第一章 蘇る青春④
終礼が終わり、生徒たちは各々の用事に移る。
家に帰る者、部活に向かう者、バイトに向かう者。
「伸吾じゃあな!また明日!」
「おう!」
スクールバッグを肩に担ぎ、指をかける舟木が手を振っている相手は
愛花はどれだけ想像しても今の陸治があの塩顔イケメンになるビジョンが見えなかった。
見た目も高校生には見えず、テレビの旅ロケに出ている中堅芸人に見えなくもなかった。
陸治がどしどしと足音を立てて教室から出ると、舟木は次に愛花の方へ向かう。
その顔は何故かニヤついている。
「お前、今日も松風と帰るのか?」
顔を近づけてくる舟木に思わず後退りしてしまう。
「そ、そうだけど、何?」
「俺もついてく!」
「はぁ?何でよ。」
舟木はさらに前傾姿勢になり下から愛花を覗き込む。この上目遣いに人は舟木伸吾という沼に落ちるのだ。
「松風ばっかずりい!俺も愛花と一緒に帰りたい!」
子供のような駄々を捏ね始める舟木をみて愛花は目を細める。あたりからの視線が少し気になる。
まだ教室にいる生徒たちは舟木がいつもする愛花へのちょっかいにクスッと笑う。
愛花がこいつをどうするものかと思考し、周りを見渡すと教室のドアに見慣れた人物が立っていた。
「はぁ、暇なら由莉奈とでも帰れば?」
由莉奈はいつも通りの2人を見て微笑んでいる。
そして由莉奈は自分の存在に舟木が気づいてくれるとくしゃっと笑い、手を招いた。その瞳は輝いている。
気取らない笑顔が由莉奈の魅力でもある。
「ん?おー!どうした?」
舟木が小走りに由莉奈の方へ向かうと由莉奈の笑顔はさらに深くなった気がした。
「ちょっと今の単元でわからないとこがあって、教えてくれない?」
「ん?いいよ。」
「やった!ありがと。じゃあ駅前のカフェ行こ!」
「了解!カフェオレ奢れよ。」
「は?」
舟木は無事予定が入ったらしく愛花に手を振って由莉奈と2人で教室をあとにした。
側から見ればカップルに見えなくはないが桃川家と舟木家が幼なじみなのは旧知の事実なので皆、冷やかしたりはしない。
二人をぼーっと眺めていた愛花だったが自分ももそろそろいかなくちゃなと思い競歩で教室を飛び出した。
松風と待ち合わせしている下駄箱に向かう途中、愛花はまた見覚えのある人物に出くわした。
見覚えがあると言ってもそれは大人になった姿だが。
学生時代から前髪は目にかかっているんだなと愛花は思った。
軽い猫背でトボトボと
少し、現在より背が低いが雰囲気はあまり変わっていない。
「あ。」
思わず声が出てしまい愛花は口を手で覆う。
未凪はその声の方向に振り向き愛花が自分を見ていることに気づいた。
未凪は途端に少し怪訝な顔をする。そりゃそうだ。ほぼ初対面の女が口を覆いこちらを見つめているのだから。
そして次に目を細め目の前に立っている人物が誰なのかを確認しようとした。
視界が悪いなら前髪をもう少し切ればいいのに。
「えーと。確か松風の彼女さん?」
「は、はい。」
「松風なら、今下駄箱にいるよ?」
「あ、ありがとう。」
お互い前に出るタイプではないので舟木や陸治、橋村のように会話を弾ませることはできなかった。
最低限の会話をしたのち2人の間には静寂が訪れる。お互いが話題を模索するも、考えれば考えるほど何も見つからないのだった。
頭の中でもがけばもがくほど話題が逃げていくように感じた。
「あのー、早く行ったほうがいいのでは?」
未凪が頭をポリポリ描きながらバツが悪そうに呟く。
「そ、そうだね。ありがとう。」
未凪は軽く会釈をし、両手をポッケに突っ込みまた歩き出す。
かなりローテンションな彼は丸まった背中も相まってとても覇気がないように見える。
愛花もまた、歩き出す。
お互いが向かい合い目的の方向へ進み出した。
2人がすれ違った瞬間、愛花はあの時の泣き顔がフラッシュバックしてしまう。
あの時の、悲しい姿を。
「待って!」
未凪の背中はこちらに振り向く。
突然の大声に相手は少し困惑しているようだった。
この機会を逃すわけにはいかない。
これは自分のためでもあり、今目の前にいる未凪のためでもあるのだ。
「ま、松風君の、、、悩みとか、、知らない?」
「ん?」
未凪の眉間に皺が寄った。
2人の間には先ほどとは違う種類の静寂が訪れる。
未凪は少し天井を仰ぎ、腕を組み唸る。
愛花はじっと彼を見つめる。
緩やかな風が場違いに二人の間を通過していく。
数秒後、手をまたポッケに入れ愛花の目を見た。
「今度のテストの勉強がやばいとは言ってたな。」
一瞬何を言ったのか頭の中で理解ができなかった。
愛花は予想外の答えに体の力が抜けてしまう。
緊張が緩和し、閉じていた汗腺が開き始める。
「え?そ、それだけ?」
「俺は何も知らないよ。」
そう言うと彼はまた愛花に背中を見せた。
乾いた足音がその場に響く。
愛花は未凪の背中を眺めることしか出来なかった。
「うーん。そこが分かんないんだよね。確率の計算って将来役に立つ?」
「少なくとも、俺は数字に強くなくちゃいけないからな。」
舟木は頬杖をつきシャーペンから芯をカチカチと出してつぶやいた。
やけに色っぽい流し目に由莉奈は見入ってしまう。
頼んだカフェオレはすっかり冷めてしまっている。
店内BGMが2人の間を包み、時間の流れをゆっくりにしていた。
視線を感じた舟木は由莉奈のことをチラッと見る。
しかし、彼女は教材に夢中のようで、勘違いだったとわかる。2人の視線はなかなか合わない。
「おねーちゃんに」
目を下に向けたまま由莉奈は舟木に聞いてきた。
「告白しないの?」
舟木の喉を甘唾が通る。由莉奈の顔は上がらない。
思いがけない質問に目が泳いでしまう。
由莉奈も教材を見ているが、シャーペンが動かない。
BGMの音がやけに大きく感じた。
外の車の走行音がやけに騒がしく聞こえた。
舟木は一息空気を吸う。
「しねーよ。」
その言葉に由莉奈の肩は少し揺れる。
意味もなく出していた舟木の長いシャー芯が折れる。それは小さく音を立てて机に落下した。
用事の無くなった右手は頬杖にジョブチェンジした。
「ふーん。あっそう。」
重たい舟木の発言とは裏腹に由莉奈の返事は軽いものだった。
また走り出したシャーペンを舟木は見つめる。
「ふっ、なんだよ。今あいつに気持ち伝えても混乱させるだけだろ?」
由莉奈はゆっくりと顔を上げる。
「とか言って、振られるのが怖いだけでしょ?」
無理やり作られた悪戯な笑顔を向けられ、舟木もまた反応に困る。
新たな会話の種を探そうと舟木は時計を徐に見た。
するともう既に18時を回っていて窓から見える景色は薄暗くなっていることに気づく。
「よし、そろそろ帰るか。」
カフェオレを飲み干し、舟木が伸びをした。
愛花の筆が止まるのに5秒かかった。
「、、、、うん。そうだね。」
由莉奈も軽く伸びをし、ペンケースに蛍光ペンと付箋、シャーペンをしまう。
このペンケースは舟木から5年前にもらったものだ。可愛いデザインを由莉奈は気に入っている。
時が経つのは早いなぁなんて思いながら由莉奈は前髪をいじる。
すっかり耳に馴染んでいたBGMが今更名残惜しくなっていた。
下唇を甘噛みし、舟木をそろりと見た。
「、、、、。」
闇が深くなった外を舟木はただ見つめている。
ガラス越しに見える風景に笑みを浮かべていた。
少し寂しそうな目をして。
由莉奈が舟木の目線を追う。
「、、、、!」
同じ高校の制服の男女。2人は楽しそうに会話をして歩く。涼しい風に撫でられ身長差のある2人は手を繋いでいた。
「幸せそーだな。」
愛花の浮かべる表情は、決して舟木の前では見せないものだ。
好きな人と結ばれる確率はどれくらいなのだろうか。
そもそも好きな人と出会う確率はどれくらいなのだろうか。
先ほど教わった知識を利用しても由莉奈に答えは導き出せない。
愛花と松風の姿を、ガラスに隔たれ見つめている舟木の様子を直視することができなかった。
愛花が高校時代に来てから1週間が経った。
すっかり心に馴染んだ制服を着て今日も高校に通う。足取りは軽く、周りに人がいなければスキップを始めたいほどだ。
人生の後悔を一つずつ消し、謳歌し始めていた愛花の幸福度は自然と高くなっている。
強いて言えば早起きが少し辛いがそんなことも松風の顔を見たら吹っ飛んでしまう。
緩んだ顔を浮かべながら下駄箱に着くと愛花はある異変に気づいた。
下駄箱を開くとスカンと中身が空になっている。
上履きがない。
「、、、、は!」
愛花はまた学生時代の出来事を思い出した。
しかしこの思い出は今までのようにいいものではない。あまり思い出したくないものだ。
だからといってそれほど印象には残ってないのだけれど。
愛花は一時期、嫌がらせを受けていた。
本当に短い期間だったが。
ちまちまとしょうもない陰湿なものが続いた。
この嫌がらせが終わったのは1ヶ月後の体育祭。
犯人を知ったのもその時だ。
事の犯人は松風の元カノ、
その日、クラス対抗リレーで履く予定だった愛花のランニングシューズがなくなった。
しかし愛花は由莉奈の靴を借りなんとか走った。
そして、茅野が愛花のシューズを持っているところを松風が発見したのだ。
そこで茅野は直々に改めて松風に振られ嫌がらせは終焉した。
だから短くあっけない嫌がらせは愛花への精神的ダメージをほぼ与える事なく終わったのだ。
「はぁ。そんなこともあったな。」
空の下駄箱を見た愛花は1人つぶやいた。
そして職員室でスリッパを借り、すぐさま向かった。
茅野の元へ。
茅野とは同じクラスだ。
席で友達3人と楽しそうに話している爪の長い女はこちらの足元を見ると少しにやけた。
綺麗に巻かれた茶髪と着崩した制服、少々厚い化粧。高校時代の愛花はできれば関わりたくないと思っていた。
しかし、今は違う。10歳年下の子供だ。
恐れることはない。
愛花はズカズカと茅野たちが作る輪の中に入った。
「上履き返して。」
少し目を見開いた茅野はゆっくりと瞬きをした。
なんでバレてんのとでも思っているのだろう。
茅野は髪を人差し指に巻き付けながら足を組んだ。
「なんで私たちが疑われなきゃいけないのよ。」
茅野の一声で残りの3人も鋭い目つきでこちらを睨む。愛花の足は一歩後退した。
「そ、それはバレバレだから!」
しかし今現在、茅野を犯人だと確証付けるものは何もない。今すぐこの4人のロッカーでも調べてやろうかと思ったが大人としてあまりそういうことはやりたくない。
「なーに?証拠でもあんの?」
蛇のような目力によりさらに後退する愛花。
「とにかく、私じゃないから。」
愛花はネイルが塗られた爪でおでこを小突かれた。
奥歯を強く噛み締めた愛花は茅野を出来るだけ睨みつけてその場から消えた。
手を握る力がどんどん強くなるのを感じた。
その後、職員室で張間先生に上履きを忘れたと話し、上履きを借りることに成功した。
「なんでお前スリッパなの?」
休み時間にかけられた舟木の言葉に愛花はどう説明しようかと考える。
茅野さんが松風君と付き合っている私に嫉妬して嫌がらせしてくるの。証拠はないけど。
なんて言って信じるのだろうか。自意識過剰に思われないだろうか。
「いやーもうちっちゃくてさ、足が痛いからスリッパ借りてるんだよね。」
飛び出したその言葉はその場凌ぎ以外の何者でもなかった。嘘をつくのは簡単だが突き通すのは相当難しい。
愛花は信じてくれと心の中で懇願した。
「ぜってぇ嘘だろ。顔に書いてあるぞ。」
自分の演技力と神を呪いたい気分だった。
「もう、なんでわかるの、、、。」
「幼なじみだからな!」
「あっそ。」
「で、大丈夫か?何があった?」
「あー、うん。大丈夫。一人で解決できるよ。」
「は?ぱっと見大丈夫じゃなさそうだけど。」
「大丈夫だって。安心して。」
いつものテンポで繰り広げられる会話は心地よい。
しかし、舟木は思ったより真剣な眼差しだった。
「お前はなんでも一人で抱え込むよな。悪い癖だと思うぞ。」
頭にポンと手のひらを置かれた。
すると近くから大きな太い足音が響いてくる。
そして、それは目の前で止まった。
「ん?なになに?どうした?」
「おー陸治。なんか上履きが行方不明なんだってさ。」
何も事情を話していないのに舟木は状況を全て察していた。
それを聞いた陸治は唾を飛ばしながら大袈裟に驚く。
「え!?大事じゃん!俺の片方貸そうか?」
「いや、それむしろ迷惑だから。」
舟木は冷めた目で言う。
その場で前屈姿勢になり、靴を脱ごうとする陸治。
大きなお腹が邪魔してうまく靴に手がかけられていない。
「いやだからいーって。」
「うん。陸治くん、ありがとう。気持ちだけもらうよ。」
「はは!」
陸治と一通り笑い合った後、舟木は口角を下げ愛花をじっと見つめる。
「まあ、話したくないなら無理に詮索しないよ。上履き見つけたら言うわ。」
「うん。慎吾ありがと。」
それから、約1週間。上履きと茅野が犯人である証拠は何一つ見つからなかった。
さらにその間も小さな嫌がらせは続いた。
教科書に見覚えのない落書きがされていたり、消しゴムが千切られていたりした。
愛花は相手がまだ未熟な子供だと思うことにし精神的ダメージを軽減するという作戦に移った。
しかし、茅野から与えられた1番のダメージは今の理論を応用することで起こった。
それは今の自分が10歳年下の男にデレデレの痛いおばさんと言う事実だ。
それは過去に戻ってきてから目を背けていた事実。
そして抹消する予定の過去。
愛花がそんなことを思っていたら過去に来てあっという間に2週間が過ぎた。つまり松風と付き合って3週間。
今のままでは松風の失踪も、白骨遺体の正体もわからない。それに橋村の火傷はどうやれば止められるのだろう。
愛花は自分のベッドでどうしようかと模索していたが、徐々に蓄積された疲労によって睡眠欲が増してきた。
格段に重量を増していく瞼に抗うことはできなかった。
そして充電器のコードを携帯に繋ぐことを忘れ、暗闇の世界に落ちてしまった。
愛花はすやすやと眠っている。
朝目覚めると、ベッドから埃の匂いが漂ってきた。
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