第九話「決着」
風が吹いている。豪奢な窓から吹き込む緩やかな風を肌で感じながら、獣王が出した珈琲を一口含む。
仄かな酸味と確かな苦み。芳醇な香りが口中に広がり、喉の渇きを潤してくれる。
美味いな、これ。日本で飲んだ事のある珈琲より好みだわ。
元の世界より豆が良いって事は無いだろうから、きっと淹れ方が上手いんだろうな。
これは思わぬ収穫だ。ありがたく頂いておこう。
「美味いなこれ。少し意外だったわ」
「それは嬉しい賛辞なのだが、先ほどの言葉は正気かね?」
「正気じゃないに決まってんだろ。頭がまともな奴はこんな所に来てないって」
自分の言葉に苦笑しつつ隣を見ると、スノウは砂糖とミルクを入れているにも関わらず眉をしかめていた。
更に苦笑を深くし、くつくつと笑いを溢す。その姿はラオウにとって不気味に映っているのだろう、奇異な目でこちらを観察して来ている。
「それでそっちの代表じゃは誰だ? ドアの向こうに居る奴か?」
くいと親指でドアを指してやると、今度はラオウが苦笑を浮かべた。
やっぱり誰か居るのか。何の各章も無いブラフだったんだが、どうやら当たりだったようだ。
俺達みたいな不審者と一国の王が対面している場に何の警備も置かない訳が無い。
中に入らないにしても、獣人は五感が鋭い。ドア越しでも何か起こる前に察知することが出来るだろう。
その程度は予測済み。但し、その後に関しては全くの予想外だった。
「ほのか、入ってくれ」
「はいです。失礼するです」
ラオウの野太い声に応えたのは、まだ幼さの残る少女の声。
次いでドアから見せた姿に俺は内心で動揺していた。
スノウの黒髪に退避するかのような長い白髪。しかし瞳の色は同じく紅色。
頭の上には白くふわふわな狐耳。短めのスカートの後ろからも白色のふわふわな尻尾が見えている。
そしてその服装は日本のブレザー服だった。
浮かぶ表情は歳に似合った笑顔、のつもりなのだろう。
しかしその目付きは俺が何者なのか探るような、温度を感じない冷たい色をしている。
アルビノの獣人。狐の特性を持つ少女は、小さいながらも狩りを行う種族特有の雰囲気を身に纏っていた。
「初めまして、お客様。ほのかと申しますです」
「おう、宜しく。お前が俺の対戦相手か?」
「はいです。ほのかは『ビースター』最強の戦士なのです」
「……ほう。話には聞いてたが、お前が『ゴッドイーター』か」
『ビースター』には様々な二つ名持ちの戦士が居る。それぞれ通常では考えられないような偉業を成した者達の中で、一際異彩を放つ者。
たった一人で最強種族『ゴッデス』の軍勢を退けた最強の戦士『ゴッドイーター』
その名は勿論スノウや爺さんから聞いてはいたが、それがこんな美少女だったとは思わなかった。
清楚可憐な見た目からは想像もできないが、何せここは異世界だ。現実は俺の想像なんて簡単に飛び越えて来るようだ。
「ほのかではご不満なのです?」
「いんや、相手は別に誰でも良い。どうせ結果は変わらないからな」
「……へぇ、なのです」
俺の軽口に対してほのかは張り付けたままの笑顔は絶やさず、一段温度が下がった声で返答する。
なるほど、やはり挑発は効果があるか。
獣人は誇り高く自尊心が強い。特に最強と言われている彼女なら尚の事プライドが傷つけられたことだろう。
おそらくはこの獣人の少女に単騎で勝てる存在などほぼ存在しない。
故にこの類の言葉が響く。舌戦など慣れていない彼らは侮辱の言葉に酷く反応する。
しかし直情的な行動は慎むはずだ。この場は王の眼前、下手な動きは出来ない。
それを理解しているからこその言葉で、そして。
「こんな女の子が相手ならハンデが必要だな。俺は目を瞑ってやってやるよ」
この言葉でチェックメイトだ。
「ラオウ様! こいつをぶち殺す許可をくださいです!」
怒り心頭。全身の毛を裂か出てて牙を剥くほのか。その視線は俺に固定されており、各隙も無い殺気に満ち溢れている。
内心ビビるが、そんなものは決して外に出さない。生理的な反応は仕方ないとしても、表面上は変わりの無い余裕を取り繕う。
ぶっちゃけ怖い。どのような言葉を重ねようが、その気になれば俺とスノウは花を摘むより容易く即殺される。
こんな美少女に殺されるなら本望だという奴も居るだろうが、俺はごめんだ。
スノウと共に生き延びる。彼女を最後まで守り切る。それまでは決して死ねない。
守って見せると、決めたのだから。
「ラオウ、場所はどうする? こいつが相手なら俺はどこでも構わないぜ」
余裕の演技を見せながら更に挑発を重ねる。ラオウは疑心を覚えているようだがほのかは止まらない。
一族最強の少女を御す方法を思い付かなかったのだろうか、或いは誰がやっても勝ちは揺るがないと確信したのか。
ラオウは一つため息を吐くと、丸太みたいに太い腕を胸の前で組んだ。
「ならば場所はこの場で良いだろう。準備をしたまえ」
「はいです!」
「はいよー」
用意しておいた細長い布切れを腰のポーチから取り出して、こちらを睨んでいるほのかに投げて寄越す。
それを目で追えない速度で掴み取ったかと思うと、次の瞬間彼女の額には白いハチマキが巻かれていた。
目の前で行われたにも関わらず、動作が一切見えなかった。これが獣人の身体能力か。実際に見ると尋常じゃないな。
最も今から俺がやる決闘も尋常じゃないんだが。
それでも余裕を演出する為に両手を腰の後ろに当ててみせる。舐められたら負けだ。怯むな、俺。
「んじゃ、このコインが地面に落ちたら開始って事で良いか?」
「早く投げるです!」
「はいはい。んじゃ、始めますかね」
右手の親指でコインを弾く。煌めきながら天井近くまで上がったコインは、やがて加速を失い緩やかに落下を始めた。
その軌道を確認した後で両目を強く閉じる。吹き付ける殺気が一段階上がったが、俺がそれに気を取られることは無い。
何故なら、既に耳と右手に全神経を傾けているから。
目が見えない以上は音だけが頼りで、即座に右腕が反応しなければ俺達『グロリア』の負けが確定してしまう。
この世界で最強の身体能力を持つ獣人、その中でも最強の『ゴッドイーター』が相手だ。一瞬たりとも気を抜くことは出来ない。
体感で一分、現実世界ではおよそ三秒後。コインが、テーブルの上にカチリと当たった。
瞬間、脳で考えるよりも早く右手を跳ね上げる。額からハチマキが奪われた感覚と共に、握っていたソレから手を離した。
何故決闘など持ち掛けたのか。何故無意味な挑発をしたのか。何故ハンデだと嘯いて目を閉じているのか。
それは、その全てがこちらの勝利条件を満たすために必要な要素だったからだ。
「もら――ッ!?」
もらった、だろうか。ほのかの勝利宣言はしかし、最後まで言葉になることは無かった。
俺の眼前に放り投げられたのは、掌に収まる程に小型の閃光手榴弾。スタングレネードとも呼ばれる兵器が起爆し、轟音と閃光を撒き散らす。
部屋中が焼かれ、強く閉ざした瞼越しに視界が消滅し、爆音で殴られた表紙に意識が飛びかけた。
この場に居る全員の目と耳がイカれているであろう状況で。
予測していた上に目を閉じていた俺は、慌てる事無くゆっくりと目を開いて眼前に居るほのかからハチマキを奪い取った。
同時に急制動が出来なかった彼女の軽い体を抱き留め、揃って真後ろに倒れ込む。
女子特有の柔らかさにふわふわな毛並みが心地良いが、そんな事を気にする余裕もないくらいには床に打ち付けた背中が酷く痛んだ。
いくら軽いとはいえ目に見えない速度で駆けてきたのだ。それなり以上の衝撃はあるに決まっている。
決闘直前に腰の後ろに手を回して衝撃緩和剤を仕込んでおかなかったら、骨の一本は折れていたかもしれない。
つまりは、まぁ。
全て、計算通りだ。
想定通りの流れに気合が削がれ、ほのかを抱きかかえたままでその場にぐったりと倒れ伏す。
あーしんど。自爆よりはマシだけど、二度とやりたくねぇ。
やがて目と耳が復活してきた頃合いを見計らい、ゆっくりと口を開く。
「さて、勝敗は如何に?」
自分の額に捲かれたハチマキの隣に、ほのかから奪ったハチマキを垂らして見せる。
その様を見てラオウは笑いを噛み殺したような顔で――否。
「ハァーッハッハッハ! なるほど、素晴らしい!」
腕を組んだまま、無様な格好の俺を豪快に笑い飛ばした。
ここに来て俺の思惑に気が付いたようだ。ならば後は茶番に付き合ってもらうか。
「こいつは困った。どうやら引き分けになっちまったみたいだな」
「然り。であれば互いの要求を通すのが筋であろうな」
「つまり『グロリア』と『ビースター』は同盟を組んで食料を渡して、そっちには俺から銃器を提供するって事だな」
「うむ。引き分けになってしまったのだから仕方あるまい」
「そうだな。仕方ないな」
互いにニヤニヤしながら言い合い俺達に、スノウとほのかはキョトンとした目をしている。
スノウにも詳細は伝えてなかったし、二人とも混乱しているんだろう。
それも仕方が無い事だろうが。
「ちょっと、どういうこと?」
目をこすりながら聞いてくるスノウに笑みを返す。しかし今度は虚勢では無く、心底の安堵の表情で。
「前に言っただろ。俺達と他の連中じゃ勝利条件が違う、ってな」
こちらは戦争に勝つ必要はない。終戦まで逃げ延びれば勝ちだ。
敗北条件はスノウが殺される事。ついでに言えば人族全員が生き残って欲しい訳だ。
であればここで一方的に買って遺恨を残すのは得策ではないし、むしろ恨みを買うだけの愚行ですらある。
ならばどうすれば良いのか。
相手にとって有利な勝負を持ち掛けた上で引き分け、試合自体をうやむやにしてしまえば良い。
そうすれば『ビースター』の名誉は守られるし、俺達にテコ入れする理由を作ることが出来る。
資源が豊かな『ビースター』にとっては食料提供何て大した不利益じゃないし、その上で銃器を手に入れることが出来て丸儲けだ。
全員が得をする話。この結末で無いと俺達の負けは確定していた訳だ。
「つまりは、今回も何とか生き延びた、ってだけだよ」
右手の親指を突き立てて笑う。拳に力は入っていないが、今更虚勢を張る意味も無い。この程度は許して欲しいものだ。
しかし、話はそこで終わらなかった。
「そっちじゃなくて! いつまでそうしてんのよ!」
「……は?」
細い指を突き付けられて自分の体勢を見直す。
現状、床に座り込みながらケモミミ女子をハグしている訳で。
ついでに何故かほのかから紅潮して蕩けたような瞳を向けられている訳で。
そんな俺達をスノウはマジ切れ寸前な様子で睨みつけている訳で。
いや、何だこの状況。
今度は俺が茫然としていると、ほのかはスノウの言葉にハッと我に返り。
「旦那様、ほのかのツガイになるのです!」
そう叫びながら俺の首に両手を回して抱き着いてきた。
……は?
意味が分からない。ほのかの柔らかな感触と甘い香り、そして心地よい甘え声が俺を埋め尽くしていく。
あーふわっふわだな。めっちゃ肌触り良いわ、こいつ。
「ほのかより強い雄なんて生まれて初めて見ましたです! ツガイになるのです!」
「え、お前ついさっきまで俺を殺すって言ってなかったか?」
「気のせいなのです!」
言い切りやがった。何これ怖い。
えーと、ていうか。
どうしたもんかな、これ。
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