茅野とリビングで向かい合って、ふかふかのソファに座りあたりを見渡した。

高い天井と煌びやかな照明、大きな窓。

目に映るもの全てが愛花の日常からかけ離れ過ぎている。

「それで、なんのよう?」

綺麗な顔に潜むキツイ瞳が愛花に圧をかけた。

「そのさ、、、、。」

「なによ。はっきり言いなさい。別に私も暇じゃないの。」

愛花の心の準備を待つことなく茅野は詰め寄る。

茅野の持っていたカップが机に置かれコツンと音を立てた。

茅野にじーっと見つめられる愛花の体はまるで鎖で拘束されたかのようだった。

「松風君のこと、何か知らない?」

愛花は目力を強め、茅野の圧に対抗するように相手の目を見た。

しかし、茅野は困り眉で口を尖らせた。

「は?知るわけないじゃない。」

歯に衣着せぬ言動は愛花の体を小さくさせた。

しかし、溜まった唾液を飲み込み愛花は茅野に語りかける。

「なんでもいい。何か些細なことでも。」

「今更、なんなの。」

もう長くない透明でツルツルの爪を触りながら茅野は聞いた。

「いや、その松風君さ急にどっか行っちゃったじゃん?いま何してるかなーって思って。」

「10年前の元彼に執着してるの虚しいと思わないの?」

また圧が戻った。

間髪入れず茅野は言葉を返してくる。

そこに遠慮はない。

茅野の不機嫌そうな顔は高校時代のようだった。

不機嫌な様子で茅野はうなじに手を回す。

しかし、愛花も怯むわけにはいかない。

「思う。」

真っ直ぐでそらさない目線に茅野はさらに困惑の表情を浮かべる。

その後小さなため息を吐き、茅野は呆れ顔へ変化した。

「自覚してんならやめなさいよ。」

「茅野さんは、松風君の今が気にならないの?この前出た白骨遺体が気にならないの?」

茅野の言葉に食い気味で答える愛花。

先に目の行き場を探したのは茅野だった。

そして、あたりをジロジロと見渡した後眉間に皺を寄せる。

「ならない。一緒にしないで。あんただけよ。そんなことを気にしてるのは。私はとっくのとうに前に進んだ。大切なものができた。」

茅野はそう言って大理石の机に置かれていたスマートフォンの写真フォルダを見せる。

そこには、優しい顔立ちの男性と茅野が写っている。2人の間には首の座ってない小さな赤子も。1歳になったぐらいだろうか。

3人とも笑っていて、幸せそうだった。

愛花は自分の現在との違いにただただ黙ることしかできなかった。

「分かったからさっさとかえりなさい。」

茅野は紅茶のカップを机から持ち上げキッチンへ移動させようとした。

「じゃあ、橋村さんのこととかは?」

愛花にも今自分が何を言っているのかわからないかった。しかし、咄嗟に出たこの言葉はその場凌ぎなんかではない。

こちらも愛花にとっては大事な問題だった。

そして、解決しなければならない、消さなければならない過去だった。

茅野は立ち止まった体をこちらに向ける。

「知るわけないじゃない。別に仲良くもない女のことなんか。100歩譲って松風のことを聞きにくるのはわかるけど。」

当然と言えば当然だ。

茅野は冷めた瞳で愛花を見下ろす。

「そうだよね。ごめん。」

愛花は茅野をまともに見ず、下を向いた。

座っている愛花に影がかかる。

上向くと、茅野が顔を近づけて来ていた。

予想しない光景に愛花は動くことができない。

「じゃああんたは松風と橋村、どっちの方が大事なのよ?」

質問の意味がわからなかった。

恋人の松風。友達の橋村。

どちらの優先順位が高いかなんて愛花は考えたことがなかった。

いざ、どちらかを選ぶとしたら愛花はどちらを選ぶのだろうか。

それは愛花自身にもわからない。

そして、考えたくもない。

「今更何かをしようと思っても遅いわよ。」

頭の中で思考を巡らす愛花に茅野は追撃をかます。

その通りだ。愛花は、過去に戻るなんていう予想のつかない出来事がなければ何も行動を起こさず終わっていただろう。

同窓会で未凪に合わなければ、高校時代のことをこんなに考えることはなかっただろう。

「やっぱ桃川さんのこと好きになれないわ。」

何も言葉にできない愛花を茅野は見限った。

吐き捨てられた言葉に反応せずフローリングを凝視することしか愛花はできない。

茅野は置物のような愛花を気にせずキッチンに戻った。

綺麗な水がシンクにぶつかり2人の間の静寂を埋めている。

そして、洗い物を済ませた時に愛花はゆっくりと立ち上がった。

そのまま荷物を持ち上げ白い廊下へ向かう。

松風の隣にいた時とは違う、落ちぶれた背中を茅野は見つめていた。

滞在時間わずか10分。

愛花は茅野から紅茶を出されることもなくリビングから消えた。

小さい歩幅で玄関に着いた愛花はふさふさのスリッパから靴に履き替える。

そして、振り向き玄関まで着いてきた茅野をもう一度みる。

しかし、その目に力はこもっていなかった。

「じゃあ。」

その時、茅野の瞳が微かに揺れた。

胸が締め付けられたような気がした。

「桃川さん。」

その呼び声に反応して愛花は首を上げた。

「高校生の時、悪かったわね。私はまだまだ幼稚だった。」

見上げた目線の先にあったのは見たこともない景色だ。

彼女は、寂しそうで悲しそうな顔をしていた。

茅野の初めて見せる表情に愛花の瞳孔は震える。

そして、気づいたら体が乗り出していた。

茅野に向ける視線は人為的なものではない。

自然と溢れた、濁りのない瞳。

「茅野さん。今の私は人生に失敗して、最悪な人生を送ってきた。もう取り戻すことはできないし、取り戻そうとも思ってない。でも、やり直すことができそうなの。ごめん。何言ってんだって思うかもしれない。それでも、私は今動かないと、足掻かないと、一生後悔することになる。だから、お願い。なんでもいい。教えて。」

愛花は初めて本当の気持ちで茅野と向かい合った気がした。

心の底からの本心。

切実な願い。

愛花の体温は熱くなっていた。

そして、それは相手に伝わった。

茅野は口を少し開いたり閉じたりしている。

そしてめんどくさそうに一息吐いた。

ただそれは本当にめんどくさそうな振りをしているだけだ。

茅野の顔は少し安心したように見えた。

そして、口を開いた。

「高校一年生の夏休み中。あいつは、、、松風は本当に突然雰囲気が変わった。前日まではキスもハグもしてたのに。」

愛花は自分の知らない松風のことに息を呑む。

心臓がキュッとなった。

「そして松風は言ってきた。私に冷めたって。さらに、もう誰とも付き合わないって。」

「え?」

唾を飲み込むのを忘れていた愛花は少し裏返った声を出してしまった。

茅野は漏れ出たその声を気にせず続けた。

「今更正当化する気もないけど、あの時私があなたに嫌がらせをしたのはそういうことを言われたから。誰とも付き合わないって言ってたくせに、桃川さんと付き合い出したから。」

「えーと。」

茅野も段々と語気が強まっていた。

感情が少し昂っていることが分かる。

抑えていた気持ちが勝手に出てきていることは愛花にも伝わる。

「なんで?って思っちゃった。桃川さんより私の方が絶対可愛かったし。でも、バカよね。今考えれば気が変わることぐらいある。それに、そもそも私を振るためだけに言った嘘かもしれないし。」

「、、、、。」

何も返せなかった。

愛花は乾いた瞳に忘れていた瞬きをした。

「それぐらいよ。」

全て吐き出した茅野は愛花を見つめる。

愛花もその瞳に答えることしかできなかった。

「わかった、、、、。ありがとう。」

茅野は心の奥に溜まっていたものを全て出し、すっきりしたように見えた。

そして、下唇を軽く噛み家の中へuターンしていく。

「うん。じゃあ。」

愛花はその時初めて、着飾っていない茅野を見た気がした。


相変わらず遠慮なしに照りつける太陽は冷房で冷えた愛花の体に鞭を打ってくる。

この暑さのせいで家に帰る足取りはかなり重い。

頭の中の思考を巡らせすぎたこともあるかもしれない。

愛花は茅野の話を聞いてから喉に小骨がつっかえたような感覚が残る。

その1番の原因は茅野が話した松風の話だろう。

高校一年生の夏休みに松風は茅野への態度が急変した。

その理由。

コンビニで買った天然水を一気に飲み干しながら愛花は頭を縮こませた。

松風が消えた理由との関係性はあるのだろうか。

未凪の言っていた抱えているものとも繋がっている気がする。

とにかく愛花は脳内を整理することで精一杯だった。

しかし、収穫は大きかった。

何も知らなかった松風の事情。

今からでも何か動ける。

未凪の無念を、晴らせる。


そう思い、人混みに揉まれながら歩いていると愛花の瞳に見覚えのある人物が映った。

スーツをピシッと着こなし、アイスコーヒーを片手に小走りで移動している男。

額から汗が垂れているが清潔感があって爽やかだ。

そしてその男性はこちらの視線に気づく。

陸治泰昌は見つめてくる愛花に近寄って来た。


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