第一章 蘇る青春②

全てが夢のようだ。いや、夢なのかもしれない。

この「夢」とは、寝て見る方も叶う方もどちらの意味にも該当する。

愛花は家に帰り自分のベッドの上でそんなことを思った。久しぶりに身につけた制服に少し恥ずかしさを覚えたが体も顔も若いのでその羞恥心もいつのまにかなくなっていた。

本来、過去に来てしまったことに対してもっと焦るべきなのだろう。しかし、真中の心は驚くほど舞い上がっていた。ここから全てをやり直すと決意したからだ。松風の失踪を止めると心に決めたからだ。

埃臭くないベッドの上で今日の出来事を回想する。愛花はこんなふうに一日を振り返ることも長年やっていなかった。

内容がなく充実していない一日なんて思い出す価値もない。久しぶりに訪れた夢のような時間は愛花の心に深く刻まれたのだ。

シワが4本ほど少ない母親が作ってくれた夕食も現代のものより美味しく感じた。


パジャマに着替え寝る準備に入った愛花は艶やかな髪をくしで研ぎながら部屋を改めて見回した。

片付けは学生時代から得意な方ではなかったので決して綺麗な部屋というわけではないが今いるこの部屋は内から発せられる覇気が現代の自分の部屋とは全く違った。

全てのものが生きていて輝いている。

参考書が開きっぱなしの勉強机も、中学校の頃の体育ジャージがはみ出ている引き出しも、お気に入りの漫画の新巻が封を開けられるのを待っているのも。一つ一つに魂が宿っているように感じられ高校時代の愛花が毎日を全力で生きて楽しんでいることが見てとれた。住んでるの人の中身一つでここまで部屋の中身は変化し、色彩を帯びるのかとひとりでに愛花は思う。

ふと、勉強机の引き出しから発せられるまた別のオーラに愛花は吸い寄せられる。

そこからは、この空間にそぐわない雰囲気が感じられ、逆にここにそれが集められているからこの空間は輝きに満ちているのではないかととも思う。

しかし、引き出しに入っているものが何かを愛花は思い出せないでいた。

押すなと言われたら押したくなるのは人間の性だ。

愛花はまるで地球上の未知の領域に初めて足を踏み入れるかのように引き出しの取っ手にそっと手を置いた。頭皮から垂れた冷たい汗が頬を撫でる。

瞼を一度閉じ、吐くのを忘れていた息を解放する。

愛花は手の力を強めゆっくりと自分の方向へそれを引き出した。

完全に中身が露出したのを感じてからぎこちなく瞼を開ける。

すると愛花は自分の視界に入ってきたものに驚愕と落胆、そしてとてつもない羞恥を感じた。

体の中にある血液が一瞬で顔に集まってくるのがわかる。一度引き締まった汗腺からまた先ほどとは別の種類の汗が噴き出てくるのがわかる。

そこにあったのは、二冊の本であった。

愛花はその姿を見た瞬間にそれがなんなのかを思い出したのだ。そして、よくこんなものを忘れていたなと先刻までの自分を戒めた。

一冊目の本。愛花が赤面するのは主にこっちだ。B5で水色の大学ノートの表紙に堂々と「青と春の恋愛宿題」と書かれている。

これは愛花が書いた恋愛小説が載っているノートだ。内容は自分の理想の恋愛をもし自分が体験したらというもので、今見るとなかなかめちゃくちゃな文章でほぼ詩集に近い。

春というのが自分に見立てた主人公の名前で、青というのは自分が思う理想の男子像を詰め込んだ人だった。なんとも安直なネーミングセンスだ。

しかし、当時の愛花は小説を書くことで日頃の鬱憤を晴らしていたし、将来本業になればいいなとも思っていた。文章を書くことは少なからず心の支えとなっていたのだ。

結局すぐに諦め、安定した職業を目指し無事ニートになったのだが。

ちなみに、松風に好意を抱き始めたのはこの青に少なからず似ていたからである。

愛花はその呪いの書を一度、机の上に出し底に眠っているもう一つの本を取り出した。

小説でかなりインパクトが薄れてしまったがこちらの本も愛花は鮮明に覚えていた。

かなり分厚く表紙も小説の単行本ぐらい固い。

鍵がかけられるようになっていて全体的にピンク色の可愛らしい雰囲気を纏っている。

ワンポイントのリボンがさらにその印象を強くさせていた。

手に取った二冊目の本は薄い大学ノートではなく市販の日記帳だ。これも、当時の愛花にとっては心の支柱であった。

中学時代からの習慣で小説より歴史が古い。

忙しなく過ぎる毎日を忘れたくないと思いつけ始めたのだ。絶対に誰にも見せたくないが。

愛花は鍵を開け、パラパラと中身を開いた。

目に入った文章を読むが、小説同様小っ恥ずかしくなってしまう。ところどころポエムや他人にムカついたことも書かれておりこういうのを黒歴史というのだなと愛花は理解した。

そして最新の日、つまり昨日の内容までページを進めた。

「4月30日。今日の1限目、英単語の確認テストがあることを忘れていた。直前で詰め込むも撃沈。どうか返ってこないでほしいな。勉強はともかく、今日も松風君と一緒に帰った。松風君は最近、映画鑑賞にハマっているらしい。また新たな一面を知れた。もっともっと知りたい。今度公開するメンインブラック3を一緒観る約束をしたよ。私は1も2も見れてないからこれからDVD借りてくる!楽しみ。」

語彙力と内容のなさは置いといて高校時代の自分は相当松風にぞっこんだったことを愛花は確認した。

そして、愛花は日にちを少し遡った。

お目当ての日は1週間前。松風への告白に成功した日だ。そして愛花は目標のページから明らかに日記への文字数が増えていることに気づいた。これまでは多くても3行、内容も友達と喋ったことや見たテレビ番組、食べたご飯のことだけだったのに対し松風と付き合い始めてからは1日1ページを必ず使って松風への愛が赤裸々に語られていた。

「4月24日。信じられないことが起きた。憧れの松風悠一くんにダメもとで告白したんだ。そしたら、OKだって!こんなことある!?後押ししてくれた橋村さんに感謝!まだ実感はない。夢なのかも。初めてのメールはこれからよろしく!みたいな感じ。今日は間違いなく人生最高の日だ!かっこよくて、運動神経も良くて、頭もいい。憧れの松風くんは私の彼氏!私の恋人!私の運命の人!これから増える思い出たちに先に挨拶しとこうかなぁ。えへへ。気持ちが昂ってすぐには寝れないと思うけど頑張る!おやすみ!夢じゃないといいなぁ。松風くん。好きだよ。」

一粒のため息が部屋の中にこだまする。

こんなに穴があれば入りたいと思ったことはない。

愛花は熱くなった全身を手で仰ぎクールダウンさせる。その後、もう一度日記を読み返して思いっきり枕に顔を埋めた。

こんなものが世に出たら公開処刑どころではない。

愛花の心の中では夕方までの楽しい気持ちが羞恥心によって追い出されていた。

その後、今日以前の一週間を一通り読み返したが彼女はとにかく松風が好きらしい。

さらに日記に書かれている気持ちが嘘ではないことが愛花へ追い討ちをかけていた。

嘘は何一つ書いていない。現に今日も松風に見惚れてしまっていた。

愛花は自分の後頭部から湯気が出ていないか心配になっていた。

ふと時計を見ると0時を回っていてオーバーヒート寸前の頭に急激に睡魔が襲ってくる。

愛花は一度、この恥ずかし過ぎる世界から逃避しようと目を瞑りベッドに倒れた。

この世界、今日起きたことが夢ではないことを祈って。

そして、愛花は今日の分の日記を書くことなく眠りについてしまった。


「おねーちゃん!遅刻するよ!」

朝一番に響いた甲高い声は聞き慣れていながら懐かしくも感じた。

「もー、なんで、、、起こすの、、、。」

声の主が妹の由莉奈だと気づくのに時間は必要なかった。飽きるほど聞いたその声はなぜか今日に限って愛花を起こそうとしてくる。

いつも、正午あたりに起きると由莉奈は今起きたの?と呆れた視線を向けてくる。

愛花は今日に何か特別な用事でもあったかと思案した。

枕元の定位置にある目覚まし時計をルーティーンのように眺める。

長針と短針が共に仲良く6をさしていた。

夜まで寝てしまったのは久しぶりだなと思い布団から起き上がると若々しい制服姿の女子高生がいつもの呆れた目でこちらを見てくる。

夜にしてはやけに部屋が明るい。

そこでようやく愛花は現状を理解し、ベッドから跳ね起きた。

「いい、今っていつ?」

制服姿の由莉奈の両肩を掴み揺らした。

由莉奈の目は少し開き困惑の表情を浮かべている。

そして肩を揺らすのをやめるとまたいつもの呆れ顔に戻る。由莉奈はため息を一つ吐いた。

「おねーちゃん、語彙力。寝ぼけてんの?今、6時半。遅刻するよ。」

そう言って由莉奈は部屋を出て一階へ降りていった。

愛花はいそいそと携帯の日付を確認した。

制服姿の由莉奈をみて色々と察していたがそれが本当だと確信したのはこの時だ。

夢から覚めていない。2012年5月2日だ。

まだ愛花は高校時代にタイムリープしたままであった。そしてそれと同時に自分が遅刻寸前であることが確認できる。

気づいた時にはもう愛花の体は本能的に動いていた。洗顔し、ヘアアイロンをし、着替えをし、ローラーでむくみをとる。学生時代のルーティーンを体が覚えていたことに愛花は少し驚く。

焼かれた食パンを一枚食べたら愛花は小走りで家を飛び出した。


高校に着いたのは予鈴が鳴る寸前だった。

少し乱れた髪をトイレで整える余裕はあるなと思い愛花はトイレを経由してから教室へ入った。

ドアを開けるとかなりの人の視線が集まる。

そこで愛花は昨日の失態を思い出した。

授業中に椅子から転げ落ちて教室を飛び出して階段から落下して気絶。よくよく考えたらかなりのことをしている。

愛花が皆からの視線が突き刺さって動かないでいると後ろから背中をドンと押され体は感覚を取り戻した。おぼつかない足取りで教室内へ足を踏み入れる。

「おはよ。なーにやってんだ。後ろ詰まってんだよ。」

その声に愛花はやはり安心してしまう。

舟木は猫のような笑みを浮かべ愛花を追い越し自分の席に着いた。

「伸吾おはー。」

「舟木!お願い宿題みせて!」

教室が先ほどの喧騒を取り戻す。舟木が入るだけで男女問わず教室は一体になる。やはり舟木は太陽みたいな人だと愛花は思った。

愛花は昨日の記憶から自分の席が舟木の右斜め前だと思い出しその席に座り、教材を机に出した。

やはりこの歳で高校生活をまた過ごせるというのは少し楽しいし幸せだ。

この何気ない時間が今の愛花にはとても貴重で大切なものだった。

その至福のひと時を遮ったのは明るくハキハキした笑顔だった。



















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