猫の手も10本あれば何でもできる

月下ミト

第1話

 12月が師走なら、今月は魔王が瞬足履いて走り出す。

 そうとしか思えない怒涛の日々を俺は過ごしていた。


 春から大学生だー、と能天気な頭と共にこの街にやってきたのが一年前。今では瀕死の単位、バイト先に土下座で家賃を前借、断れないサークル飲みの毎日だ。

 今日だって、日付が変わる前にレポートを出さなければ、致命傷だった単位におくやみを申し上げなければならない。


「なのに……なんで届くんだ、これ。本物かよ」

 目の前にあるのはダンボール。宅急便で送られてきた、『ナマモノ』『コワレモノ』『呪符』が貼られた代物だ。特に呪符は一面に貼り付けられている。


 思い当たる節は1つだけ。先日スマホの広告に出てきたのだ。

 『猫の手お貸しします。1本300円~』

 飲み会明けのテンションで、10連ガチャ気分の3000円分を買った、ような気がするのだが、まさか届くとは。


「開ける、しかないよな」

 放置したいが、箱の内部からは幾重にも蠢く音がする。

 開けるしかない。本物の猫だったら大問題だ。


 意を決してガムテープを引き裂くと同時、送り付け詐欺なんてあったな、と思い出したがもう遅い。中身が視界に映る。


「猫の手だ」

 思わず口から漏れるほどに、それは猫の手だった。

数えて10本の猫の手。肘あたりまで生えた、芋虫のような猫の手が、それはもう元気にうねっている。

 茶トラ、グレー、真っ白、様々な毛並みだが、可愛げより気色悪さが勝つ。


「いらねえ!! 生ゴミよりいらねえよこんなモン、どう処分すんだよ!!」

 可燃物なら即刻ゴミ袋行きだが、生きてる、しかも猫の手『のみ』の扱いなんて聞いたことがない。寧ろヘタに取り扱ったら動物? 虐待になりかねない。


 俺の苛立ちを感じてか、猫の手たちは箱から出てすり寄って来ようとする。小動物を彷彿とさせるその様子は、完全なホラー。

 誰が尺取虫みたいに這う猫の手を可愛がる奴がいるか。


「クーリングオフ、っても何処で買ったか分からないしな。どうするコレ。そしてレポートも終わってないんだが」

 パソコンでアップロードすれば問題無いお手軽さも、完成させるのが前提だ。

 何処から手を付けるべきか。悩んでいると、2本の猫の手が近づいてきた。


「なんだ、レポートやってくれるのか? ……無理だろ、人間様の指用だぞ」

 しかし猫の手は俺の言葉を無視してノートパソコンへと近寄り、小さい手でキーの上を跳ねるようにして打ち込む。


「本当にやりやがった。え、まさかレポート手伝ってくれんの?」

 この動き、確実に文字を入力している。300円の価値はあるのかもしれない。

 暫く猫の手の動きを観察してから、さて本文はどうなったかと見てみると、画面にはこんな文字が表示されていた。


『縺ュ縺薙↓繧上°繧九o縺代↑縺?↓繧』


「読めねえ!! つか、どうやって入力しやがったコイツ!!」

 つい絶叫すると猫の手は、やれやれみたいな素振りをした。猫に分かる訳ないって? 知ってるよそんなもん!


「あ? んだよ、今度は何する気だ?」

 ノートパソコンから猫の手を払っていると、今度は別の猫の手がやって来る。

 紙を引っ張っていて、そして俺はその紙に見覚えがある気がする。

「あ、家賃の振り込み」


 督促状。その存在を思い出した。

 せっかく昨日、バイト先の店長に前借したのに、振り込み忘れたら馬鹿みたいだ。


 財布と家の鍵を引っ掴み、慌てて家を出ようとすると、背後に気配がする。

 10本の猫の手が、ぞろぞろと俺の後を這っていた。え、ついてくんの?


「お前ら見られて通報されない? 保健所送りなら喜ぶんだけど」

 いざとなったら、野良猫です、で押し通せるだろうか。でも手だけだしなぁ。

 十抹くらいの不安を抱えつつ、俺は出発した。猫の手と共に。




「あら~可愛いネコの手ちゃん。お散歩いいわねぇ」

「あ、ハイ。どうもっす」

 ビビりながら家を出たが、現実は俺が知っているよりも狂っていたらしい。


 道行くおばさん、下校中に遊んでる小学生、誰もが猫の手を見て驚かない。それどころか笑顔で触れ合おうとする始末だ。

 猫の手って既知の生物なのか⁉ 愛玩動物なら体と頭が足りないだろ⁉


 通報されないだけマシなのか。それとも俺が狂ったのか。

 行先は銀行よりも病院かもしれない。そんな事を考えていた、その時。後方から叫び声が聞こえてきた。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

「よ、よかった、やっぱり俺は狂ってなかった!」

 これは猫の手を見た叫び声だ! そうだ、間違いない――、

「泥棒よ! 助けて!!」

「は?」


 ブンと振り向くと、遠くの方に倒れた女性と、逃げる男の姿があった。

 白昼堂々の事件。ひったくり、いや男の手には包丁があるから、通り魔と呼ぶに相応しい。ついでに俺の方に逃げてきてるから第二の被害者になりかねない⁉


「正義より命だろ! 無理、逃げるしかねえ!」

 視界を前方へと戻す。追いかけて来ないはずだから、曲がり角に入りさえすれば問題は無いはず!!

「だッ⁉」


 転んだ⁉ 何に、猫の手に足引っ掛けた⁉

 派手に路面へダイブを決め、久しぶりの転んだ痛みに悶絶する。だが、後方の通り魔男は止まらない。包丁を両手に握りしめて俺へ向けて走ってくる。


「もうそれは俺への殺意じゃん!」

 逃げられない。見るしかない。推定40歳で上下ジャージ、冴えない顔で目だけ血走っている男をただ見ているだけ――。


 もふん。

 そんな音を聞いた、気がした。


 目を閉じる暇すらなく、突然高く跳ねた茶トラの猫の手は純白に輝き、その光を携えたまま通り魔男へと猛進。やや低い位置から顎へアッパーカットを叩き込んだ。

 猫の手はそのまま天に帰るように空へと吸い込まれ、消える。


 茫然としたが、警察沙汰になるとヤバい。倒れた男を放置して、俺は走った。




 銀行に到着し、ATMの順番を待っていると次第に頭が冷えてくる。

 なんなの、この猫の手。光ったし飛んでったし、周りの客も銀行員も何も言わないし。最近のトレンドなのか、猫の手(本体抜き)は。

 幻覚か夢か、はたまた昏睡状態の記憶障害なら笑い話だ。けれど、今も足元をうろついている集団は確かに居るし、幼児が無邪気に撫でているのも事実。


 母親に抱きかかえられ、バイバイと手を振る子供。猫の手も肘で自立してピョコピョコ手を振り返している。


「あぁー、脳みそバグっちまったのか俺」

 家賃の振り込みを終えて、ドッカと備え付けの椅子に座る。ぼうっと天井を仰ぎ見れば、膝やお腹に猫の手がよじ登ってきた。

「肉球は可愛いだろうさ、でも肘までしか無いのはグロだろ……」


 受け止めきれない現実、しかし直視しないといけないのだろうか。試しにバイト先に電話して、猫の手って飼えますかね? とでも聞いてみるのもいい。


 そんな事を考えていると、乾いた破裂音が鼓膜を叩いた。


 何度も響く、無機質な音。漂う臭いは、まるで運動会の昼花火を思い出させる。……火薬臭?

「おい金を出せ! こいつで撃たれたくなきゃ早くしろ!!」

 再度鳴り響く破裂音。注視しなくても分かる。銃だった。


 目出し帽を深く被り、片手に拳銃、もう片方にボストンバッグを持った、一目で分かる強盗は、窓口の銀行員を脅している。

 妄想にしてもベタで使われない展開が、目の前で起きていた。


「(どうなってんだよこの街の治安! 修羅の国じゃないんだぞ⁉)」

 運が悪いとか、そういう次元を越えてる。俺の何がダメだった。発端といえば、今も周りをウロチョロしてる猫の手が、あれ?


「一体どこに行きやが……あっ」

 勇猛か、蛮勇か。猫の手たちが強盗へワサワサと這って移動していた。仕草は世間知らずの子猫のようだが、絵面がサイコホラーすぎる。


「あ゛あ゛ん? 誰だ猫の手なんて連れてきやがったのは。撃ち殺されてぇか」

 お前も猫の手知ってるのかよ、とは声に出せない。唾を飲み込んで我慢するが、強盗はそんな俺の様子を見て笑った。


「お前が飼い主か。良い趣味してんじゃねぇか、こんなとこに可愛いペット連れて来るなんてよう。お散歩気分か?」

 声を大にして否定したいが、拳銃を持った相手に出来るはずもない。堪えて、ゴクリと喉を鳴らす。

 だがそれが、強盗には酷く面白く見えたようだった。


「よし、見せしめだ。おい! さっさと金詰めねぇとコイツと同じ目に合わせるぞ」

 下卑た笑いと共に、男の銃口と俺の視線が合致する。

 これはマズイ。本当に、死――。


 カチリと、引き金が鳴った。

 それは幻聴だった。


 何故なら、その寸前に猫の手が2本飛び出し、黒と金に輝いたから。そして光ったままに強盗へと突貫し、またもや顎を打ち抜いたからである。

 俺はまた逃げた。

 家に帰ろう。そして寝よう。レポートは、また明日土下座すればいい。




 全力で走ったつもりだったが、残り7本となった猫の手はまだいる。原理不明の蠕動運動で、俺に距離を離させない。

「本当に、猫の手ってなんなんだよ……」

 頭を搔きむしるが答えは出ない。

 何が狂っているんだ。俺か? この街か? 世界か?


 朦朧とする頭を振り、まずは家に、と考えたその時。

「魔王が出たぞー! 逃げろー!!」

 そんな声が、至る所から聞こえてきた。


「今度は魔王って、いやそれは夢の見すぎ――あ?」

 急に背後から巨大な影が伸びる。振り向けば、そこには、魔王としか呼べない巨体が、ぬぅっとビルの隙間から現れていた。


 色々と終った。逆にスッキリとした頭は、そう判断した。

 が、またもや。

 猫の手は夢妄想を凌駕する。


 7色に輝く7本の猫の手。虹にすら見えるそれらは、飛び、魔王へと直進。


 閃光。爆発。

 そして世界は救われたらしい。


 

 その後、俺は引っ越すことにした。この狂った町から一刻も早く離れたい。

 忙しい日々に更なる負担が増えるが、俺は一人で越えてみせる。

 猫の手を借りたいなんて、気軽に考えるべきではないのだ。

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