第二章 異変②
そして今、愛花は未凪の葬式に出向いている。
薄暗く曇った空気はその場にいる人々の心を照射したかのようだった。
未凪と直接関わったのはほんの半月前なのに、とてつもない喪失感が愛花を襲った。
愛花にお経が耳に入ることはなく、ただただ幸の薄そうな遺影をじっと見つめることしかできない。
やつれた顔をした未凪の母親は体を震わせて泣き崩れる。愛花はその泣く姿をみて息子と母親は似るものだなと漠然と思った。
頭の中でリピートされるのは生々しい音声。
再生されるたびに愛花の下瞼はピクつく。
質素な葬式が終わり、外に出ると空から小雨がポツポツと降り注いでいた。
湿気で少し丸まった前髪はとても貧相に見える。
ふと、愛花の足が止まる。
忙しい雨に愛花は取り残された。
足元から背中にかけて身体がゾクゾクと震える。
愛花は素早く後ろを振り向いた。
気のせいか。
何が視線を感じた気がしたのだが。
見えるのは中途半端な量の雨に包まれた薄暗い世界のみ。
晴れるのか降り注ぐのかはっきりしろ。
そんなことより、未凪の死の真相は何もわかっていない。
光の灯ってない瞳は涙腺を固く締め上げていた。
帰りにコンビニで弁当を買う。
笑顔がなく緩慢な接客をした店員に少し血圧が上がった。
雨は大粒に変わり右手に傘、左手にレジ袋を掲げ愛花は家に帰った。
近しい人が死んだというのに無償に食欲が湧いてくる。割り箸を割ってろくに咀嚼もせずに弁当をかき込んだ。
だらしない体にカロリーや塩分を放り込む。
時刻は午後11時。
両親は寝静まり、由莉奈は一階でテレビを見ている。
窓に打ち付ける水滴は騒がしい。
愛花は部屋で一人、孤独に胃を満たすことしかできなかった。
翌日。愛花は携帯のブザーで目が覚めた。
結局昨日はやけ食いをした後、酒は弱いのにビールを流し込み気絶したように寝てしまった。
気持ちの日差しとは裏腹に体内が燃えているのがわかり体を起こすのに少しの時間を有した。
その間ブザーはお利口に愛花を待っている。
ブザーの主は舟木だ。
「もしもしぃ、、、、?」
しゃがれて女性らしさが全くない声が舟木の耳に届く。舟木は呆れたように天を仰いだ。
「おはよう愛花。どーせ、今起きたんだろ。今から行くわ。」
愛花は約半月ぶりに聞こえた大人の声が話す内容を理解できなかった。
尻をポリポリかきながら顔を歪める。
「、、、ん?なんで来んの?」
耳に当てているスマホから舟木の声は聞こえない。
代わりに風や電車の音が耳に届く。
「伸吾?」
「、、、いや、ごめん。そっか。そりゃー忘れてるよな。」
舟木の声はすこし暗くなっていた。
「んー?何が。」
「ははっ。マジかよ。まあいいわ。家行くから準備しとけよ!」
いつもの調子に戻った舟木は愛花の返事を待つことなく通話を切った。
等間隔になる電子音とともに愛花は取り残された。
時計は午前11時を指している。
愛花はひとまず、まだ起きる時間ではないと思いもう一度毛布を被った。
目を閉じて、寝ようとするがぼやけた頭の中で先ほどの舟木の言葉が再生される。
どういうことなのか。
疑問に思い、愛花はスマートフォンで舟木とのトーク履歴を確認した。
「、、、、ん?、、は!」
愛花の表情は疑問から驚き、さらに焦りへと変わっていく。
トーク履歴には今日、舟木と一緒に買い物に行く約束が取り付けられていた。
やりとりがあった日付は愛花が過去に言っている時。今の愛花が約束を知らなくて無理もない。
しかし舟木には悪いことをしたなと思った。
愛花はベッドから飛び降り、髪を櫛でときながら今すぐ舟木に電話をかけ直した。
ワンコールで舟木は電話に出た。
「もしもし伸吾!?ごめん。今すぐ支度するから待ってて!」
「やっと思い出したか。もーすぐお前の家の前だよ。」
「え?」
愛花はスマートフォンを耳に当てたまま窓の外を見た。
場違いな高級外車が民家に止まろうとしていた。
そして、中から出てきた舟木はスマートフォンを耳に当てたままこちらに手を振っている。
「ゆっくりでいーよ。あ!飯は食うなよ。これから朝ごはん行こ。」
「わかった。ごめんね?ほんとに。」
「はいはいわかった。悪いと思ってるなら可愛くしてこい。」
「うーん、、、?はい。」
愛花はへらず口を叩ける立場ではないので素直に従う。
大急ぎの身支度はまるで高校時代のようで、懐かしい気持ちになった。まあ、5日前だけど。
結局愛花が万全の状態で舟木の前に姿を表したのは30分後であった。
舟木は整った愛花の姿を見てちゃんとすればめっちゃ可愛いんだよなと心の中で思った。
「可愛いじゃん。」
心の中にしまっておくはずが思わず声に出てしまう。本当に無意識だった。
愛花は少しもキュンとしていない様子で笑う。
「ありがと。」
男からの褒め言葉なんだから少しぐらいときめいてくれてもいいだろと舟木は苦笑いをする。
同窓会の時は違う舟木の車に乗り、街へ出かけた。
「あー、今日せっかくの休みだったのに午前を潰しやがって。」
前髪を靡かせて片手運転の舟木は言う。
「ごめんって。」
「まあまあショックだったんだぞ?」
「、、、はい。」
「寝坊はまあ、予想してたけどまさか約束自体忘れてるとか。」
「、、、はい。」
愛花はぐうの音も出なかった。
しょうがないとはいえ大企業の社長の休日を半分奪った罪は確かに重い。
うつむく愛花を舟木が横目で見る。
舟木はよし!と言って愛花のあたまを乱雑に撫でた。愛花は手の動きのままに頭が揺れる。
「着いたぞ!ここの朝ごはん奢ってくれたら許してあげる。」
着いたのは近所のファミレスだった。
「え?ここって。」
「うん。懐かしくね?小さい頃よくおばさんに連れてきてもらったよな。」
そこは子供の頃に舟木と愛花がよく来ていたファミレスだ。
かなりレトロな雰囲気だが、独特の優しい空気感がある。舟木は親が忙しかったのでよく愛花の家族につれいってもらっていた。
舟木にとって家で食べるどんな高級料理よりも、愛花たちと食べるこのファミレスのハンバーグが1番のご馳走だった。
皆が成長するにつれ、だんだんと行かなくなっていたのだが。
軽自動車が並ぶ駐車場に停められた車高の低い高級車はかなり浮いている。
「うわー、全然変わってない。」
中に入ると、あの頃の思い出が蘇ってきた。
香ってくる匂い、ところどころに置かれているワンポイントの小物、個性的な壁紙。
幼い頃と変わらない姿に二人は安心感を覚えていた。
ウェイトレスに案内され、シート席に向かい合って座った二人はメニュー表を開く。
「まだあのハンバーグあるよ!伸吾!」
自然と興奮している愛花の様子に舟木は思わず見惚れてしまった。
ジーっとみつめる視線に愛花は気づかずメニューに目を輝かせている。
しばらくしたところで愛花はやっとメニューから目を離す。
「伸吾?決めたの?」
「ん?ああ、どーしよっかなー。」
愛花が隣にいるとついつい視線を運ばせてしまう。
そして、離れなくなってしまう。
舟木は気を取り直しメニューを見た。
「私、ハンバーグ!」
「お前、起きてまだ1時間なのによく食えるな。」
「うるさいなぁ。」
まだ昨日の弁当が体に残っているし、酒で肝臓が重労働を強いられていることも分かる。
それでも、愛花は何かを思いっきり食べたかった。
愛花は未凪のことから逃げるように、今日一日を楽しむことに決めた。
「じゃあ俺も。」
テーブルに届いたハンバーグはあの頃と何ら変わっていない。
ナイフとフォークで食べ進めると口の中一杯に肉汁が広がり思わずとろけてしまいそうだった。
舟木と愛花が浮かべる表情は顔は違えどもほぼ同じだった。
「うま!やっぱ最高。」
「ね!今度由莉奈も連れて来ようよ!」
「そうだな!」
子供の頃と同じような無邪気さで2人はハンバーグを平らげた。
あっという間に食べ終わった2人を満足感と満腹感が取り囲んでいる。
結局、寝坊した罰ゲームとして愛花が代金を払ってファミレスを後にした。
財布は泣いていたが、昨日までの気分を払拭するかのように愛花の顔には笑顔が浮かんでいた。
そして、次の目的地へ向かう。
「伸吾?どこいくの?」
「んー?どこでしょう。ついてからのお楽しみ。」
愛花が質問してもこの一点張りだ。
まあ、舟木だから変なところに連れて行かれる心配はないが、こんなことは今までなかったので愛花は少し不安になる。
「コーラの作り方って分かる?」
「分かんないよ。だって世界に2人しかいないんでしょ?」
「いやそれ都市伝説だろ。」
車内ではとてつもなくどうでもいい会話が繰り広げられ時間があっという間に過ぎていった。
それから舟木が連れて行った場所はレコードショップや、家具屋、そして服屋など。仕事に繋がりそうなものから趣味のものまで。本当に買い物に付き合って欲しかったらしい。
「いやー!楽しかった!」
両手に大きな紙袋をぶら下げた舟木は満足そうに言う。日は落ち始めていた。
愛花も普段絶対行かないところに連れてってもらったからそれなりに楽しかったがなんせ大きな疑問が残っていた。
「伸吾、なんで私を誘ったの?」
「んー?別に、理由なんてないよ。どーせ暇だろ?たまには太陽の下に出さないとな!」
素敵な笑顔で話す舟木から嘘は感じられない。
「そっか。」
隣で歩く愛花の顔が緩む。
「うん。」
それを見た舟木もまた、優しく口角が上がる。
「伸吾。」
「うん?」
「ありがと。」
愛花は沈んだ気持ちを上げてくれた舟木に顔を見て感謝した。
舟木は不意打ちの上目遣いに顔が赤くなる。
すぐ腕で顔を覆い鼓動を整える。
「な、なんでだよ。時間をくれたお前に俺が感謝するべきだろ。」
「ふっ。まあ、そーだね。」
「謙遜なしか。」
「まあね。」
「愛花。お前ほんと変わんねーな。」
「どーいう意味!」
「どーいう意味でしょう。」
愛花の歩幅に合わせて歩く舟木はどこか心地良さそうだった。
揃った足音が街の喧騒にかき消されていく。
紙袋の大群を後部座席に乗せた舟木の車内で愛花はふと、現実に戻された気がした。
今が楽しいからこそ、起こってしまったことが悲しくなる。
愛花は意を決して舟木に聞いた。
「ねぇ伸吾。」
「ん?」
キラキラと光る街を見ながら舟木は返事をする。
愛花は過去で何もできなかった。だったら現代で動くしかない。
「茅野さんってわかる?」
舟木は予想外すぎる質問に思わず愛花の方を向いてしまった。
すぐさま危ないと思い前に視線を戻したが。
「うん。まあ。愛花に嫌がらせしたやつだろ?」
「そう。」
「それがどうした?」
「茅野さんの、、、連絡先とか知らない?」
またもや意図のわからない質問に舟木の目は開く。
「うーん?まあ、知ってると思うけど。」
そう言いながら舟木はハンドルを回す。
「教えて!」
顔の前で手を合わす愛花を見て舟木は驚く。
「は?なんで?お前まさか、、、今更なんかしようって思ってるんじゃないだろうな。」
真剣な顔つきになった舟木を見て愛花は気が抜けてしまう。
そして、思わず吹き出す。
「ぷはっ!んなわけないでしょ。」
「そうか。ならまあ、いいや。本人の許可が降りたら教えてやるよ。」
舟木に約束取り付けると、ちょうど愛花の家の前に着いた。
律儀に車から降りてドアを開けてくれる舟木。
こういう紳士的なところが末恐ろしい。
「今日はさんきゅ。今度また差し入れ持ってくるわ。由莉奈にもよろしく伝えといて。」
「うん。分かった!じゃあね。」
手を振りながら舟木の車は夜を駆けて行った。
翌日の朝。
相変わらず、お昼直前に起きた愛花はスマートフォンに通知が入っていることに気がついた。
「許可もらった。」
そのメッセージと共に、茅野の連絡先が添付されている。
愛花は松風と未凪のことを思い、茅野の連絡先を追加するのだった。
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